「男のロマン」の果て(?)イスラエル紀行(上):歴史

2013年にIBMがイスラエルのサイバー・セキュリティー会社、Trusteerを買収した際に日本で統合の支援をした。その時、上司に「ワカ、イスラエルとりあえず行っとく?」と言われたのが最初のイスラエル訪問の機会。その時は、あまり「行きたい主張」をしなかったので、雲散霧消したが、今回は「行きたい主張」を妻にした結果、イスラエル訪問が実現した。一週間も妻子を異国に残して旅行するなんて、イクメンからは程遠い。感謝の限りである。

さて、MBAの授業も終わり最後のSummer Termが始まる前にイスラエルという国を、Business Trekの一環で回れたことは、非常に意味があった。他にも溜まっているブログネタがあるのだが、イスラエルに関して先に記載しようと思う。全3回、歴史、政治状況、スタートアップ、に渡る。1回目は歴史について(ちなみに、以下の記述は大体現地のガイドの話か、ウィキペディアか、塩野七生の本からの知識であることを断っておきたい)。歴史を知らないと、「トランプがエルサレムをイスラエルの首都を認める」と宣言したことの何が問題なのか分からない。から記載したいというのは建前で、本音は私のイスラエルに来たいと思った最大の理由が「男のロマンが詰まった歴史的な意義がある場所を訪れたい」であるからだ。なぜ男のロマンかというと、ライオンハート・リチャードやサラディン、テンプル騎士団等、心くすぐる固有名詞がたくさんあるからだ。ライオンハートは日本語では獅子心王、英語ではRichard the Lionheart、カッコよすぎる。イスラエル人には「いやいや、日本の方が侍とか忍者とかロマンだろ」と言われそうだが、「男のロマン」は日本語だろうからまぁいいだろう。ちなみに同行した同級生のドイツ人に「チュートン騎士団(Teutonic Order)がドイツの起源だよね?」と聞いたら「まぁ、間違ってない」との話だったので、ドイツもエルサレム発のロマンの国ということに勝手にしておきたい。

ライオンハート・リチャード(ロンドンにあるのに、まだ直接見てない。。。)

そもそも、イスラエルという国自体は1948年に建国されている。であるのに、なぜ歴史的な意義があるのかというと、そこが聖地と呼ばれる重要な地であり、それが故に民族や宗教による衝突が度々発生しているからだ。この新しい国でありながら、歴史的重要性を内包している、というのが興味を引く部分であり、昨今の中東情勢に関わる部分なのだが、それは次の回に。イスラエルを語る際にユダヤ教を切り離すことはできない。その成立はかの有名なモーセが紀元前1280年頃に出エジプトを実施して、シナイ山で神ヤハウェと契約を結んだことによる。現代のイスラエル人もユダヤ人が多数を占めるとはいえ、多民族国家。古代イスラエル人もいわゆる12氏族からなり、結果としてその内の「ユダ」族を含む2氏族からなる国がユダ王国であり、この国が滅亡後にユダヤ教団を設立した(紀元前539年)。そして、その都がエルサレムであり(英語ではJerusalem、発音はジュルーサレム)、かつてはエルサレム神殿が紀元70年にローマ帝国に破壊されるまで存在した。地図を見ると小高い丘の上にあるので、戦略的要地だったのだろうと推測されるし、実際ユダ王国より昔から重要地であったようだ。そういう歴史からユダヤ教にとって非常に重要な聖地なのだと思う。

現在、エルサレムはイスラエルが首都と認定しているが、国連は認めていない、それはパレスチナとの問題があるからだ(現在の話は次回)。つまり前出のトランプの言はイスラエルとパレスチナの関係に油を注ぐという事で、非難されているのだろう。東エルサレム、西エルサレム、そして旧市街に分かれている。西エルサレムはイスラエル支配で近代的ビルが立ち並びStart-upも盛ん、東エルサレムは元々ヨルダン支配で、1967年の第3次中東戦争以後はイスラエル支配だが、パレスチナ自治区が首都とみなしている。そして、旧市街が最も歴史的場であり、これがイスラエルの特徴の元であると言っても過言ではない。旧市街もざっくり以下のように4つに分かれている。嘆きの壁や聖墳墓教会は訪れることができたが、岩のドームへは時間的な入場制限があって訪問できなかった。岩のドームは地図のようにイスラム教管理下にある。ちなみにテンプル騎士団の名前の由来はエルサレム神殿の「神殿」=「テンプル」で、元本拠地は壁内にあるため、現在はイスラム教管理下。

旧市街全景ここから拝借

嘆きの壁はエルサレム神殿の名残であるため、ユダヤ教にとっては最も神聖な場所で、男女別に入る必要があり、多くの信徒が祈りを捧げている状況を見ることができた。嘆きの壁はイスラエル管理下。

嘆きの壁とその横にある礼拝所へ入る子供達
嘆きの壁と2019 Cambridge MBA Israeli Trek 参加者(アメリカ人、メキシコ人、イギリス人、ドイツ人、ポーランド人、ロシア人、インド人、シンガポール人、中国人、日本人、等々)

聖墳墓教会はローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世が325年頃に、キリストの磔刑の場所ゴルゴタに教会を建てることを命じたもの。よって、キリスト教にとっては非常に重要な地で、キリスト教内のカトリックや東方正教会など複数の教派が共同管理していて、それぞれの教派によって教会内の重要な場所も異なる。また、ローマ帝国時代に作られたものや十字軍時代に作られたものが混在していて歴史の移り変わりを感じる。

キリストの身体が埋葬のために準備された場所であると言われている石物を触る人々
アルメニア使徒教会にとって重要な聖ヘレナ教会

ローマ帝国滅亡後は基本的にイスラム教徒により支配されていたため、本教会も破壊された歴史があるのであろうが、部分的にしろ残存している(ローマ帝国時代の柱と十字軍時代の柱が不自然に並んでいた)ことが素晴らしい。おそらく、イスラム教徒支配下であっても寛容で他文化他宗教等の多様性を受け入れる気風があったのであろう。実際、イスラム教支配下の時代でも、ヴェネチア共和国などはエルサレムへの聖地巡礼パックツアーなるものを販売していて、ヨーロッパのキリスト教徒も聖地巡礼できたようだ。そして、度重なる十字軍が、むしろ、そのような寛容気風を壊してしまったとも言えるかもしれない(十字軍側はムスリムを虐殺したが、サラディンはキリスト教徒虐殺をしなかったと言われている)。現在も旧市街を4つに分けることで、異なる宗教が共存するための努力をしているように見える。実際、旧市街を回っていても、特に衝突が発生するようには見られない(まぁ、それは観光地化しているからかもしれないが・・・)。ちなみに十字軍の歴史的意義は、宗教的なものよりも、アラブ側の当時の最新技術がヨーロッパにもたらされたという東西交流の促進にあるという記述をよく見る。

別日に訪れたのはマサダ要塞。死海の辺りにあり、いわゆるWest Bank(パレスチナ自治区)の近くにある。

マサダ要塞場所(マサダ山頂上遺跡群)(点線はパレスチナ自治区、いわゆるWest Bank)

この地は70年にエルサレムがローマ帝国軍により陥落された後、最後の抗戦地となった。イスラエル国防軍士官学校卒業生は山頂で「マサダは二度と陥落せず」と唱和するようで、我々も多くの国防軍の兵士を見ることができた。難攻不落というのがよく分かる切り立った崖の上にあり、蛇の道と呼ばれる細い登山道を通らないと頂上へは行けない(ちなみには今はロープウェイが整備されているらしいが、訪問時は知らなかった。)。

マサダ要塞からの死海と朝焼け
切り立った崖、蛇の道とイスラエル国防軍兵
唱和する士官学校卒業生と思われる若者たち

前日にはべトゥイン人(古代から存在する遊牧民族、しばしば歴史に傭兵(と言うと怒られるかもしれないが)として登場する)のテントに泊まった(観光目的の場所であると思われる)のだが、そこで国防軍の一団もおり、2名の、おそらく士官学校生と思われる女性(大学生くらいの年齢か)と会話する機会があった。どこから来たのか?と聞かれて、「イギリスのCambridge大学だけど、世界中から来ているよ」と返したら、「私もCambridge大学に入りたいんだけど、英語ができればいいのかな?」と聞かれ、「イスラエル人ならDiversityの観点からもMBAとしては歓迎だろう、ましてや軍隊経験があればなおさら」と話したら喜んでいたのが印象的だった。

それにしても、Nationalismが再度台頭し始めて、Diversityが叫ばれている昨今、歴史的にも、また旧市街の現状からも他文化他宗教間の均衡を、現地の人たちのレベルでも、うまく保っているように見える。「融合ではなくて均衡が大事」と言ったのはジョン・ルイス・ギャディス。翻って、日本は。ちょうど、ガイドの人が8月に日本に行くと言うので、お勧めの場所を聞いてきた。「伊勢神宮あたりが良いのでは?」と言う話から、日本では初詣は神道でお墓は仏教の場合が多いと言う話をして、ガイドのイスラエル人は非常に興味を持ったようだ。これって、多様性を受け入れる文化の一形態だと思うのだが、どうだろう??ローマ人も、ローマの神々、ギリシャの神々、ガリアの神々を統合して祀っていた、これは日本と似ていると言ったのは塩野七生。

(イスラエル訪問時は外務省の危険情報を確認した上で、個人の責任でご訪問のこと)

初海外経験 Communication 指南書 – Social Event 編

マクロ経済学の授業で、授業中は同級生は積極的に手を挙げて発言する(日本の会社や社外の研修でも社会人はあまり発言しないけど、やっぱりそれは日本人だけ(?)みたい)、ので、先生はわざわざ生徒を当てて質問したりしない。・・・が、なぜか私だけ当てられる。今日まで2回授業があって、2回とも当たるという奇跡!!まぁ、偶々でしょうけど、、そして2回とも答えられないというww いや、まぁいいんです、、ネタになって。ちなみに授業自体は面白い。ちゃんと経済学の教授に習えるのがいいことです。

MBA受験を始めた頃は、「MBAに受かれば、それはもう英語が流暢にできる人間になっているんだろうなぁ〜」って思っていた。ですが、全然そんなことはなかったww むしろ受かってもこんなに出来ないものかと思う。上記の経済学も多分そのせい。この英語のせい(だけではないけど)で、最初の数日は少し衝撃を受けたのは間違いない。

ちょうどオリエンテーション期間が終わって、MBAが始まって2週間。やっぱりPre-sessionalはマイルドで、楽しかったので、MBAの2日目くらいまでは少し寂しかった。しかも、最初に行ったSocial event(飲み会)で大きな衝撃を受けた。これが噂の純ドメ衝撃(って今名前つけたんだけど・・・)ってやつです。いわゆるParty、会話の輪に頑張って入っても、同級生同士が会話していると何言ってるか分からない・・英語が早すぎる。。日本なら自分で会話リードしたりするのに、こっちじゃ無理。。それに比べて海外経験のある日本人同級生はしっかり輪の中で会話している。。なんてこった!!う〜〜ん、さすがに常にPositiveな私も1日目は少しDepressionして帰宅。。。ただ、最初にこれが経験できてよかったなと思い直した。

その後、海外経験(韓国)のある妻話すと、「私も最初は全然わからなかったなぁ〜」という、そして海外経験のある日本人同級生と話しても「私も実はわかってない」「その場にいるというのも大事かも」という。おぉ!!!そいうことか!!!ということで、Social eventに参加するときもとりあえず輪に入り、なんとなく会話。。というのを1週間も続けていると、、なぜか結構「Waka」「Waka」と言って、みんな話しかけてくれる。(実は名前覚えるのがムズ過ぎて、2/3以上覚えてないんですが・・)やっぱり日本と一緒で、Social eventにとりあえず積極的に参加して、喋れなくても、顔と名前だけでも覚えてもらうのが大事ですね!下は酒の力で自撮りした写真。実はこれ撮ったの覚えてない。。でもみんなは私のことを覚えていてくれた。

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そして、みんな何気に日本の事をよく知っている。Supply Chain Managementの経験があるメキシコ人は私よりトヨタのことよく知ってるし、ウクライナ人はなぜか日本のウィスキーが素晴らしいということを知っていて、私よりアメリカ人にそのことを熱く語っていた。ありがたいことです。下の写真は同級生とロンドンに出かけた日、まだ出会って1週間。ここでもそんな喋ってないんだけど、なんか楽しかったし、これ行ったことで仲良くなって、また後日話したりするからよかった。

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MBAで大事な事というのを先輩方に聞いたのだが、「何かしらLeadershipをとって、頑張ること。そうすると、MBA中もMBA後も、「あぁ〜何々で頑張ってた若林ね」となって覚えてくれる」という言葉をいただいた。確かにそうな気がする。同級生のコミュニケーション用にSlackを立ち上げたのも私だし(まぁ最初に受かったので)、Japan Trekの企画もしている。やっぱりこういうコミュニティーサイトで色々発言をするのも大事。Cambridge MBAの先輩方も同じように苦労されているよう。後、授業。残念ながら今は自分はそこまで、できていないんだけど、記載のようにみんな発言がすごい。その程度で、と思う内容だったり、それそこまで議論してもしょうがないでしょwwってことだったりするが、そういう事に熱くなる事が重要なのかもしれない。ちなみに私も細々と発言している。もっとしたい。

・・・というので、まだ2週間だが、非常に忙しい。多分人生で一番忙しい気がする。もう(比較的)歳だし、そもそもLong Sleeperなので睡眠は重要。でも上記Socialに、勉強、自身のCareerも熟考しなければならない。本当に1週間が1週間の感じがしない。もう2ヶ月くらい経ってない??でも、大変な事もあるけど、それがいい事なのかなと思う。

ご褒美というわけではないけど、公式のSocial Eventの場所が素晴らしい!!それが全部歴史のロマンを感じさせる場所で開催されるので、もう歴史好きにはたまらない。MBAでこれが体験できるのはケンブリッジ大学だけ!!(いや実はあとはオックスフォードがあるけど。。)ケンブリッジにこれてよかった!!

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今年は戌年!年男、自己紹介です

1年前に私はすごい発見をした!!(と思った)よくみんな「なんか1年が短く感じるなぁ〜。歳をとると1年が短いよねぇ〜」と言うが、それって理論的にそうだということが分かったのだ!例えば10歳の人にとって1年は「自分の人生の十分の一」。(実際は10歳〜11歳までで自分の人生も増えてるからこの限りじゃないけど、真面目にやると積分とかしないといけなそうだから省略。。。)30歳の人にとっては「自分の人生の三十分の一」。1年という時間は人が勝手に決めた概念なので、自分の人生という尺度に正直になれば1年の長さが人と違うのは当然じゃないか!!・・ということを発見したのです。ちょうど相対性理論か宇宙の何かの本を読み返しているときに思いついたので、「俺は天才!」と思い、早速会社のメールで何かのついでで提案チームの数名に同時に流したのだが、ある先輩から「それ俺小学生の時に気づいてたけど・・」と言われ、さらにググると19世紀にすでにジェネーという人が提唱していたらしい。。。なんのこっちゃ。。

そんなわけで、今年36歳になる私は年男で今一緒に勉強している皆様と比べると大分1年が短く感じる方なので、早いものでイギリスに来て4週間が経った。ここいらで、自己紹介を記載しておかないといつになる事やら。。。このトピックも、これまた今更書くかという感はあるが、これからMBA受験を目指される皆様が参照される際にも必要と思っていて、元々書く必要があると思っていた。がしかし、自身の感じた思いが新鮮なうちに記載したい内容もあったので、今日になってしまった。

誕生日は1982年11月11日なのだが、よく「ポッキーの日だね!」と言われる。10年前くらいからか?それまでは「1が4つで珍しいね!」と言われて、小さい頃からちょっと自慢だったので、ポッキーに座を奪われて悲しいのが本当の気持ち。。実は自慢するまでもなく単純に365分の1の確率でいるのだから、ざっと世界に2000万人は11月11日生まれがいるはず。でも今でも11月11日生まれは気に入っているのです。

さてさて、私は子供の頃から科学技術が好きで、それは魔法みたいと思っていたから。宇宙とかロケットとかタイムトラベル(すでにスティーブン・ホーキングの影響を受けてる)とかロボットとか人工知能とか。。その魔法を使いたいので、理系の勉強を進めていたと思う。また、母親の地元、静岡の島田市ではホームステイ先を提供していて(もう50年前くらいの話?)、母親は比較的海外志向が強かったので、私もそうなったと思う。その割にこの歳まで海外在住経験が無いというのは、、こっちにいる日本の同級生の経歴を聞くと、なんとまぁ自身の純ドメ(純ドメスティックの略、海外経験が無いか少ない人のことを指す留学用語)加減が伺える。

まぁそれで、ガンダム作るんだ!とか言いながら、慶應義塾大学の機械工学科に入学したわけだ。大学では部活をやっていて、理工学部の体育会系サッカー部、でも中高でやってないので純ドメ的な感じで入部。053

右から4番目が私、準備運動。勝手に載せてごめん、みんな。大学の1年の時はDisneyでバイトしていて、2年間経験している女子高生に「若林さんなんで何回説明してもわからないんですかぁ?」と言われた記憶がある。オペレーション複雑だったんだよなぁ〜、Disney。最近はジブリも昔より好きになったと思う。

そして、1年生の時にたまたま受講していた社会学の基礎の授業で「リーダーシップについて調べる」という課題があって、適当に図書館でリーダーシップで検索した時に塩野七生の「ローマ人の物語」に出会った。(http://www.shinchosha.co.jp/topics/shiono/bunko.html)これは結構運命的な出会いだったと思う。この本のおかげで歴史の本も結構読み、経済学や政治学にも興味を持てた。おかげで留学前の本棚はITの本は0なのに歴史の本は9割くらいを占めていた。「歴史の終わり」を書いたフランシス・フクヤマの「政治の起源」、「ビューティフルマインド」のシルビア・ナッサーの「大いなる探求(経済学の歴史みたいな)」も読んだ。(あと1割はガンダムとか、ビジネス書も数冊ある。自己啓発書は大学で読むのやめた)

本棚

ちなみにサインは人生で二つだけもらっていて、一つは塩野七生さんで、もう一つはSKE48の松井珠理奈。すごい年の差。。。ちょうど私が真ん中くらい??

塩野サイン

珠理奈色紙大学の研究室を決める前くらいに読んだ本で「創造する機械」という本があって、Nanotechnologyの本であるが、「おぉこれからはNanotechnologyだ!!」と思って、ナノの世界を研究してそうな研究室に入った。だから一応量子力学も知っている。そこで幸運にも筑波の、独立行政法人 産業技術総合研究所で、カーボンナノチューブを発見した飯島澄男さんの研究センターでアシスタント研究者みたいな(実際の肩書きとか忘れて。。)形で研究させてもらえた。海外の人との交流や最先端の研究ができたし、何よりも世界最高性能の電子顕微鏡で炭素原子が動くところを観察させて貰えた(原子を見た経験がある!!)のだからこれ以上の幸運はない。論文も出していただいた。(https://www.semanticscholar.org/paper/Imaging-active-topological-defects-in-carbon-Suenaga-Wakabayashi/7a5ebf038229b769a0f9ff259dd8afd0e48ac60f) (hideaki wakabayashi Natureで検索すると自分の論文が出てくるのがちょっと自慢、でも実はFirstじゃないのです。。)

ただ、やはりもう少し実際のビジネスよりの経験がしたいという思いがあったため、就職活動をすることに決めた。Technologyは好きなので、これは外せない。じゃぁBusinessとTechnologyを繋げる仕事をしようと思って、それをちゃんとやっているIBMへ就職した。(って、IBMがそれを予想以上にやってると知ったのは入ったあとだし、そもそも10個受けて2つしか内定もらってないけど。。)あと「海外」というのにも引かれていて、海外経験がしたかった。でも実は日本企業の方が海外経験できるじゃん!!って知ったのが最近なのは内緒(笑

入社してMBA受験が始まるまでは飲み会とゲームばかり(休日は10時間とか)していたと思う。飲み会に関しては大学の時に読んだコミュニケーションの本に飲み会の重要性が書いてあったので実践していた。これは悪くなかった。コミュニケーションのおかげでここまで来れた。偶然か必然か、ケンブリッジ大学MBAの同級生もみんなお酒が好き。ゲームは同期とオンラインでFPS系(以下の画像、前を走っている人は会社の同期)をやったり、

男達歴史系の洋物ゲームを、デスクトップPCでやっていた。今回のブログのトップに貼り付けたイメージはParadox Interactiveというスウェーデンの会社のゲームで、Europa Universalis 4というのだが1399年〜1820年までの全世界を1日毎にシミュレーションしている。ゲーム開始時のヨーロッパだから、スペインもフランスもGreat Britainもない。当然日本でもプレイできる。「俺様の強強国家が世界征服」みたいなプレイはできない。なぜなら強くなって攻めまくると全世界から悪者扱いされるからだ。弱小国で世間体を気にしながら細々と生きていくのも面白い。以下は留学前に売ったゲーム達。Hearths of Ironというのは第二次世界大戦の前後を1時間毎に全世界シミュレーションしているゲーム。ゲーム達

IBMには10年以上お世話になっている。(年男ですから。。)ちなみに研修は楽しすぎて、遊んだせいか、チーム内では最下位合格だった。所属長とアドバイザーには本当にご迷惑をおかけしたが、今でもお付き合いいただいていてありがたい限りである。最初にRational Technical Salesという職種に就かせてもらった。これも良かった。まずRationalがIBMに買収されて2,3年で、他の同期270人とは少し異なる環境におかれたこと、Technical Salesということで営業も技術も学べたこと。あと玉川憲さんという、IBM最後の社費でカーネギー・メロン大学にMBA留学し、その後AmazonでAWS(Amazon Web Service)の日本立ち上げ責任をして、IoTの雄、SORACOMを起業した方が所属していたこと。玉川さんは留学されていたので、実は一緒に仕事した期間は非常に短いのだが、留学前にお時間をいただくことができ、留学中のアドバイスを頂いた。ありがたい限りである。

仕事の方は、その後あるメガバンク様を担当させていただくことになり、数年してIT Architectという職種に就いた。この職種ではお客様環境と課題、IT技術、最新動向等を幅広く理解して、お客様にIT Solutionを提案することが求められる。求められていたが、私のレベルで実際どこまで出来ていたかは疑問。多くの方にご迷惑をおかけしつつも教えをいただいたと思う。とは言え、曲がりなりにも上記の仕事をしていたおかげで、本当に貴重な、色々な経験をさせて頂いた。買収会社のオペレーション改善でCulture Conflictを経験し、IBM Watson(IBMの人工知能)の日本初Projectも担当させてもらった。これはある意味すごくて、小さい頃の夢が叶ってる!!前出のように子供の頃、人工知能にも興味があった。ちなみに最近量子コンピュータが出てきて、量子力学のにわか知識が役に立ちそう。。

ここまでが今まで、他にもWhy MBAやWhy Cambridgeを記載しなければいけないと思うけど、最後にMBAを目指すきっかけだけ記載。IT Architectになって1年後くらい、4年前に初めての海外出張をさせて頂いた。Las Vegasへの出張で、IBMの1週間のConference参加、少しご褒美みたいなところもある。この時ついでにカルフォルニアのUC BerkeleyにMBA留学をしていた帰国子女の同期に会いに行った。まぁ軽い気持ちで。その時に私が「いいねぇ海外でそういう経験ができて、俺もそういうのしたいと思ってはいるんだけどねぇ・・・」と言ったら、彼女から「別にやればいいんじゃない?帰国子女じゃなくてもMBAの同級生いっぱいいるし」。塩野七生さんが言っていますが「歴史的なイベントが起こるときは、ダムのように、すでに水がギリギリまで溜まっているもの、そしてちょっとした出来事でそれが決壊する」私にとっての決壊(って悪いことじゃないけど)が正に彼女のこの一言でした。そこからがMBAを目指す、人生でも中々ハードな4年間の始まり。でも本当に良い4年間だったと思う。また次回。

ブログを始めるにあたって(執筆内容について)

本来であれば、この内容から始めるべきとは思いましたが、自身の人生の岐路の一つである娘の誕生から始めるのも一興と思い、そうさせてもらいました。

さて、本ブログですが、折角思いついたアイディアや感動を忘れてしまうのは勿体無いので、記録をしようと思った次第です。(まぁ、、言い方はありますが、始める理由は普通です。。)歳を追うごとに物事を忘れることが多く(というよりは思い出せないことが多く)なってきております。これは経験が時間を重ねるごとに増えるだけ、脳内のシナプスを辿る時間がかかるので仕方のないことですが。(シナプス云々はおそらくそうだろうと思っているだけで、本当にそうかは不明です)

今回、4年間を費やしたMBA受験の合格を2017年9月にいただき、今年の2018年8月5日(本プログ記載時から8日後)に渡英することになりました。ここでの経験は何物にも代え難いものとなると思っています。また前出のように第一子の誕生と成長から受けた感動や知見もしっかり記録しておきたいと感じています。この二つのことから、ブログを始めるには格好のタイミングであり、執筆を決めました。(ってそんな大層な決断ではないですが・・)

本ブログでは、タイトルにあるように、ケンブリッジ大学におけるMBA取得を通した経験を記載する予定です。ですが、そもそもケンブリッジ大学には私が子供の頃に自然科学に興味を持ったきっかけを与えてくれた人がたくさんおります。ニュートン、ダーウィン、スティーブン・ホーキンス。。。また、「歴史」は私の中でも重要な糧となっているのですが、1209年創立の伝統あるケンブリッジ大学には純粋にロマンを感じます。よって、MBAに限らず、ケンブリッジ大学の歴史やスタイルを学びつつ、ビジネスや諸学問の最新状況の共有、そして全体としてケンブリッジ大学がどう社会に影響を与えているかを執筆できればと思います。(少なくともそういう気持ちで1年間を過ごしたいと思います。)

その上で以下についての記載を想定していて、この執筆開始より過去の内容(妻の妊娠やMBA合格までの軌跡等)も含みます。

  1. ケンブリッジ大学 Judge Business School(MBAコース)における経験の記録
  2. ケンブリッジ大学やイギリスの社会、文化
  3. 英語勉強法一般
  4. MBA受験
  5. 妻の妊娠、出産、そして子供の成長

後悔がないようにとの思いで始めるブログですが、お付き合いいただければと思います。「あのようなチャンスをもう一度手にするための幸運は今後、どのような努力と犠牲を払っても、得られることはないのだから…」ケンブリッジ大学でのご経験後に書かれた先輩のブログの一文です。(http://cambridge2007-08.blogspot.com/2013/04/mbacollaborative-ethos.html)