2013年にIBMがイスラエルのサイバー・セキュリティー会社、Trusteerを買収した際に日本で統合の支援をした。その時、上司に「ワカ、イスラエルとりあえず行っとく?」と言われたのが最初のイスラエル訪問の機会。その時は、あまり「行きたい主張」をしなかったので、雲散霧消したが、今回は「行きたい主張」を妻にした結果、イスラエル訪問が実現した。一週間も妻子を異国に残して旅行するなんて、イクメンからは程遠い。感謝の限りである。
さて、MBAの授業も終わり最後のSummer Termが始まる前にイスラエルという国を、Business Trekの一環で回れたことは、非常に意味があった。他にも溜まっているブログネタがあるのだが、イスラエルに関して先に記載しようと思う。全3回、歴史、政治状況、スタートアップ、に渡る。1回目は歴史について(ちなみに、以下の記述は大体現地のガイドの話か、ウィキペディアか、塩野七生の本からの知識であることを断っておきたい)。歴史を知らないと、「トランプがエルサレムをイスラエルの首都を認める」と宣言したことの何が問題なのか分からない。から記載したいというのは建前で、本音は私のイスラエルに来たいと思った最大の理由が「男のロマンが詰まった歴史的な意義がある場所を訪れたい」であるからだ。なぜ男のロマンかというと、ライオンハート・リチャードやサラディン、テンプル騎士団等、心くすぐる固有名詞がたくさんあるからだ。ライオンハートは日本語では獅子心王、英語ではRichard the Lionheart、カッコよすぎる。イスラエル人には「いやいや、日本の方が侍とか忍者とかロマンだろ」と言われそうだが、「男のロマン」は日本語だろうからまぁいいだろう。ちなみに同行した同級生のドイツ人に「チュートン騎士団(Teutonic Order)がドイツの起源だよね?」と聞いたら「まぁ、間違ってない」との話だったので、ドイツもエルサレム発のロマンの国ということに勝手にしておきたい。

そもそも、イスラエルという国自体は1948年に建国されている。であるのに、なぜ歴史的な意義があるのかというと、そこが聖地と呼ばれる重要な地であり、それが故に民族や宗教による衝突が度々発生しているからだ。この新しい国でありながら、歴史的重要性を内包している、というのが興味を引く部分であり、昨今の中東情勢に関わる部分なのだが、それは次の回に。イスラエルを語る際にユダヤ教を切り離すことはできない。その成立はかの有名なモーセが紀元前1280年頃に出エジプトを実施して、シナイ山で神ヤハウェと契約を結んだことによる。現代のイスラエル人もユダヤ人が多数を占めるとはいえ、多民族国家。古代イスラエル人もいわゆる12氏族からなり、結果としてその内の「ユダ」族を含む2氏族からなる国がユダ王国であり、この国が滅亡後にユダヤ教団を設立した(紀元前539年)。そして、その都がエルサレムであり(英語ではJerusalem、発音はジュルーサレム)、かつてはエルサレム神殿が紀元70年にローマ帝国に破壊されるまで存在した。地図を見ると小高い丘の上にあるので、戦略的要地だったのだろうと推測されるし、実際ユダ王国より昔から重要地であったようだ。そういう歴史からユダヤ教にとって非常に重要な聖地なのだと思う。
現在、エルサレムはイスラエルが首都と認定しているが、国連は認めていない、それはパレスチナとの問題があるからだ(現在の話は次回)。つまり前出のトランプの言はイスラエルとパレスチナの関係に油を注ぐという事で、非難されているのだろう。東エルサレム、西エルサレム、そして旧市街に分かれている。西エルサレムはイスラエル支配で近代的ビルが立ち並びStart-upも盛ん、東エルサレムは元々ヨルダン支配で、1967年の第3次中東戦争以後はイスラエル支配だが、パレスチナ自治区が首都とみなしている。そして、旧市街が最も歴史的場であり、これがイスラエルの特徴の元であると言っても過言ではない。旧市街もざっくり以下のように4つに分かれている。嘆きの壁や聖墳墓教会は訪れることができたが、岩のドームへは時間的な入場制限があって訪問できなかった。岩のドームは地図のようにイスラム教管理下にある。ちなみにテンプル騎士団の名前の由来はエルサレム神殿の「神殿」=「テンプル」で、元本拠地は壁内にあるため、現在はイスラム教管理下。

嘆きの壁はエルサレム神殿の名残であるため、ユダヤ教にとっては最も神聖な場所で、男女別に入る必要があり、多くの信徒が祈りを捧げている状況を見ることができた。嘆きの壁はイスラエル管理下。


聖墳墓教会はローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世が325年頃に、キリストの磔刑の場所ゴルゴタに教会を建てることを命じたもの。よって、キリスト教にとっては非常に重要な地で、キリスト教内のカトリックや東方正教会など複数の教派が共同管理していて、それぞれの教派によって教会内の重要な場所も異なる。また、ローマ帝国時代に作られたものや十字軍時代に作られたものが混在していて歴史の移り変わりを感じる。


ローマ帝国滅亡後は基本的にイスラム教徒により支配されていたため、本教会も破壊された歴史があるのであろうが、部分的にしろ残存している(ローマ帝国時代の柱と十字軍時代の柱が不自然に並んでいた)ことが素晴らしい。おそらく、イスラム教徒支配下であっても寛容で他文化他宗教等の多様性を受け入れる気風があったのであろう。実際、イスラム教支配下の時代でも、ヴェネチア共和国などはエルサレムへの聖地巡礼パックツアーなるものを販売していて、ヨーロッパのキリスト教徒も聖地巡礼できたようだ。そして、度重なる十字軍が、むしろ、そのような寛容気風を壊してしまったとも言えるかもしれない(十字軍側はムスリムを虐殺したが、サラディンはキリスト教徒虐殺をしなかったと言われている)。現在も旧市街を4つに分けることで、異なる宗教が共存するための努力をしているように見える。実際、旧市街を回っていても、特に衝突が発生するようには見られない(まぁ、それは観光地化しているからかもしれないが・・・)。ちなみに十字軍の歴史的意義は、宗教的なものよりも、アラブ側の当時の最新技術がヨーロッパにもたらされたという東西交流の促進にあるという記述をよく見る。
別日に訪れたのはマサダ要塞。死海の辺りにあり、いわゆるWest Bank(パレスチナ自治区)の近くにある。

この地は70年にエルサレムがローマ帝国軍により陥落された後、最後の抗戦地となった。イスラエル国防軍士官学校卒業生は山頂で「マサダは二度と陥落せず」と唱和するようで、我々も多くの国防軍の兵士を見ることができた。難攻不落というのがよく分かる切り立った崖の上にあり、蛇の道と呼ばれる細い登山道を通らないと頂上へは行けない(ちなみには今はロープウェイが整備されているらしいが、訪問時は知らなかった。)。



前日にはべトゥイン人(古代から存在する遊牧民族、しばしば歴史に傭兵(と言うと怒られるかもしれないが)として登場する)のテントに泊まった(観光目的の場所であると思われる)のだが、そこで国防軍の一団もおり、2名の、おそらく士官学校生と思われる女性(大学生くらいの年齢か)と会話する機会があった。どこから来たのか?と聞かれて、「イギリスのCambridge大学だけど、世界中から来ているよ」と返したら、「私もCambridge大学に入りたいんだけど、英語ができればいいのかな?」と聞かれ、「イスラエル人ならDiversityの観点からもMBAとしては歓迎だろう、ましてや軍隊経験があればなおさら」と話したら喜んでいたのが印象的だった。
それにしても、Nationalismが再度台頭し始めて、Diversityが叫ばれている昨今、歴史的にも、また旧市街の現状からも他文化他宗教間の均衡を、現地の人たちのレベルでも、うまく保っているように見える。「融合ではなくて均衡が大事」と言ったのはジョン・ルイス・ギャディス。翻って、日本は。ちょうど、ガイドの人が8月に日本に行くと言うので、お勧めの場所を聞いてきた。「伊勢神宮あたりが良いのでは?」と言う話から、日本では初詣は神道でお墓は仏教の場合が多いと言う話をして、ガイドのイスラエル人は非常に興味を持ったようだ。これって、多様性を受け入れる文化の一形態だと思うのだが、どうだろう??ローマ人も、ローマの神々、ギリシャの神々、ガリアの神々を統合して祀っていた、これは日本と似ていると言ったのは塩野七生。
(イスラエル訪問時は外務省の危険情報を確認した上で、個人の責任でご訪問のこと)