ビジネスにアートは必要か??ヴェネチア人の考え等

MBA生最大の悩み、Post MBA(後編)を記載するべきなのだが、脇道にそれて2回目となっている。。生きていると「自分が忘れないうちに記載しておこう」と思うものが出てきてしまう。就活の話も早く記載しなければと思う(どんどん忘れていくし)。とは言え、今回は少しは就活に関係があるか?

「アート」と聞くと皆様はどうイメージするだろうか?やはり挿絵に使った「最後の晩餐」のような美術作品だろう。私もそうだ。ちなみに好きな作家に、原田マハさんがいらっしゃる。特に「楽園のカンヴァス」が好きだ。彼女のおかげで美術の見方が少し変わった、映画の見方も。「キネマの神様」は志村けんさんで見たかった。ご冥福をお祈りいたします。また、話が逸れたが、、実は「アート」に関しては疑問に思っていたことがある。「政治はアートだ」という言葉だ(知らなかったが、陸奥宗光の言葉のようだ)。なぜ芸術という感性的なアートが政治なのだろうか?と思った(思いますよね??)。実は大好きな塩野七生さんの本にもしばしばアート(塩野さんの本では「アルテ」)について記載がある。

商売を効率良くやっていくには政治、外交、軍事のいずれの面でも、非常にきめの細かい技を駆使しなければならず、そのようなアルテ(技術)は、作品を残すアルテ(芸術)に比べて、才能としても、少しも劣るものでないことを知っていた(海の都の物語 ―― ヴェネツィア共和国の一千年

民族の興亡のはじめには経済力の強大が来、次いで政治力の成熟が訪れる事実が、証明してくれるようです。つまり、人間が、自らの智恵をしぼってやるに値する「技(アルテ)」なのです。(マキャベリ語録

ヴェネチアの話を見ると「ビジネスはアート」という事は前提のようだし、マキャベリも「政治はアート」みたいなことを言っているようだ。そして、「アート」は「技」という事か。これは塩野さんの本にも記載があるが、アートの語源はラテン語のarsであり、ギリシャ語では自然に対比される人間の技や技術の事のようだ。これはMBA、というよりイギリスの大学に行ったことで理解できた。イギリス(欧米は全部そうかもしれないが)の学位の欄には大別して「BA」と「BS」という物がある。これはなんだ?と思うと、BAはBachelor of ArtsでBSはBachelor of Scienceだ。この場合Artは当然芸術ではなく、哲学や、音楽、言語学など人間が作り出したもの。歴史もここではArtsに含まれる(そうすると以前記載したエドワード・H・カーの「What is history」に対する考察と異なるが一般化するという意味で歴史がScience的な考え方をするという主張は上記の分類学的な話とは別だと考えたい)。ちなみにリベラルアーツ(Liberal Arts)はArtsやScienceを学ぶ前の基礎的な学問の位置づけだ。だから、Scienceを学ぶ前に文の書き方や説得力の向上を狙う”英語”の授業があるのは当然だ。私も慶應大学の3年生で、Technical Writing という授業を受けて、理系における文章の書き方を習った。

純ドメ日本人が必ず悩む「私の大学の学位ってBA?BS?どっち??」というのもこの考え方の違いからくる。理系と文系という考え方がイギリスにはない。乱暴に言えば、理系も文系もScienceでNatural Scienceが理系でSocial Scienceが文系だが、歴史はどっちでもないので注意が必要だ。

上記の文脈から明らかに「政治はアート(という学問の分類だ)」と言える。が、陸奥宗光や塩野七生はそういうことを言いたかったわけではないと思う。同じように上記の文脈から、「アートは人々が努力して作り上げてきた技」ともいえると思う。よって、「様々な要素を考慮して、きめ細かく知恵を絞って実行する技(アート)が政治だ」ということで、「それは芸術家が芸術を作り出すときの作業に劣らない」という事だと思う。男性は歳を重ねると芸術的な作業をしたくなるようだ。なぜ男性だけなのかは分からないが、歳を重ねることで自分の中に様々な要素が溜まっていく。それが混ざり合うことで良い作品が出来上がるのだと思う。アートなので、感性が必要だというのも、単純だがその通りだと思う。結局は感性も「様々な要素を考慮して、きめ細かく知恵を絞って」という事から発現するものだと思う。つまり、芸術も「センスや才能」というような一般的にどうすれば手に入れられるか分からない物に左右されるのではなく、人間の努力の産物だということだと理解している。よって、「ビジネスにアートが必要」と言われる場合、ビジネスに感性や芸術家的な要素が必要だという狭い意味より、もっと広い「人間の技」が必要だということだと思う。

そういう意味ではビジネス、特に経営もアートだと思う。MBAを卒業して経営に近いところで仕事をさせていただいているが、考える範囲や要素がMBA前と比べて莫大に増えた、世界、地政学、技術の範囲、地球環境、等々。ありがたい事である。このような膨大な要素を考える時、フレームワークや方法論は役に立たないと思う(当然ある特定の領域を整理する上では役立つ)。まさに芸術家のように(って、芸術家になったことはないので分からないが)頭の中にある経験や知識をなんとかして統合して形作っていくという非常に疲れる作業の継続が必要だと痛感している。

1歳児の8泊9日クルーズ旅行;アドリア海クルーズ

地中海の女王をご存じだろうか?言わずと知れた(?)ヴェネチア共和国の事である。なんとも男のロマンが詰まった国だと思う。大航海時代に、海賊、クルセイダー(十字軍)、ドーシェ(元首)、サン・マルコ、多様な物産と人が集まる交易国家等々。そんなロマンを感じたければ是非、塩野七生の「海の都の物語ーヴェネチア共和国の千年」をご一読いただきたい。この本を読んでから、常々訪れたいと思っていたヴェネチア、唯一感じる事が出来たのは初バイトの時にOpen前から行っている、ディズニー・シーだ。テーマパークであれほど素晴らしいのだから、本物はすごいだろうと期待していた。案の定素晴らしかった!!(イギリスと違い)ご飯もおいしいし、細い道と水路、イケてる橋、急に現れる広場、周りに見える小島々。空から見るとまさに海の中の都市。昔の人はこの国(都市)をどのような思いで見ていたのだろう。ロマンですな。

「ヴェネチア共和国」の画像検索結果
かつて、地中海の最強国家と言われていた
飛行機からのヴェネチアの写真、天気悪いが、これを見たときは感動した。ちょうど上の絵の左の方からこの写真に写っている道路が伸びてる

そんなかつての大交易国家からのクルーズ旅行がケンブリッジMBA最後のイベントだった。

クルーズ旅行と言うと、大豪華客船でセレブリティが夜な夜なパーティとカジノに明け暮れる超上流階級の旅行だと、日本だと思われがちであるが、そんなことはない。そこはさすがヨーロッパ、様々なランクのクルーズ旅行がある。私たちが利用したのは主に、ファミリー層向けと言われている、MSCクルーズとコスタだ。コスタはハネームーン時に利用し、MSCは今回利用した。基本的な船の構造は一緒。レストランがあり、プールがあり、バー、ショップ、カジノ、ミュージカルホールがある。値段もほぼ同じだ。違いは、コスタの方が少し豪華な船内で、MSCの方が料理がおいしい。コスタには複数のレストラン(追加料金要)があるが、MSCはメインのレストランのみだ。しかし、コスタは毎日の食事が楽しみではなかったが、MSCはそれなりにおいしく、楽しみにレストランに行けた。子供向けの料理もあり、味見したが結構おいしかった。娘は買ってきた離乳食と柔らかいパンしか食べなかったけど。そろそろ食の好き嫌いが出てきて、困る時期で離乳食を拒否したりする。それでもパンはずっと食べ続けるので、とりあえずパンを常備していれば安心ではある。あと、なぜかブロッコリーが好きで、レストランでも出てくるのでそれを食べさせた。妻曰く、何かのサイト情報で、「ブロッコリーを食べていればとりあえず大丈夫」と記載があったようで、まぁならいいか、と。。

”Why?”をクルーズのレストランで優雅に(?)している食事中の娘、髪がないけど、女の子です。半年たった現在も髪増えたのに、男の子に間違われます。
こちらは2014年に乗ったコスタの船の写真、こう見ると大きい。

MSCはサービスがひどかった。部屋についたらカードキーが利かず、ポーターやサービスデスクに何回もお願いしに行って2日目にようやくカードキーを取り換えてくれた(その間、鍵自体が壊れているから直す等々でカードキーを交換してくれなかった)。また、船内ところどころエレベーターのボタンがはがれていたり、残念なところがある。そういうのを気にする場合はコスタの方がよいだろう。豪華感はコスタの方が高い。部屋は少し高くても窓側をお勧めする。船内の窓がない部屋だと圧迫感がすごいと想像される。今回はダブルベットに親子3人で川の字で寝た。

コスタで寄港した港町(ちょっと当時と違うが)、ラ・スペツィアからはフィレンツェに行ける。記載がないが、ベネツィアを含む4大海洋都市国家のジェノバにも寄港して、そこが妻と私の一番のお気に入りだった。

ハネムーンの時はドバイ経由の飛行機でバルセロナ発クルーズだった。12月31日に日本帰国着の予定だったのだが、なんと帰国時のドバイのトランジットが飛行機遅れのせいで失敗して、エミレーツ航空の人に「Please come 24 hours later」と言われ、24 hours!!!?と思った。が、せっかくなので、ホテルを取りドバイ観光をした。保険で、ホテル代等々も落ちた。しかし、年末年始ということで、ドバイは激混みで交通機関もあまり発達していなく(高いビルはいっぱいあるが、当時はそれに公共交通が追い付いていないイメージだった)飛行機に遅れるのでは?という心配性私のせいもあり、人生で初めて妻と喧嘩した。ハネムーンあるあるだが、これが今のところ唯一の喧嘩(なぜなら家庭では私が下だから。。)。

さてMSNの旅程は以下の通り。全て記載すると長くなるので今回はかいつまんで記載したい。

今回の旅程はアルバニアの代わりにサントリーニ島の上のミコノス島寄港

まずヴェネチアだが、ホテルが高い。今回もBooking.comで探した。Hotel universo e nordだ。これまでの平均を考えても少し高めの値段で泊ったのだが、建物は継ぎ足し感満載の迷路のような廊下で部屋も狭くて小汚い。しかし、ヴェネチア唯一の鉄道駅からは近く、幼児がいるとそういう部分はケチれないので仕方がない。到着日はMBA同級生のFrancesco(イタリア人、ヴェネチアの北、オーストリア近くが実家)に教えてもらったOsteria Bea Vitaへ。この界隈はあまり観光客も来ないエリアのようだが、水路わきにレストランが並んでおり、どれもいい雰囲気でおいしそう。そして、ちゃんとベビーチェアがある。本当、ヨーロッパにはどこにでもありますな、ベビーチェア。次の日は午後にクルーズ搭乗なので、サンマルコ広場等々の観光地を回った。とにかく人が多かった、スリに常に注意しながら街並みに感動してクルーズへ。微妙に港に行きにくく、タクシーを使ったのだが、実はモノレールがあることを後で知った。

左から二番目の日本ハチマキをしているのがFrancesco。MBA内で企画した酒Partyの一幕。
真ん中のハートマークがホテルの場所でその左となりが唯一の電車駅。右上の緑マークが夕食場所。左下がクルーズ船の寄港地だ。実は真ん中下の緑マークが複数あるところからモノレールが出ているのだが、後で知った。

ヴェネチア出港はロマン溢れる。ヴェネチアの大動脈と言われるカナル・グランデはさすがに通れないが、左手にヴェネチア本島、右手に群島を見ながらの出港だ。次の寄港地はクロアチアのSplit。初のクロアチア入国だ。GCPでクロアチアに行った日本人から、ここも料理がおいしいと聞いていた。ただ、Splitやドブロブニクはもはや観光地のクルーズ客狙いなので、基本高い。が、Splitでは頑張って歩いて探して少し離れたところのレストランŠperun trgで食事。値段もそこそこでおいしかった。

ヴェネチア出港時、娘は爆睡。

次の寄港地は今回のハイライトでもある、青と白の建物が有名なサントリーニ島だ!ここに行くまでは距離があるので、船内で過ごす日が1日ある。この間は、プールに行ったり、ベビースペースに行ったり、昼からビールを飲んで、ソーセージを食べたりしている。ちなみに、船内フードは基本料金に含まれていて、飲み物は個別に頼むか、飲み放題プランにするかだ。ハネムーン時は飲み放題プランにしたが、今回は娘がいて、妻も授乳中だし、それほど飲むタイミングもないだろうということで個別にした。それでも、寄港地では毎昼ビールを飲ませていただきましたが。

今回の船内写真がなかった。これは2014年のコスタの船内写真。クリスマスの日の一幕だ。

さて、サントリニー島。クルーズ旅行の利点はなんといっても、寝ている間に移動してくれ、大きな荷物を持ち歩かなくてよいことだ。一方で、欠点は船の出港時間は決まっているので、あまり観光の時間がないということだ。寄港地毎にExcursionと呼ばれるオプショナルツアーが用意されている。クルーズからサントリーニ島の港へは小舟のピストン輸送ということで、並ばないといけないのだが、ツアー(Excursion)だと優先的に小舟に乗ることができる。よって、よい旅程があればそれを申し込んだのだが、サントリニー島では今回行きたいメインのOia(イア)のみのExcursionがなく、個人で行くことにした。その場合、小舟の整理券を取るために事前に並んだ。無事、一番早い船の整理券を得ることができた。小舟の寄港地からはケーブルカーで頂上の町Pyrgosへ行き、そこからバスでOiaだ。

右下が船がとまる町、そこからバスで40分ほどで左上のOiaが白と青の家々で有名な場所だ

Oiaは期待通り美しい町だった。一通り回って、レストランへ行った。ツアーだとレストランに寄る時間があるものがなく、是非この美しい街並みと海岸を背景にお昼を食べたかったので、これがハイライトのハイライトだ。この時もいくつかレストランを回り決めた。ギリギリ最後の一つに残っていた窓辺の席に座れ、本当に優雅で最高のひと時を過ごし、気持ちも高揚した!!しかし、この後まさか、あんなことが。。。

いい場所だったが、GoogleMap上だとどれか分からなかった。行けば分かると思うけど。。
景色と相まって、絶品

油断した。。ビールも飲んで大分気分が良い中、財布を適当にバックに入れてしまったのだ。。帰りのケーブルカーに乗るときにお金を払うために財布を探したところ、なくなっていた。スラれたのか落としたのか定かではないが、これまでMBA期間中何回もスリが多いところに行ったが、何も問題がなかった。それが、最後の最後でこの失態。妻も私も気持ちが落ち込んでしまった。幸い、妻のカードは別の財布に入れていたので、それで今後の支払いを実施した。本当に、海外旅行は常に気持ちをしっかり持っていないといけないと、改めて、思った。この後、夜にミコノス島に寄港したのだが、外に出る元気もなく、戒めも含めてこの日は船内で待機した。

気持ちをもどし、次の寄港地ドブロブニクでは楽しんだ。魔女の宅急便の町と言われているドブロブニク。この城塞都市はかっこよかった。この時ブランチ(というかワインを飲んだだけだが)をドブロブニクを望む山にあったRestaurant Panoramaで、お昼を城壁内で食べた。しかし昼食前、娘が私の抱っこ紐を嫌がり、妻が抱っこ紐をしていたのだが、もうこの歳の幼児の重さは女性にはつらかったようで、お昼はすぐに見つかる大通り沿いで食べてしまった。正直味はいまいち、お金は高い。この後、元気になって少し路地裏を散歩した。明らかに、そこの方が雰囲気もよくよさげなレストランがたくさんあった。やはり、レストランは路地裏に限る。ドブロブニクは残念ながらもう観光地化しており、非常に多くの人、少し趣きが足りなかった。以前ハネムーンで行った、フィレンツェも人でごった返しており、同じ感じを受けた。それでもドブロブニクは行きたい場所だったので、観光することができてよかった。

ドブロブニクの城壁を見下ろすレストラン、予約なしで入れた
間違いなくここら辺の路地裏お店がいい

一方で、最後の寄港地イタリア・アンコーナは期待していなかった事もあり、非常に我々の点数が高かった。まず、町がガヤガヤしていなくて穏やかで、海も穏やか。路地も小奇麗ながらも昔の街並みが残っていてカワイイ。丘にある教会や壁も遠くから見るとカッコよく、往時はサラセンの海賊の接近をここから注視していたのかと思わせる(本当にそうかは知らない)。食事も街中の歩道のテラスで。おいしかった。

最後にヴェネチアに戻り、ヴェネチアングラスで有名なムラーノ島へ行こうと思っていた。が、なんと、スーツケースが出てこない。。クルーズでは下船の前日にスーツケースを部屋の外に出しておくOperationで、それを下船後に受け取る。しかし、既定の順番になっても出てこない。。我々以外にも数名同じ状況の人たちが。。。大分時間が経って、スーツケースが出てきた。理由が分かった。順番を示すシールを縦に貼るべきものを横に貼ってしまっていたからだ。まぁ、貼り方が悪かったのだが、それくらい見て欲しい。。おかげでムラーノ島に行く時間はなく、と言いたいところだが、飛行機の時間を考えるとドダイ無理だったかもしれない。ムラーノ島に行く船はスリが多発地帯らしいので、この時は行かない方がよかったのかもしれない。ムラーノ島は諦めてゆっくり水路沿いで昼を食べ(この時も路地狙い)英国に帰国した。

このMBA生活で、私は10か国にVisitし、娘は1歳にして8か国を制覇した。ヨーロッパMBAの真骨頂?ですな。ありがたいことです。そして、改めて本当にスリには注意し、不要なカードや現金は別に保管しつつ、持つ場合も分散させるべきだと実感した。

リケ男とレキ男:なぜ歴史が好きか

私は歴史が好きで、理系男子なのだが、世の中は女性で歴史が好き、もしくは理系だとレキジョやらリケジョやら言われてもてはやされる(?)。私は残念ながらもてはやされた記憶はないし、リケ男、レキ男はなんともオタクっぽくて飲み会でもネタにならない。。。が、歴史はいい。歴史の本を読んでいると何か壮大なことを考えている気になるのでストレス解消にもなる(平均値と比較したらストレスは低いと思うけど)。しかし、総じてオタクっぽくなってしまう。例えば、史跡とかに行って、くどくどその史跡の事を語っている男子(というか、もうおじさんだがどちらにしろ・・・)を見たら皆様どう思われるか?同じことが理系男子にも言える。例えば、色付きの炎を発するロウソクを見ながら、「これはセシウムかルビジウムの色かな」とか言ってしまうかもしれない。

高校生で習う元素の炎色反応(セシウムとかないな。。。)

MBA受験中にエッセイを書く際には、自分を見つめなおすことになるが、その中で歴史という物の存在感は大きかった。(理系だが(??))歴史は好きだし、歴史の本を読むことも好きだし、歴史が自身の数々の判断の役に立ってきたとも確信している(一応この回でも後ろの方でビジネスとの関連を記載している)。ただ、なぜ「好きか」、なぜ「役に立つか」を明確に説明することがこれまで出来ていない。こんなに好きなのに。。今回も出来ていないが、今の自分の考えを記載しておこうと思った。

この話を始めるときにまず引用すべきはエドワード・H・カー(Cambridge大学卒)の「歴史とは何か」であろう。(ちなみに、何分20世紀半ばの本で、英語も分かりにくいのか、日本語訳も分かりにくく、私には読みにくかった。高尚な本だからなのであろう。)カーの最初の「歴史とは何か?」に対する答えは「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との尽きることを知らぬ対話」とのことだ。

エドワード・H・カー (1892年 – 1982年、私が生まれた年にご 逝去 ) 。「危機の二十年」という本でも有名。

抽象的で分かりにくいが、同じような抽象的なことは 2019年10月に邦語訳が出版された 「なぜ歴史を学ぶのか」という本の最後に記載されていた。 「生まれる前に起こった事柄に対して無知でいることは、子供のままでいることを意味している。なぜなら、人間の一生が価値を持つのは、それが歴史の記録によって先人たちの生きざまの中に組み込まれた場合に限られるからなのである」というキケロ(このローマ人(BC106-BC43)はユリウス・カエサルの文脈から見ると、ちょっといじめられて可哀そうな感じのおじさんなのだが、文学の世界では神のような扱いをされている人だ。)の話を載せている。 (ちなみにこの本にはCambridge大学の事がたくさん載っていて嬉しかった)また、 「サピエンス全史」で有名になった、ユヴァルさんの「ホモデウス」にも記載がある。「歴史を学ぶ目的は~過去の手から逃れることにある。~私たちはあちらへ、こちらへと顔を向け、祖先には想像できなかった可能性~~に気づき始めることができる」。こちらの方が少し具体的か。後半に記載のあること、つまり、「祖先よりも発展した事ができる」ことが歴史の目的ということだ。

BC63年ローマ元老院、 カティリナ弾劾演説。左で手を広げてしゃべっているのがキケロで、
彼の名前を有名にした演説。イタリアの国語教科書にも演説内容が載っているらしい。

過去より発展するためにはどうするか?この「なぜ歴史を学ぶか」に、19世紀後半に人が歴史を学んだ理由は「古典古代世界の共和制や民主制が抱えた諸問題や試みや失敗について無知でいるわけにはいかない」からだと記載がある。これが一番一般的に言われている、歴史を学ぶ理由ではないだろうか?過去の失敗を学ぶことで、同じ失敗を繰り返さない事、それによってより良い未来を創ること。過去の失敗から学ぶと出来るものは何だろうか?個人としては、してはいけない事(しない方がよい事)成功パターン等(明文化されなくても)を自分の中に蓄積することになると思う。その蓄積されたものに合わせて自身の行動を決めている。一般的には、それは、おそらく理論なのではないかと思う。 「大戦略論」にも「理論は歴史から抽出して構築するほかない」、「理論のおかげで、戦略家は絶えず歴史を振り返る必要性から解放される」と記載されている。つまり、理論(だけでなく、拡大解釈するとルールや規制)のおかげで、 我々は日々の判断や行動でいちいち深い考察をする必要がなく、脳のエネルギーを節約できる。確かに理系でも過去の偉人たちの研究を学んでいるわけで、その積み重ねの上で新しい理論が作られていく。そういう意味では歴史とは切っても切れない関係がある。

カーは「歴史とは何か」で「歴史を読む人間も書く人間も慢性的に一般化を行っている」し、歴史を「自分自身の時代に適用してみるもの」であり、「一般化が自然科学者を博物学者や標本収集家から区別する」と言っている。そして、この一般化こそが歴史をScienceに分類するものであり、歴史も物理学や他の理系学問とおなじScienceだと主張している。そういう意味でも「理論」という言葉はしっくりくる。余談だが、一方で量子力学(の(おそらく)ハイゼンベルグの不確定性原理)を引き合いに出して「主観との客観の双方」が観察している対象に影響を与えるが、これが歴史研究の観察者と観察対象にも当てはまるというのは「納得できない」と言っている。私としては、ここは関係ある方が面白いと思ったのだが、確かに量子レベルとマクロレベルで直接関係すると考えるのは早計過ぎるかもしれない。

ジャレッド・ダイアモンド(ハーバードとケンブリッジでは生理学専攻(理系)だが、現在は人類学(文系)の教授)も「危機と人類」で「科学の基本とは、現実世界を正確に描写し理解するという行為」と言っている。これはまさに文系も理系も共通してScienceだということであろう。

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日本で一番有名なジャレッド・ダイアモンドの本は「銃、病原菌、鉄」であろうか?

カーは「過去の諸事情に秩序を与え、これを解釈するーこれが歴史家の仕事ですー事ができるのであり、また、未来を眺めながら現在における人間のエネルギーを開放し、これを組織するーこれが政治家、経済学者、社会改革者の仕事ですーことが出来るのです。」 とも言っている。秩序と解釈がイコール理論ではないが、理論を構築するために歴史を学ぶ、というのは一定の納得感があるがどうだろうか?

一方で、現在の世の中では益々、歴史が必要になってきている、という記述もあった。前出の「なぜ歴史を学ぶか」で記載されていた19世紀の引用について、この時代にそんな事が必要なのはエリートだけ。つまり、この時代「歴史はエリートによるエリートのためのエリートについての」学問だったということだ。しかし、時をたつにつれて、歴史は「嘘を構成する事実誤認という霧のなかをかき分けて進む能力を高めてくれる」ものに変わった。 昨今のFake news(は本にも事実誤認の例として記載されているが)を何が正しくて何がそうでないかを判断する指針は(知識としての歴史が全て正しいとも限らないが)様々な歴史を学ぶことで判断ができるのではないかと思っている。

加藤陽子さんが書いた、「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」という本にも「現在の社会状況に対する評価や判断を下す際、これまた無意識に過去の事例からの類推を行い、さらに未来を予測するにあたっては、これまた無意識に過去と現在の事例との対比を行っています」と記載がある。これも判断する時には歴史の蓄積が良い指針になるということだろう。 ちなみにこの本は非常に面白くて、それまであまり読んでこなかった日本近代について読み始めるきっかけになった。

これらはちょうどAIがDeep Learningで確からしい答えに近づけるのに似ている(のは昨今のAIが人間の脳のメカニズムを模しているから当たり前かもしれないが)。 では、もし全ての歴史が間違っていたらどうするのか(教師データが間違っていたら)?という疑問がわくが、それはもう個人の力でどうにかできるものではないと思う。今でも多くの専門家の方が日々努力して、少しでも正しい歴史を記そうとしていて、我々素人は今の時代のその中で頑張るしかないのではないかと思う。

昨今のAIに使われているDeep Neural Network(DNN)。左のInput(質問)と右のOutput(答え)の組(データ)をたくさん与えることで、中のNeural Networkが最適化されていく。人間の脳も同じ構造。

ただ、少なくとも学校で習うより世の中は複雑だということが歴史を学び続けることで分かる。小学生の時は善と悪みたいな分かりやすい文脈の中で学ばないといけないので、非常に歴史を教える事も学ぶことも難しいと思う。世の中はそんな単純じゃないんだと分かったのは、ガンダムの1年戦争がガンダムの敵のザク側(ジオン公国)の独立戦争が発端だと知ってからだ。幕末なんか、坂本龍馬のように思想の変化で敵と味方がしょっちゅう変わるから、小学生の時は理解できなかった。最近読んでいる「教養としての「フランス史」の読み方」でも、フランス革命は 「「古い王政が~自由を抑圧して~市民が自由を求めて起こした革命」というほど単純であったわけではない」と記載がある。 むしろ王(政府)は自由市場主義を導入しようとしていたが、市民は自由主義より 、王の中央集権による安定的な政治を求めていた。しかし、特権階級(貴族)がそれを拒んだ。というような複雑な様相を呈していたようだ。(ちなみにフランス史について興味を持つことになったのは佐藤賢一の「双頭の鷲」から「小説 フランス革命(全10巻)」を読んでからだ。ちょうど最近ナポレオン三部作が刊行された。非常に面白いので是非。)

今読み中のナポレオン

このように人の世界は複雑で相手側にも色々な状況や思惑があるということを学ぶことは、他の文化を受け入れたり、人や国に対して寛容になることに役立つのではないかと思う。加藤陽子さんも「多くの事例を想起しながら、過去・現在・未来を縦横無尽に対比し類推しているときの人の顔は、きっと内気で控えめで穏やかなものであるはずです。」とも記載があり、他の文化や人に対する寛容さと同じことを言っているのだと思う。

追加で2点、これまでの考察に入らない記述を紹介したい。「ホモ・デウス」では、過去に意味のあったことが新たな時代では意味がなくなる過程を眺めることが重要とも言われている(本の中では”意味のウェブがほどけたり、新たなウェブが張り巡らされるのを見る事”と書かれている)。

「大戦略論」では「優れた知性の基準=二つの相反する考えを同時に持ちつつしかもきちんと働く」もので、「歴史とは人間には探知できない法則を反映している」そして「相入れない物事への適応が必要になる。これこそが歴史から学べることである」と言っている。

最後にビジネスとの関連を少しだけ。ビジネス書でも歴史の重要性が書かれている(?)本がある。ビジネス書や自己啓発書はほとんど読まない(大学生の時は読んでた)のだが、数冊ある本の中で一橋大学教授の楠木健さんの「ストーリーとしての競争戦略」(いわゆる「スト戦」)がある。10年前に父親に借りて読んだのだが、面白く、その後自分で購入した。久しぶりに読んでみたのだが、やはり面白い。と言うか、この人がユーモアがあって面白い。ここでは「戦略的思考を豊かにするためには、「歴史的方法」が最も有効です」と記載がある。ここでの「戦略」はビジネス書なので、「経営戦略」のことだ。楠木さんは「歴史が重要」と直言しているわけではないので、どのように思っているかは不明であるが、私個人がこの文脈から想像を広げる限り、「物事の因果関係的な思考を豊かにするには一般的な歴史をたしなむのが有効」と言いたい。楠木さんのブログを確認したが、歴史に対する記述は少なかった。ただ、彼が影響を受けたという米倉一郎元教授の回の話は、楠木さんの面白いキャラの一貫性が出ていてよいし、このような方とお友達ということは楠木さん自身も歴史に対して何らかの思いを持っているものと思う。この人のブログは短い、私のは長い。。やはりブログは短い方がいいのだろうか。。しかし、スト戦では「ストーリーは長い話」と記載があったので、ストーリーになっていれば長くてもいいはず、あくまでなっていれば。ちなみに「当時のITブームに相当するような華々しく見える事業機会は、今で言えば、環境技術やシルバーマーケットというところでしょうか」と記載がある。この文章から10年後、これから環境やAgingのビジネスを考えようとしている自分がいた。。。やはりその要素は抜いて、人への価値から考えるべきだと認識を改めた。

以下、私が歴史を好きになった経緯も載せておく。

歴史を好きになった最初のポイントは、小学生の時に「マンガ日本の歴史」を読んでからだ。多くの方がそうだと思うが、特に戦国時代あたりは面白くて何度も読んだ。戦国時代が面白かった理由は「戦術」の話があった事が一番だと思う。例えば、信長が今川義元の大軍に対して、少数でどのように勝利したかという部分だ。その他の部分に関しても、過去から現在に至るストーリーになっているので面白い。おそらく、人間は因果関係を面白いと思うのだと思う。一般的な小説もその因果関係の強さが面白味に重要だと思う。とは言え、それから次のステージに進むまでは10年ほど必要であった。

次の転換点は大学1年生の時だ。一般教養の選択授業でリーダーシップに関する何かしらの課題が出たため、「リーダーシップ」と図書館で検索した際に出会った本が塩野七生の「ローマ人の物語2巻、ハンニバル戦記」だ。このハンニバル戦記は大学生の男子の心をくすぐるには十分だ。なぜなら戦術に関する記載が満載だからだ。第1次ポエニ戦役において、それまで船を持たなかったローマ共和国が海洋国家のカルタゴにどう勝利したか。第二次ポエニ戦役におけるハンニバルのローマ共和国に対する快進撃における戦術のバラエティー。そして極めつけは第三次ポエニ戦役におけるハンニバルとスキピオ・アフリカヌスの決戦。これだけ心躍った本は「銀河英雄伝説」くらいかもしれない。この後、1巻からローマ人の物語を読み返して、大学院生まで全15巻、約4500ページを読破した。4巻と5巻ではユリウス・カエサルが登場し、ハンニバルと合わせて、戦略というものを知ったと思う。ここから、他の塩野七生の本を読んだり、他の歴史を読んだりし始めた。

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ハンニバルの大戦術が披露された戦いの一つ、カンネの戦い

24歳でIBMに入社するのだが、ローマ人の物語を読んだことで自分はローマの歴史を知り、戦略というものを知っている、ということが、(根拠の無い)自信になっていた。それもあって、歴史を読み続けていたのだと思う。(ちなみに塩野七生の本は歴史小説であって、歴史書ではない、と言われる。そうだとしても、本がカバーしている歴史については知ることができると思う)

カーが言っていた 「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との尽きることを知らぬ対話」 。歴史を読むことは自身が過去と対話をしているのだと思うだけで心が躍る。結局はそういう「勘違い(?)」であっても、個人の中で心躍る事が何かをする理由で、私の場合はその1つが歴史を読む理由なのだと思う。

今年は戌年!年男、自己紹介です

1年前に私はすごい発見をした!!(と思った)よくみんな「なんか1年が短く感じるなぁ〜。歳をとると1年が短いよねぇ〜」と言うが、それって理論的にそうだということが分かったのだ!例えば10歳の人にとって1年は「自分の人生の十分の一」。(実際は10歳〜11歳までで自分の人生も増えてるからこの限りじゃないけど、真面目にやると積分とかしないといけなそうだから省略。。。)30歳の人にとっては「自分の人生の三十分の一」。1年という時間は人が勝手に決めた概念なので、自分の人生という尺度に正直になれば1年の長さが人と違うのは当然じゃないか!!・・ということを発見したのです。ちょうど相対性理論か宇宙の何かの本を読み返しているときに思いついたので、「俺は天才!」と思い、早速会社のメールで何かのついでで提案チームの数名に同時に流したのだが、ある先輩から「それ俺小学生の時に気づいてたけど・・」と言われ、さらにググると19世紀にすでにジェネーという人が提唱していたらしい。。。なんのこっちゃ。。

そんなわけで、今年36歳になる私は年男で今一緒に勉強している皆様と比べると大分1年が短く感じる方なので、早いものでイギリスに来て4週間が経った。ここいらで、自己紹介を記載しておかないといつになる事やら。。。このトピックも、これまた今更書くかという感はあるが、これからMBA受験を目指される皆様が参照される際にも必要と思っていて、元々書く必要があると思っていた。がしかし、自身の感じた思いが新鮮なうちに記載したい内容もあったので、今日になってしまった。

誕生日は1982年11月11日なのだが、よく「ポッキーの日だね!」と言われる。10年前くらいからか?それまでは「1が4つで珍しいね!」と言われて、小さい頃からちょっと自慢だったので、ポッキーに座を奪われて悲しいのが本当の気持ち。。実は自慢するまでもなく単純に365分の1の確率でいるのだから、ざっと世界に2000万人は11月11日生まれがいるはず。でも今でも11月11日生まれは気に入っているのです。

さてさて、私は子供の頃から科学技術が好きで、それは魔法みたいと思っていたから。宇宙とかロケットとかタイムトラベル(すでにスティーブン・ホーキングの影響を受けてる)とかロボットとか人工知能とか。。その魔法を使いたいので、理系の勉強を進めていたと思う。また、母親の地元、静岡の島田市ではホームステイ先を提供していて(もう50年前くらいの話?)、母親は比較的海外志向が強かったので、私もそうなったと思う。その割にこの歳まで海外在住経験が無いというのは、、こっちにいる日本の同級生の経歴を聞くと、なんとまぁ自身の純ドメ(純ドメスティックの略、海外経験が無いか少ない人のことを指す留学用語)加減が伺える。

まぁそれで、ガンダム作るんだ!とか言いながら、慶應義塾大学の機械工学科に入学したわけだ。大学では部活をやっていて、理工学部の体育会系サッカー部、でも中高でやってないので純ドメ的な感じで入部。053

右から4番目が私、準備運動。勝手に載せてごめん、みんな。大学の1年の時はDisneyでバイトしていて、2年間経験している女子高生に「若林さんなんで何回説明してもわからないんですかぁ?」と言われた記憶がある。オペレーション複雑だったんだよなぁ〜、Disney。最近はジブリも昔より好きになったと思う。

そして、1年生の時にたまたま受講していた社会学の基礎の授業で「リーダーシップについて調べる」という課題があって、適当に図書館でリーダーシップで検索した時に塩野七生の「ローマ人の物語」に出会った。(http://www.shinchosha.co.jp/topics/shiono/bunko.html)これは結構運命的な出会いだったと思う。この本のおかげで歴史の本も結構読み、経済学や政治学にも興味を持てた。おかげで留学前の本棚はITの本は0なのに歴史の本は9割くらいを占めていた。「歴史の終わり」を書いたフランシス・フクヤマの「政治の起源」、「ビューティフルマインド」のシルビア・ナッサーの「大いなる探求(経済学の歴史みたいな)」も読んだ。(あと1割はガンダムとか、ビジネス書も数冊ある。自己啓発書は大学で読むのやめた)

本棚

ちなみにサインは人生で二つだけもらっていて、一つは塩野七生さんで、もう一つはSKE48の松井珠理奈。すごい年の差。。。ちょうど私が真ん中くらい??

塩野サイン

珠理奈色紙大学の研究室を決める前くらいに読んだ本で「創造する機械」という本があって、Nanotechnologyの本であるが、「おぉこれからはNanotechnologyだ!!」と思って、ナノの世界を研究してそうな研究室に入った。だから一応量子力学も知っている。そこで幸運にも筑波の、独立行政法人 産業技術総合研究所で、カーボンナノチューブを発見した飯島澄男さんの研究センターでアシスタント研究者みたいな(実際の肩書きとか忘れて。。)形で研究させてもらえた。海外の人との交流や最先端の研究ができたし、何よりも世界最高性能の電子顕微鏡で炭素原子が動くところを観察させて貰えた(原子を見た経験がある!!)のだからこれ以上の幸運はない。論文も出していただいた。(https://www.semanticscholar.org/paper/Imaging-active-topological-defects-in-carbon-Suenaga-Wakabayashi/7a5ebf038229b769a0f9ff259dd8afd0e48ac60f) (hideaki wakabayashi Natureで検索すると自分の論文が出てくるのがちょっと自慢、でも実はFirstじゃないのです。。)

ただ、やはりもう少し実際のビジネスよりの経験がしたいという思いがあったため、就職活動をすることに決めた。Technologyは好きなので、これは外せない。じゃぁBusinessとTechnologyを繋げる仕事をしようと思って、それをちゃんとやっているIBMへ就職した。(って、IBMがそれを予想以上にやってると知ったのは入ったあとだし、そもそも10個受けて2つしか内定もらってないけど。。)あと「海外」というのにも引かれていて、海外経験がしたかった。でも実は日本企業の方が海外経験できるじゃん!!って知ったのが最近なのは内緒(笑

入社してMBA受験が始まるまでは飲み会とゲームばかり(休日は10時間とか)していたと思う。飲み会に関しては大学の時に読んだコミュニケーションの本に飲み会の重要性が書いてあったので実践していた。これは悪くなかった。コミュニケーションのおかげでここまで来れた。偶然か必然か、ケンブリッジ大学MBAの同級生もみんなお酒が好き。ゲームは同期とオンラインでFPS系(以下の画像、前を走っている人は会社の同期)をやったり、

男達歴史系の洋物ゲームを、デスクトップPCでやっていた。今回のブログのトップに貼り付けたイメージはParadox Interactiveというスウェーデンの会社のゲームで、Europa Universalis 4というのだが1399年〜1820年までの全世界を1日毎にシミュレーションしている。ゲーム開始時のヨーロッパだから、スペインもフランスもGreat Britainもない。当然日本でもプレイできる。「俺様の強強国家が世界征服」みたいなプレイはできない。なぜなら強くなって攻めまくると全世界から悪者扱いされるからだ。弱小国で世間体を気にしながら細々と生きていくのも面白い。以下は留学前に売ったゲーム達。Hearths of Ironというのは第二次世界大戦の前後を1時間毎に全世界シミュレーションしているゲーム。ゲーム達

IBMには10年以上お世話になっている。(年男ですから。。)ちなみに研修は楽しすぎて、遊んだせいか、チーム内では最下位合格だった。所属長とアドバイザーには本当にご迷惑をおかけしたが、今でもお付き合いいただいていてありがたい限りである。最初にRational Technical Salesという職種に就かせてもらった。これも良かった。まずRationalがIBMに買収されて2,3年で、他の同期270人とは少し異なる環境におかれたこと、Technical Salesということで営業も技術も学べたこと。あと玉川憲さんという、IBM最後の社費でカーネギー・メロン大学にMBA留学し、その後AmazonでAWS(Amazon Web Service)の日本立ち上げ責任をして、IoTの雄、SORACOMを起業した方が所属していたこと。玉川さんは留学されていたので、実は一緒に仕事した期間は非常に短いのだが、留学前にお時間をいただくことができ、留学中のアドバイスを頂いた。ありがたい限りである。

仕事の方は、その後あるメガバンク様を担当させていただくことになり、数年してIT Architectという職種に就いた。この職種ではお客様環境と課題、IT技術、最新動向等を幅広く理解して、お客様にIT Solutionを提案することが求められる。求められていたが、私のレベルで実際どこまで出来ていたかは疑問。多くの方にご迷惑をおかけしつつも教えをいただいたと思う。とは言え、曲がりなりにも上記の仕事をしていたおかげで、本当に貴重な、色々な経験をさせて頂いた。買収会社のオペレーション改善でCulture Conflictを経験し、IBM Watson(IBMの人工知能)の日本初Projectも担当させてもらった。これはある意味すごくて、小さい頃の夢が叶ってる!!前出のように子供の頃、人工知能にも興味があった。ちなみに最近量子コンピュータが出てきて、量子力学のにわか知識が役に立ちそう。。

ここまでが今まで、他にもWhy MBAやWhy Cambridgeを記載しなければいけないと思うけど、最後にMBAを目指すきっかけだけ記載。IT Architectになって1年後くらい、4年前に初めての海外出張をさせて頂いた。Las Vegasへの出張で、IBMの1週間のConference参加、少しご褒美みたいなところもある。この時ついでにカルフォルニアのUC BerkeleyにMBA留学をしていた帰国子女の同期に会いに行った。まぁ軽い気持ちで。その時に私が「いいねぇ海外でそういう経験ができて、俺もそういうのしたいと思ってはいるんだけどねぇ・・・」と言ったら、彼女から「別にやればいいんじゃない?帰国子女じゃなくてもMBAの同級生いっぱいいるし」。塩野七生さんが言っていますが「歴史的なイベントが起こるときは、ダムのように、すでに水がギリギリまで溜まっているもの、そしてちょっとした出来事でそれが決壊する」私にとっての決壊(って悪いことじゃないけど)が正に彼女のこの一言でした。そこからがMBAを目指す、人生でも中々ハードな4年間の始まり。でも本当に良い4年間だったと思う。また次回。