MBA生最大の悩み、Post MBA(後編)を記載するべきなのだが、脇道にそれて2回目となっている。。生きていると「自分が忘れないうちに記載しておこう」と思うものが出てきてしまう。就活の話も早く記載しなければと思う(どんどん忘れていくし)。とは言え、今回は少しは就活に関係があるか?
「アート」と聞くと皆様はどうイメージするだろうか?やはり挿絵に使った「最後の晩餐」のような美術作品だろう。私もそうだ。ちなみに好きな作家に、原田マハさんがいらっしゃる。特に「楽園のカンヴァス」が好きだ。彼女のおかげで美術の見方が少し変わった、映画の見方も。「キネマの神様」は志村けんさんで見たかった。ご冥福をお祈りいたします。また、話が逸れたが、、実は「アート」に関しては疑問に思っていたことがある。「政治はアートだ」という言葉だ(知らなかったが、陸奥宗光の言葉のようだ)。なぜ芸術という感性的なアートが政治なのだろうか?と思った(思いますよね??)。実は大好きな塩野七生さんの本にもしばしばアート(塩野さんの本では「アルテ」)について記載がある。
商売を効率良くやっていくには政治、外交、軍事のいずれの面でも、非常にきめの細かい技を駆使しなければならず、そのようなアルテ(技術)は、作品を残すアルテ(芸術)に比べて、才能としても、少しも劣るものでないことを知っていた(海の都の物語 ―― ヴェネツィア共和国の一千年)
民族の興亡のはじめには経済力の強大が来、次いで政治力の成熟が訪れる事実が、証明してくれるようです。つまり、人間が、自らの智恵をしぼってやるに値する「技(アルテ)」なのです。(マキャベリ語録)
ヴェネチアの話を見ると「ビジネスはアート」という事は前提のようだし、マキャベリも「政治はアート」みたいなことを言っているようだ。そして、「アート」は「技」という事か。これは塩野さんの本にも記載があるが、アートの語源はラテン語のarsであり、ギリシャ語では自然に対比される人間の技や技術の事のようだ。これはMBA、というよりイギリスの大学に行ったことで理解できた。イギリス(欧米は全部そうかもしれないが)の学位の欄には大別して「BA」と「BS」という物がある。これはなんだ?と思うと、BAはBachelor of ArtsでBSはBachelor of Scienceだ。この場合Artは当然芸術ではなく、哲学や、音楽、言語学など人間が作り出したもの。歴史もここではArtsに含まれる(そうすると以前記載したエドワード・H・カーの「What is history」に対する考察と異なるが一般化するという意味で歴史がScience的な考え方をするという主張は上記の分類学的な話とは別だと考えたい)。ちなみにリベラルアーツ(Liberal Arts)はArtsやScienceを学ぶ前の基礎的な学問の位置づけだ。だから、Scienceを学ぶ前に文の書き方や説得力の向上を狙う”英語”の授業があるのは当然だ。私も慶應大学の3年生で、Technical Writing という授業を受けて、理系における文章の書き方を習った。
純ドメ日本人が必ず悩む「私の大学の学位ってBA?BS?どっち??」というのもこの考え方の違いからくる。理系と文系という考え方がイギリスにはない。乱暴に言えば、理系も文系もScienceでNatural Scienceが理系でSocial Scienceが文系だが、歴史はどっちでもないので注意が必要だ。
上記の文脈から明らかに「政治はアート(という学問の分類だ)」と言える。が、陸奥宗光や塩野七生はそういうことを言いたかったわけではないと思う。同じように上記の文脈から、「アートは人々が努力して作り上げてきた技」ともいえると思う。よって、「様々な要素を考慮して、きめ細かく知恵を絞って実行する技(アート)が政治だ」ということで、「それは芸術家が芸術を作り出すときの作業に劣らない」という事だと思う。男性は歳を重ねると芸術的な作業をしたくなるようだ。なぜ男性だけなのかは分からないが、歳を重ねることで自分の中に様々な要素が溜まっていく。それが混ざり合うことで良い作品が出来上がるのだと思う。アートなので、感性が必要だというのも、単純だがその通りだと思う。結局は感性も「様々な要素を考慮して、きめ細かく知恵を絞って」という事から発現するものだと思う。つまり、芸術も「センスや才能」というような一般的にどうすれば手に入れられるか分からない物に左右されるのではなく、人間の努力の産物だということだと理解している。よって、「ビジネスにアートが必要」と言われる場合、ビジネスに感性や芸術家的な要素が必要だという狭い意味より、もっと広い「人間の技」が必要だということだと思う。
そういう意味ではビジネス、特に経営もアートだと思う。MBAを卒業して経営に近いところで仕事をさせていただいているが、考える範囲や要素がMBA前と比べて莫大に増えた、世界、地政学、技術の範囲、地球環境、等々。ありがたい事である。このような膨大な要素を考える時、フレームワークや方法論は役に立たないと思う(当然ある特定の領域を整理する上では役立つ)。まさに芸術家のように(って、芸術家になったことはないので分からないが)頭の中にある経験や知識をなんとかして統合して形作っていくという非常に疲れる作業の継続が必要だと痛感している。