「男のロマン」の果て(?)イスラエル紀行(下):スタートアップ

ビジネス・スクールなんだから真っ先にこの内容を書くべき。なのだが、興味の範囲が歴史や国際関係偏重なので仕方ない(理系なので科学技術は言うに及ばず)。自己紹介にも記載したが、本棚はほぼ歴史の本で仕事関連の本なんかほとんどない。それにしてもなぜ歴史が好きなのだろうか。聞かれてもあまりちゃんと答えられない。帰国前に一度ちゃんと考えて、ブログに書いてみよう。MBAコースで記載したい内容が溜まりに溜まっているが。。。

本棚再掲

ビジネス的にイスラエルと言えばスタートアップだろう。個人的にはサイバーセキュリティー関連が多い気がしている。それは兵役があって、そこで学んだ技術を元に起業することができるからだと思う。ちょうど訪問時も、テルアビブ大学でサイバーセキュリティー関連のConferenceが開催されていた。前々回に記載したIBMが買収したTrusteerもサイバーセキュリティーの会社だ。正直サイバーセキュリティーは専門家でないと中々難しい内容である(ちなみに私は素人と専門の間くらいではあると思う)。例えば、いくらITセキュリティーに投資をしても、アメリカ、ロシア、北朝鮮、イスラエル辺りのサイバー部隊に本気で狙われたらどうしようもない。こうしている間も国家レベルで様々なサイバー兵器が開発投入されているのであろう。リアルタイムで攻撃のトラフィックを見ることができるサイトがあるので、一度見てみると面白い(MBAの授業で教えてもらった)。実際私の好きな出川さんがCMをしていたコインチェックの仮想通貨流出事件は北朝鮮ハッカーの攻撃であったようで、北朝鮮的には外貨入手のための方法の一つとして重要な資金源なのだろう。一方で、コインチェックのような中小企業がどの程度セキュリティーに投資すべきかは難しい問題ではないか。セキュリティー対策は際限がないし、ガチガチに固めたところで何の攻撃もないかもしれない。ガイドラインがあるのか、と思って探したら、あった。経済産業省が公開しているよう。とは言え、対策の程度は中々難しそうだと常々思っている。

リアルタイムのサイバーアタック状況 (2018年のある時期の例)

イスラエルに話を戻すと、スタートアップが盛んな理由は、兵役以外にも4つの重要な要素があるようだ。今回訪問したOur CrowdStartup Nation Centralでこの要素については同様なことを紹介してもらった(この二つの会社の取り組みについては後ほど)。まずはCulture(文化)。イスラエル人は合理的で果敢な文化精神があると言われている。これは前回記載した近代史からも建国間もない国としての生き残りをかけていた(いる)状況が影響しているのかもしれない。また、ネットワーキングの強さを指摘されることも多いが、これはユダヤ人コミュニティーの結束力の強さがそうさせるのであろう。2つ目はIDF(Israeli Defense Force:イスラエル国防軍)であるが、これは上記の通り(ちなみに同行した同級生のシンガポール人に「JSDFってさぁ〜・・・」って話をされてJSDFって何?って聞いたらJapan Self-Defense Force(自衛隊)のことだった、、そう訳すのか。。)。3つ目はImigration(移民)。イスラエルは移民をしっかり受け入れており、それにより多様性が育まれて、Ideaが生まれるそう。が、前回記載の通り疑問が残る部分ではあるし、これによる国内問題もあるのであろう。4つ目はGovernment Support(政府の支援)。Israel Innovation Authorityという政府のInnovation支援官庁があり、政府主導のアクセレレーター・プログラム等も盛んなよう。5つ目はLuck(運)。運は大事であろう。マキャベリもリーダーの資質に重要なのは「ヴィルトゥ(徳)」、「時代を読む力」、そして「運」だと言っていた。イスラエルの場合は、たまたま建国間もなく、たまたま紛争が多くて、たまたま技術力が上がった、のであろうが、それらを引き寄せた国内の力も見逃せない。(運の重要性は認識しているつもりなので、運についても自分の考えを整理して記載した方が良いかもしれない。。)

スタートアップ ネーションに繋がる5つの要素
イスラエルの国民一人辺りのスタートアップの数は世界一

さて、今回訪問した会社の一つであるOur Crowdは西エルサレムに本拠があり、Venture CapitalとCrowd Investing(クラウド・ファウンディンの一形態)を合わせた事業形態で展開している。よって、クラウド・ファウンディングを利用して、Our Crowdのサイトから個人でも投資ができる。ちなみに日本では投資型のクラウド・ファウンディングは事業者側には高いハードル(規制)があるが、出資者には規制がないよう。そして、Venture Capitalの役割も担うため、Our Crowd自身がdue diligenceを実施した品質の高いスタートアップが多いそうだ。

もう一つのStartup Nation CentralはNGOで、テルアビブに本拠があり、イスラエルのInnovationを促進するために各Stakeholderを繋げる活動を主に実施しているよう。サイトでは、興味に沿ってイスラエル内のStart-upを検索できるし、イスラエル内のスタートアップに関する調査結果を閲覧できる(要登録)。当然、前出のサイバー・セキュリティーだけでなく、農業(Ag-Tech)やインフラ(Water&Energy)も盛んであるよう。

イスラエルStartupの業界

一方で、最近はスタートアップ企業数などは減少してきている(させてきている側面も)。それは、スタートアップ企業は雇用に結びつきにくいので、政府がより規模の大きな企業の数の増加に政策転換をしてきているからだという記事も見られた。現地でお会いした日本人の方も「最近はスタートアップよりも巨大テック系企業の存在感が大きくなっています。エンジニア系人材の草刈り場になり、イスラエルのスタートアップの起業数は減ってきてるそうです。~~ 特にインテルのイスラエルの活かし方は抜群にうまくて、スタートアップの買収により新しい事業領域にはいると同時にイスラエルに経営資源も投下し、R&Dや事業開発の拠点化をしているように見えます。」という内容を記載されている。スタートアップが持て囃されている現在、つい華やかな世界に見えるが、大企業も(当然だが)重要な意味を持つのだなと思った。経済における大企業、中小企業、スタートアップ、それぞれの役割や意味についてまだまだ理解していないと認識した次第である。翻って日本(人)の事を見てみると、少し驚いたことに訪問時のPresentationの中で、日本のInnovation順位が意外にも低くないことが分かった。例えば、World Economic Forumによる調査によると、R&D Expenditureの対GDP比はイスラエルが1位で日本が3位。もう少し調べると、Research & Development全体では日本が1位でイスラエルは17位。さらに上位カテゴリーのInnovation Capabilityでは日本は6位でイスラエルは16位だった、1位はドイツ。ただ、やはり日本のStartupの数は少ないようだ。しかし、Innovation Capabilityがあって、それで本当にInnovationが起きているのであれば良いと思う。日本はもうInnovationが無いというのは穿った見方なのだろうか。

都市別のスタートアップ数ランキング、テルアビブが世界6位、日本の都市の名前はない

どのようにイスラエルと協業していくかと考えると、この大企業スキルを駆使するのが良さそうだ。同じ記事だが、「イスラエル人は、スタートアップ、ベンチャー、イノベーションに関心があり、得意であるが、辛抱や長期的企画、大規模な経営などは必ずしも得意ではない。それに対して、日本はスタートアップやベンチャーはあまり得意でないが、組織の大規模化や大量生産化は得意であると言えよう」との記載があった。イスラエル自体も漫画、食、だけでなくて、ビジネス的にも日本には興味があるようで、近々日本への直行便ができるそう。ただ、現在イスラエルが持つ日本への興味はスタートアップの買収元やFund資金であるように思う。実際楽天がViberを2014年に買収し、この楽天Viberが2015年にNextPeerを買収している。可能であれば、お金の面だけではなくて、国民性や技術力に興味をいただいていただき、その部分でWin-Winの関係になれれば一番良いと思う。

イスラエル紀行、長くなったが、歴史、現状、そしてビジネスと記載することで、これら3つは無関係ではなく、繋がって現在の経済とビジネス状況になっているのだなと理解することができたように思うのでよかった。旅行が終わった後に、ここまで調べたのは初めてだ。ただ、毎回このレベルでブログを書くことはできないが。。。

「男のロマン」の果て(?)イスラエル紀行(中):近代史と現在

2014年に、会社のStrategyについて議論するという名目のもと同世代(入社年次の近い)の日本IBMerとNYCのIBM HQへ出張(ある意味ご褒美旅行)したことがあった。その時、毎日同世代と飲んでいて、「楽しいけどもうこういうことはないだろうな」と思っていた。が、MBAに来て、特にTrekに参加すると毎日異国でみんなと飲めて、同じ経験がまたできた。ありがたい限りである(もうこんな事はないだろうな、、とは思わない)。しかも、今回のTrekはよく企画されていて、それはiTrekというアメリカのNGO(かな?)がMBA生向け(だけではないと思うが)に旅程を企画しているからだ。Cambridge MBAのイスラエル Trekパーカーもあり、バスもCambridge MBA御一行様で、レストランのメニューもCambridge仕様であった。ちなみに、イスラエルの物価は高くて、350mlくらいのビール瓶が1000円近くする。今回はiTrek内にほぼ含まれていたのであまり気にせず飲食できた。だが、このiTrekの旅程自体がイスラエルの全てと思ってはいけないなと感じたのは後半で。

Cambridge仕様のバス、全旅程はバス移動だったので楽だった
Cambridge仕様のメニュー

「やはり現地に行くのが一番」という事で、旅行に行くのだと思うが、今回のTrekは私の中で最も「現地に行って良かった」と思える旅行であった。なぜなら、現地で見聞きした事が事前に得た情報からの推測とは異なっていたり、旅行中も昨日聞いた事と今日聞いた事が食い違っていたりした。本当にイスラエルは複雑な状況にあるのだなと感じ、それが世界の縮図なのだろうという思いから、イスラエルに対してだけでなく、物事に対して複数の見方が必要だと再認識できた。

前回記載したように、現在のイスラエルは1948年建国であるが、その独立宣言には「ユダヤ民族が他の諸民族と同様に、主権国家における自らの運命の主人である当然の権利である」と記載があり、ユダヤ民族の国でもある(一方で、多様性を受け入れる民主国家であるとも謳っている、前回も記載したが、実際ユダヤ人だけで現在のイスラエル人が構成されているわけではない(イスラエル中央統計局(2014年)によれば、ユダヤ教75%、イスラム教17.5%、キリスト教2%、ドルーズ1.6%))。よって、ホロコーストについての知識は必須で、旅程にもホロコースト・ミュージアムへの訪問が含まれていた。ホロコースト・ミュージアム自体は非常に良い立地にあり、建物も近代的であった。本Trek企画者のロシア人同級生に聞くと、政府からの援助よりユダヤ人コミュニティーからの寄付が大部分を占めるそうだ。ホロコーストの詳細は様々なメディアから得られると思うので、ここでの記載は省くが、ドイツ第3帝国のユダヤ人迫害により連合国側にたって参戦したユダヤ人が多数おり、彼らがイスラエル建国に大きく貢献した事は留意しておきたい。ホロコースト・ミュージアムではホロコーストを経験した女性から直接話を聞く事ができた。髪を綺麗に白髪と黒髪で分けており、シワがあっても肌の綺麗な女性であった。大戦中はスイス領内のイタリア支配地域に住んでいたようであるが、連合国がイタリアを陥落させた後に同領内がドイツ支配となりユダヤ人追求が厳しくなった事と、イスラエル国防軍へ従軍していたお孫さんがスナイパーからの狙撃で戦死された事が自身のホロコースト体験より悲劇であったと話していた事が印象的であった。

ホロコースト・ミュージアムからの景色
ご自身のホロコースト体験についてお話しいただいた

一方でホロコースト・ミュージアムで見た事がユダヤ人の全てではないという事も知っておかねばならない。Trekに同行した日本人同級生のお知り合いがパレスチナでお仕事をされているという事で、お話を伺う機会を得る事ができた。彼に確認すると、現在のパレスチナのライフライン(電気、ガス、水道)はイスラエルの管理下であり、パレスチナ自治区の周りは、トランプもびっくりの壁で囲まれている。よって、経済を強化して独立度を高めようにも難しい状況。帰英後に簡単に検索すると、確かにイスラエル側のパレスチナ人(パレスチナに住むアラブ人の事をこのように呼ぶ)に対する人間的でない行為も散見されるよう。彼も「イスラエルに来てパレスチナ自治区(ヨルダン川の西側にありWest Bankと呼ばれる)を訪問しないのはもったいない」と言っていて、私も是非訪問したかったのだが旅程的に1日早く帰国が必要で訪問できなかった。同行した日本人同級生2名は訪問していて羨ましかった。訪問の仕方を話している際に、「ガイドの人に聞いてみようか」という話をしたのだが、彼曰く「ガイドはイスラエル人だから「危険だから止めた方がいいと思う」と言うだけかもしれない」と言っていて、軽い衝撃を受けた。実際パレスチナ自治区とイスラエルの間には検問があり、検問のイスラエル側には「イスラエル人はこの先殺される危険あり」(というニュアンス)の立て札があるよう。じゃぁアメリカ人はどうか?と問うと、「分からないが、日本人よりは危険なのは間違いない」との回答。日本政府の方針は「イスラエルとパレスチナの2国間解決」でパレスチナも支援しており日本人に対する危険度は低いよう。ただ、別の日に、これも同じ同級生の知り合いでイスラエルに在住の方の話を伺う機会があったのだが、彼曰く「West Bankの60号線は銃撃があったり、バス停留所毎に武装兵が警備していて本当に危ない」とのことであった。外務省の危険情報によるとイスラエルはレベル1(十分注意してください)でWest Bankはレベル2(不要不急の渡航は止めてください)であった。ちなみにガザ地区はレベル3(渡航は止めてください。(渡航中止勧告))で、イスラエル北部のレバノン国境周辺もレベル3(渡航は止めてください。(渡航中止勧告))。って、ちょっと待って、今知った。。。これについては後ほど。

中央を縦に走っているのが60号線

イスラエル人とパレスチナ人の間には確執が絶えないが、訪問したSodaStreamという会社(日本でも炭酸発生機を消費者向けに販売している、日本語で検索したらアンジャッシュの渡部が出てきて懐かしさを感じた(笑))ではイスラエル人もパレスチナ人も分け隔てなく雇用しており、工場(ガザ地区に比較的近い)で働いているという状況を見て、良い活動をしている企業もいるものだと思った。ちなみにSodaStreamは2018年にPepsiCoが買収した。しかし、SodaStreamの上記の活動は単なるプロパガンダという話もそのあと聞いた。そんな事を聞くと、上記の動画の社長さんがトランプに見えてきたし、確かに同級生が「マネージャー層にパレスチナ人がいるか?」と質問した際には「No」という回答だった。SodaStreamよりも最近NVIDIAが買収したMellanoxという半導体メーカーの方が良い活動をしていると聞いた。確かにこの会社もパレスチナ人の雇用をコミットしているよう。まぁ、しかし、この辺は、流石に私が1週間訪問しただけでは何が正しいのか分からないのだろう。ちなみに帰英後に、マレーシア人の同級生と会話していたら、彼女のハウスメイトがパレスチナ人だったことがあったそう。彼女曰く、彼はNationalistらしく、卒業したらパレスチナのために何かしたいと常に言っていたそう。彼女が別のイスラエル人学生に彼の話をしたら、そのイスラエル人は「パレスチナ人が海外の大学きているの!??(お金やVisaどうなってんの?)そんなバカな!」という反応だったようだ。

ところで、イスラエルとパレスチナ、なぜこんな状況になっているのか、ちゃんと調べようと思って帰英後に記事(日本語)を複数読んでいるのだが、正直複雑過ぎて未だに理解が追い付かない。イスラエルからの帰英後も思ったが「複雑過ぎて分からない事が分かった」状況がまだ続いている。しかし、全部分かるのは無理だけど、分かろうと努力することが大事だということで、とりあえず、イスラエル訪問中もよく話に出てきた「サイクス・ピコ協約」が重要らしいので、その辺の話を調べていた。ら、「「サイクス・ピコ協約」より「セーブル条約」が重要だ」という記事があり、もう何が何だか分からない。

とは言え「サイクス・ピコ協約」。近代のこの地域は、オスマン帝国(~1920)→イギリス委任統治領パレスチナ(~1948)→現イスラエルであり、第1次世界大戦中の1916年にイギリスとフランスの間でパレスチナ地域の分割について結ばれた密約が「サイクス・ピコ協約」である。ちなみに同じタイミングでユダヤ系のロスチャイルド家に対してイギリスは「バルフォア宣言」によりユダヤ人のパレスチナにおける故郷再建の支持を表明している。

出典拝借した記事

この協約は、1920年の「セーブル条約」で公式のものとなったよう。ただ、「セーブル条約」自体はこのアラブ領土の部分だけではなく、イスタンブール周辺のオスマン帝国をどのように分割するかを含んだ条約であった。そして、その後の将校達による「セーブル条約」受け入れ拒否による「トルコ独立戦争」(1919-1922)、「アンカラ条約」(1921)、「ローザンヌ条約」(1923)によりオスマン帝国の処理は完了する。イスラエルに話を戻すとこの「セーブル条約」により1920年からイギリスの委任統治が始まっている。ただ、このイギリスの委任統治中にもユダヤ人やアラブ人の反乱や衝突があった。さらには、ユダヤ人のパレスチナ(現イスラエル含む)に向かう移民も急増した。前出のように、大戦中はホロコーストもあり、ユダヤ人は連合国側で戦ったが、大戦終結後にはイギリスに対する不満が再燃し、遂にはイギリスが委任統治を諦め、1948年5月14日にイスラエルは独立宣言を行った。真っ先にアメリカがこれを承認し、ここに第1次中東戦争が勃発した。この時のイスラエルとアラブ諸国(エジプト、ヨルダン、シリア、レバノン等)との戦力差は1対20であったが、アラブ側の指揮系統の不統一と大戦中に連合国側で戦ったユダヤ人の高い練度もあり、戦線は膠着し、停戦に至ったようだ(歴史を読んでると、少数側が勝つのは大体相手側の「指揮系統の不統一」本当組織の命令系統の統一って重要なんですね)。その後の第2次中東戦争と第3次中東戦争を経て、イスラエルの領土は以下のように広がった。つまり今問題になっているゴラン高原、ガザ地区とWest Bankはこの時に侵攻した地区という事だ。シナイ半島は第4次中東戦争後の1979年にエジプトに返還されている(ガザ地区も返還しようとしたようなのだが、エジプトに「いらない」と拒否されたらしい)。1993年にはオスロ合意により、パレスチナ自治政府が認められ、占領地域を段階的にパレスチナ自治政府へ返還する事が合意されたが、その後のテロ行為や国内の反乱により未だ返還は進んでいない。ちなみにイギリスやアメリカがなぜここまでイスラエル(とユダヤ人)を支援するか疑問であった。調べると、なんとなく、国内のユダヤ人勢力の影響力が強いからのように見える(前出のバルフォア宣言然り)。むしろイスラエルがアメリカを対イラクで利用しているようにも見える。アメリカやイギリスにとっても対外的な戦略的意味もあるように思えるのだが、ちょっと分からなかった。

第三次中東戦争後

まとめると、

  1. 第1次大戦後のオスマン帝国の現イスラエル地方の領土分割を「サイクス・ピコ協約」で密約、「セーブル条約」で公式化し、現イスラエルはイギリス委任統治領パレスチナに
  2. 同時に「バルフォア宣言」でイギリス国内ユダヤ人にユダヤ人国家建設の約束
  3. 現イスラエルへのユダヤ人移民の増加とアラブ人との衝突増加
  4. 第2次大戦後、イギリスが委任統治領パレスチナの統治を諦める
  5. 現イスラエルのユダヤ人がイスラエル独立宣言(アメリカが真っ先に承認)と第1次中東戦争、
  6. 第2~4次中東戦争を経て現領土に。現パレスチナをイスラエルが統治(パレスチナ問題へ)

ということかと思う。あまり自信がないが。。

我々の旅程において、West Bankは通過しただけである。マサダ要塞後に死海へ訪問した。死海のビーチは観光地化していて、日本人にとっては塩分濃度が高く体が浮くというエンターテイメントのイメージしかないが、実はすぐ北はWest Bankである。上記Google Mapの死海(Dead Sea)のすぐ西にある90号線を通って北に向かったのだが、West Bankからイスラエル側に戻る時には検問があり、銃(多分M16だった、古い型な気がするが検問だからか)を持った兵士がバスの中に入って何やら確認後、検問を通過できた(流石に写真を撮る気にはなれず)。北に向かったのは次の日レバノン国境沿いに訪問するためだ、だが実はここが、前出の外務省ではレベル3の地域であった。知らなかったのが恥ずかしい。

レバノンとの国境近く、バスより同級生が撮影

レバノンとの紛争まで記載すると長くなるので、割愛するが、イスラエル国防軍の諜報部所属の大尉からレバノンとの関係やミサイル、シェルターの話を聞く事ができた。

レバノンの国境付近の山でレバノンを臨みながら

ミサイル警告が出る場合にはこの辺りだと、7秒で着弾、最大都市テルアビブであれば45秒で着弾という説明を受けた。その後、日本人同級生とも会話したのだが、7秒と45秒の差は大きいがそれでもこの地に住民がまだ住んでいる。しかし、勝手知ったる、もしくは先祖の土地を離れたくないというのが心情だろうと話をした。一方でミサイルの危険に関しては、前出の日本人の方が「イスラエル人の運転を考えると交通事故の方が確率的に危険」という話をされていた。

このような軍事的な色彩が強い話を聞くのもイスラエルならではだが、イスラエルは建国間もなく、しばらくは生き延びるのに精一杯であった。周りが敵ばかりであれば、軍事も考えつつ、生き残るために非常に合理的な選択をし続けなければならないのだろうと想像する。しかし、今は少し余裕も出てきているようだ。が、それによって国内のアイデンティティー的問題もあるよう。独立宣言には「ユダヤ民族が他の諸民族と同様に、主権国家における自らの運命の主人である当然の権利である」ということで「ユダヤ人国家」である事を宣言すると同時に、「宗教、人種、あるいは性にかかわらずすべての住民の社会的、政治的諸権利の完全な平等を保証」と、「民主国家」も謳っている。つまり国内の非ユダヤ人をどう扱うかが課題であるようだ。少し、アメリカに似ている部分があるか?と思った。アメリカも建国時は、生き残りに精一杯で、高い合理性を持っていた(いる)し、民主国家を謳いながらも奴隷問題はあまり触れず、後世に託さなければならなかった。弱小国家ではそのような難事業は達成できないと、建国の父達は考えたからだ。それはある意味賭けだったのだろう(実際、その後の南北戦争で国力は大分疲弊した。そのおかげで日本がWesternizeして大国にTransformationする時間ができたのだろうけど。)。イスラエルの国家のアイデンティティーの話に戻すと、日本人の方からも「一見するとオープンだが、世界中のユダヤ人を集めるために苦労して作られた国だから、ユダヤ人/非ユダヤ人の間には超えられない壁みたいなものもあるように常に感じるし、一部の志が高い人や組織を除き”多様性を考えましょう”ということは殆ど聞いたことがない。」という話を聞いた。ここら辺は国家としての成熟度がもっと高くなればまた変わってくるのであろう。前回も最後に記載したが、日本(人)の多様性を受け入れる文化というものがないのかあるのか、まだ分からないが、一見してオープンでも実は多様性について本当は受け入れていない場合もありそう(もしくはそうであって部分的にオープンであればいいのかもしれないが)だという事は考えておきたいと思う。

今回の内容に関係する旅程としてはこの訪問地が最後。これも日本人の方から言われたのだが、iTrek自体もアメリカの組織なので、旅程もそれなりにイスラエルよりなのかもしれない。確かに、今回WestBankへの訪問はほぼなかった。まぁただ単に訪問のリスクが高いからかもしれない。それでもパレスチナ側の状況をできる限り知っておくことは重要だと思う。(という話を妻にしたら、妻が国際学部に進学した理由は高校の時に、パレスチナの報道をアメリカの報道と日本の報道の違いから見る機会があり、その違いに興味を持ったからのよう。興味は似るもんですな。。)ちょうど訪問中に、トランプ政権が「Deal of Century」を掲げて会合が開催されたが、当のパレスチナ自治政府はボイコット。これもパレスチナ側の状況を無視した結果だと思う。パレスチナで働いている、前出の日本人の方のお仕事はパレスチナの支援ではあるが、イスラエルにライフラインを握られていると経済成長も難しい、つまり、仕事をされている中で常にイスラエルとパレスチナの国際関係や政治的配慮も考慮されているということだと想像した。私も、常々、ビジネスをする際も政治や国際関係を考慮することは重要だと思っていたし、今後私の影響の範囲が大きくなれば、それが判断をするときのFactorになることもあるだろう。その時に慌てないように、引き続きそのMindを持ちながら、仕事と勉強をしていきたい。

(イスラエル訪問時は外務省の危険情報を確認した上で、個人の責任でご訪問のこと)

「男のロマン」の果て(?)イスラエル紀行(上):歴史

2013年にIBMがイスラエルのサイバー・セキュリティー会社、Trusteerを買収した際に日本で統合の支援をした。その時、上司に「ワカ、イスラエルとりあえず行っとく?」と言われたのが最初のイスラエル訪問の機会。その時は、あまり「行きたい主張」をしなかったので、雲散霧消したが、今回は「行きたい主張」を妻にした結果、イスラエル訪問が実現した。一週間も妻子を異国に残して旅行するなんて、イクメンからは程遠い。感謝の限りである。

さて、MBAの授業も終わり最後のSummer Termが始まる前にイスラエルという国を、Business Trekの一環で回れたことは、非常に意味があった。他にも溜まっているブログネタがあるのだが、イスラエルに関して先に記載しようと思う。全3回、歴史、政治状況、スタートアップ、に渡る。1回目は歴史について(ちなみに、以下の記述は大体現地のガイドの話か、ウィキペディアか、塩野七生の本からの知識であることを断っておきたい)。歴史を知らないと、「トランプがエルサレムをイスラエルの首都を認める」と宣言したことの何が問題なのか分からない。から記載したいというのは建前で、本音は私のイスラエルに来たいと思った最大の理由が「男のロマンが詰まった歴史的な意義がある場所を訪れたい」であるからだ。なぜ男のロマンかというと、ライオンハート・リチャードやサラディン、テンプル騎士団等、心くすぐる固有名詞がたくさんあるからだ。ライオンハートは日本語では獅子心王、英語ではRichard the Lionheart、カッコよすぎる。イスラエル人には「いやいや、日本の方が侍とか忍者とかロマンだろ」と言われそうだが、「男のロマン」は日本語だろうからまぁいいだろう。ちなみに同行した同級生のドイツ人に「チュートン騎士団(Teutonic Order)がドイツの起源だよね?」と聞いたら「まぁ、間違ってない」との話だったので、ドイツもエルサレム発のロマンの国ということに勝手にしておきたい。

ライオンハート・リチャード(ロンドンにあるのに、まだ直接見てない。。。)

そもそも、イスラエルという国自体は1948年に建国されている。であるのに、なぜ歴史的な意義があるのかというと、そこが聖地と呼ばれる重要な地であり、それが故に民族や宗教による衝突が度々発生しているからだ。この新しい国でありながら、歴史的重要性を内包している、というのが興味を引く部分であり、昨今の中東情勢に関わる部分なのだが、それは次の回に。イスラエルを語る際にユダヤ教を切り離すことはできない。その成立はかの有名なモーセが紀元前1280年頃に出エジプトを実施して、シナイ山で神ヤハウェと契約を結んだことによる。現代のイスラエル人もユダヤ人が多数を占めるとはいえ、多民族国家。古代イスラエル人もいわゆる12氏族からなり、結果としてその内の「ユダ」族を含む2氏族からなる国がユダ王国であり、この国が滅亡後にユダヤ教団を設立した(紀元前539年)。そして、その都がエルサレムであり(英語ではJerusalem、発音はジュルーサレム)、かつてはエルサレム神殿が紀元70年にローマ帝国に破壊されるまで存在した。地図を見ると小高い丘の上にあるので、戦略的要地だったのだろうと推測されるし、実際ユダ王国より昔から重要地であったようだ。そういう歴史からユダヤ教にとって非常に重要な聖地なのだと思う。

現在、エルサレムはイスラエルが首都と認定しているが、国連は認めていない、それはパレスチナとの問題があるからだ(現在の話は次回)。つまり前出のトランプの言はイスラエルとパレスチナの関係に油を注ぐという事で、非難されているのだろう。東エルサレム、西エルサレム、そして旧市街に分かれている。西エルサレムはイスラエル支配で近代的ビルが立ち並びStart-upも盛ん、東エルサレムは元々ヨルダン支配で、1967年の第3次中東戦争以後はイスラエル支配だが、パレスチナ自治区が首都とみなしている。そして、旧市街が最も歴史的場であり、これがイスラエルの特徴の元であると言っても過言ではない。旧市街もざっくり以下のように4つに分かれている。嘆きの壁や聖墳墓教会は訪れることができたが、岩のドームへは時間的な入場制限があって訪問できなかった。岩のドームは地図のようにイスラム教管理下にある。ちなみにテンプル騎士団の名前の由来はエルサレム神殿の「神殿」=「テンプル」で、元本拠地は壁内にあるため、現在はイスラム教管理下。

旧市街全景ここから拝借

嘆きの壁はエルサレム神殿の名残であるため、ユダヤ教にとっては最も神聖な場所で、男女別に入る必要があり、多くの信徒が祈りを捧げている状況を見ることができた。嘆きの壁はイスラエル管理下。

嘆きの壁とその横にある礼拝所へ入る子供達
嘆きの壁と2019 Cambridge MBA Israeli Trek 参加者(アメリカ人、メキシコ人、イギリス人、ドイツ人、ポーランド人、ロシア人、インド人、シンガポール人、中国人、日本人、等々)

聖墳墓教会はローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世が325年頃に、キリストの磔刑の場所ゴルゴタに教会を建てることを命じたもの。よって、キリスト教にとっては非常に重要な地で、キリスト教内のカトリックや東方正教会など複数の教派が共同管理していて、それぞれの教派によって教会内の重要な場所も異なる。また、ローマ帝国時代に作られたものや十字軍時代に作られたものが混在していて歴史の移り変わりを感じる。

キリストの身体が埋葬のために準備された場所であると言われている石物を触る人々
アルメニア使徒教会にとって重要な聖ヘレナ教会

ローマ帝国滅亡後は基本的にイスラム教徒により支配されていたため、本教会も破壊された歴史があるのであろうが、部分的にしろ残存している(ローマ帝国時代の柱と十字軍時代の柱が不自然に並んでいた)ことが素晴らしい。おそらく、イスラム教徒支配下であっても寛容で他文化他宗教等の多様性を受け入れる気風があったのであろう。実際、イスラム教支配下の時代でも、ヴェネチア共和国などはエルサレムへの聖地巡礼パックツアーなるものを販売していて、ヨーロッパのキリスト教徒も聖地巡礼できたようだ。そして、度重なる十字軍が、むしろ、そのような寛容気風を壊してしまったとも言えるかもしれない(十字軍側はムスリムを虐殺したが、サラディンはキリスト教徒虐殺をしなかったと言われている)。現在も旧市街を4つに分けることで、異なる宗教が共存するための努力をしているように見える。実際、旧市街を回っていても、特に衝突が発生するようには見られない(まぁ、それは観光地化しているからかもしれないが・・・)。ちなみに十字軍の歴史的意義は、宗教的なものよりも、アラブ側の当時の最新技術がヨーロッパにもたらされたという東西交流の促進にあるという記述をよく見る。

別日に訪れたのはマサダ要塞。死海の辺りにあり、いわゆるWest Bank(パレスチナ自治区)の近くにある。

マサダ要塞場所(マサダ山頂上遺跡群)(点線はパレスチナ自治区、いわゆるWest Bank)

この地は70年にエルサレムがローマ帝国軍により陥落された後、最後の抗戦地となった。イスラエル国防軍士官学校卒業生は山頂で「マサダは二度と陥落せず」と唱和するようで、我々も多くの国防軍の兵士を見ることができた。難攻不落というのがよく分かる切り立った崖の上にあり、蛇の道と呼ばれる細い登山道を通らないと頂上へは行けない(ちなみには今はロープウェイが整備されているらしいが、訪問時は知らなかった。)。

マサダ要塞からの死海と朝焼け
切り立った崖、蛇の道とイスラエル国防軍兵
唱和する士官学校卒業生と思われる若者たち

前日にはべトゥイン人(古代から存在する遊牧民族、しばしば歴史に傭兵(と言うと怒られるかもしれないが)として登場する)のテントに泊まった(観光目的の場所であると思われる)のだが、そこで国防軍の一団もおり、2名の、おそらく士官学校生と思われる女性(大学生くらいの年齢か)と会話する機会があった。どこから来たのか?と聞かれて、「イギリスのCambridge大学だけど、世界中から来ているよ」と返したら、「私もCambridge大学に入りたいんだけど、英語ができればいいのかな?」と聞かれ、「イスラエル人ならDiversityの観点からもMBAとしては歓迎だろう、ましてや軍隊経験があればなおさら」と話したら喜んでいたのが印象的だった。

それにしても、Nationalismが再度台頭し始めて、Diversityが叫ばれている昨今、歴史的にも、また旧市街の現状からも他文化他宗教間の均衡を、現地の人たちのレベルでも、うまく保っているように見える。「融合ではなくて均衡が大事」と言ったのはジョン・ルイス・ギャディス。翻って、日本は。ちょうど、ガイドの人が8月に日本に行くと言うので、お勧めの場所を聞いてきた。「伊勢神宮あたりが良いのでは?」と言う話から、日本では初詣は神道でお墓は仏教の場合が多いと言う話をして、ガイドのイスラエル人は非常に興味を持ったようだ。これって、多様性を受け入れる文化の一形態だと思うのだが、どうだろう??ローマ人も、ローマの神々、ギリシャの神々、ガリアの神々を統合して祀っていた、これは日本と似ていると言ったのは塩野七生。

(イスラエル訪問時は外務省の危険情報を確認した上で、個人の責任でご訪問のこと)