「男のロマン」の果て(?)イスラエル紀行(中):近代史と現在

2014年に、会社のStrategyについて議論するという名目のもと同世代(入社年次の近い)の日本IBMerとNYCのIBM HQへ出張(ある意味ご褒美旅行)したことがあった。その時、毎日同世代と飲んでいて、「楽しいけどもうこういうことはないだろうな」と思っていた。が、MBAに来て、特にTrekに参加すると毎日異国でみんなと飲めて、同じ経験がまたできた。ありがたい限りである(もうこんな事はないだろうな、、とは思わない)。しかも、今回のTrekはよく企画されていて、それはiTrekというアメリカのNGO(かな?)がMBA生向け(だけではないと思うが)に旅程を企画しているからだ。Cambridge MBAのイスラエル Trekパーカーもあり、バスもCambridge MBA御一行様で、レストランのメニューもCambridge仕様であった。ちなみに、イスラエルの物価は高くて、350mlくらいのビール瓶が1000円近くする。今回はiTrek内にほぼ含まれていたのであまり気にせず飲食できた。だが、このiTrekの旅程自体がイスラエルの全てと思ってはいけないなと感じたのは後半で。

Cambridge仕様のバス、全旅程はバス移動だったので楽だった
Cambridge仕様のメニュー

「やはり現地に行くのが一番」という事で、旅行に行くのだと思うが、今回のTrekは私の中で最も「現地に行って良かった」と思える旅行であった。なぜなら、現地で見聞きした事が事前に得た情報からの推測とは異なっていたり、旅行中も昨日聞いた事と今日聞いた事が食い違っていたりした。本当にイスラエルは複雑な状況にあるのだなと感じ、それが世界の縮図なのだろうという思いから、イスラエルに対してだけでなく、物事に対して複数の見方が必要だと再認識できた。

前回記載したように、現在のイスラエルは1948年建国であるが、その独立宣言には「ユダヤ民族が他の諸民族と同様に、主権国家における自らの運命の主人である当然の権利である」と記載があり、ユダヤ民族の国でもある(一方で、多様性を受け入れる民主国家であるとも謳っている、前回も記載したが、実際ユダヤ人だけで現在のイスラエル人が構成されているわけではない(イスラエル中央統計局(2014年)によれば、ユダヤ教75%、イスラム教17.5%、キリスト教2%、ドルーズ1.6%))。よって、ホロコーストについての知識は必須で、旅程にもホロコースト・ミュージアムへの訪問が含まれていた。ホロコースト・ミュージアム自体は非常に良い立地にあり、建物も近代的であった。本Trek企画者のロシア人同級生に聞くと、政府からの援助よりユダヤ人コミュニティーからの寄付が大部分を占めるそうだ。ホロコーストの詳細は様々なメディアから得られると思うので、ここでの記載は省くが、ドイツ第3帝国のユダヤ人迫害により連合国側にたって参戦したユダヤ人が多数おり、彼らがイスラエル建国に大きく貢献した事は留意しておきたい。ホロコースト・ミュージアムではホロコーストを経験した女性から直接話を聞く事ができた。髪を綺麗に白髪と黒髪で分けており、シワがあっても肌の綺麗な女性であった。大戦中はスイス領内のイタリア支配地域に住んでいたようであるが、連合国がイタリアを陥落させた後に同領内がドイツ支配となりユダヤ人追求が厳しくなった事と、イスラエル国防軍へ従軍していたお孫さんがスナイパーからの狙撃で戦死された事が自身のホロコースト体験より悲劇であったと話していた事が印象的であった。

ホロコースト・ミュージアムからの景色
ご自身のホロコースト体験についてお話しいただいた

一方でホロコースト・ミュージアムで見た事がユダヤ人の全てではないという事も知っておかねばならない。Trekに同行した日本人同級生のお知り合いがパレスチナでお仕事をされているという事で、お話を伺う機会を得る事ができた。彼に確認すると、現在のパレスチナのライフライン(電気、ガス、水道)はイスラエルの管理下であり、パレスチナ自治区の周りは、トランプもびっくりの壁で囲まれている。よって、経済を強化して独立度を高めようにも難しい状況。帰英後に簡単に検索すると、確かにイスラエル側のパレスチナ人(パレスチナに住むアラブ人の事をこのように呼ぶ)に対する人間的でない行為も散見されるよう。彼も「イスラエルに来てパレスチナ自治区(ヨルダン川の西側にありWest Bankと呼ばれる)を訪問しないのはもったいない」と言っていて、私も是非訪問したかったのだが旅程的に1日早く帰国が必要で訪問できなかった。同行した日本人同級生2名は訪問していて羨ましかった。訪問の仕方を話している際に、「ガイドの人に聞いてみようか」という話をしたのだが、彼曰く「ガイドはイスラエル人だから「危険だから止めた方がいいと思う」と言うだけかもしれない」と言っていて、軽い衝撃を受けた。実際パレスチナ自治区とイスラエルの間には検問があり、検問のイスラエル側には「イスラエル人はこの先殺される危険あり」(というニュアンス)の立て札があるよう。じゃぁアメリカ人はどうか?と問うと、「分からないが、日本人よりは危険なのは間違いない」との回答。日本政府の方針は「イスラエルとパレスチナの2国間解決」でパレスチナも支援しており日本人に対する危険度は低いよう。ただ、別の日に、これも同じ同級生の知り合いでイスラエルに在住の方の話を伺う機会があったのだが、彼曰く「West Bankの60号線は銃撃があったり、バス停留所毎に武装兵が警備していて本当に危ない」とのことであった。外務省の危険情報によるとイスラエルはレベル1(十分注意してください)でWest Bankはレベル2(不要不急の渡航は止めてください)であった。ちなみにガザ地区はレベル3(渡航は止めてください。(渡航中止勧告))で、イスラエル北部のレバノン国境周辺もレベル3(渡航は止めてください。(渡航中止勧告))。って、ちょっと待って、今知った。。。これについては後ほど。

中央を縦に走っているのが60号線

イスラエル人とパレスチナ人の間には確執が絶えないが、訪問したSodaStreamという会社(日本でも炭酸発生機を消費者向けに販売している、日本語で検索したらアンジャッシュの渡部が出てきて懐かしさを感じた(笑))ではイスラエル人もパレスチナ人も分け隔てなく雇用しており、工場(ガザ地区に比較的近い)で働いているという状況を見て、良い活動をしている企業もいるものだと思った。ちなみにSodaStreamは2018年にPepsiCoが買収した。しかし、SodaStreamの上記の活動は単なるプロパガンダという話もそのあと聞いた。そんな事を聞くと、上記の動画の社長さんがトランプに見えてきたし、確かに同級生が「マネージャー層にパレスチナ人がいるか?」と質問した際には「No」という回答だった。SodaStreamよりも最近NVIDIAが買収したMellanoxという半導体メーカーの方が良い活動をしていると聞いた。確かにこの会社もパレスチナ人の雇用をコミットしているよう。まぁ、しかし、この辺は、流石に私が1週間訪問しただけでは何が正しいのか分からないのだろう。ちなみに帰英後に、マレーシア人の同級生と会話していたら、彼女のハウスメイトがパレスチナ人だったことがあったそう。彼女曰く、彼はNationalistらしく、卒業したらパレスチナのために何かしたいと常に言っていたそう。彼女が別のイスラエル人学生に彼の話をしたら、そのイスラエル人は「パレスチナ人が海外の大学きているの!??(お金やVisaどうなってんの?)そんなバカな!」という反応だったようだ。

ところで、イスラエルとパレスチナ、なぜこんな状況になっているのか、ちゃんと調べようと思って帰英後に記事(日本語)を複数読んでいるのだが、正直複雑過ぎて未だに理解が追い付かない。イスラエルからの帰英後も思ったが「複雑過ぎて分からない事が分かった」状況がまだ続いている。しかし、全部分かるのは無理だけど、分かろうと努力することが大事だということで、とりあえず、イスラエル訪問中もよく話に出てきた「サイクス・ピコ協約」が重要らしいので、その辺の話を調べていた。ら、「「サイクス・ピコ協約」より「セーブル条約」が重要だ」という記事があり、もう何が何だか分からない。

とは言え「サイクス・ピコ協約」。近代のこの地域は、オスマン帝国(~1920)→イギリス委任統治領パレスチナ(~1948)→現イスラエルであり、第1次世界大戦中の1916年にイギリスとフランスの間でパレスチナ地域の分割について結ばれた密約が「サイクス・ピコ協約」である。ちなみに同じタイミングでユダヤ系のロスチャイルド家に対してイギリスは「バルフォア宣言」によりユダヤ人のパレスチナにおける故郷再建の支持を表明している。

出典拝借した記事

この協約は、1920年の「セーブル条約」で公式のものとなったよう。ただ、「セーブル条約」自体はこのアラブ領土の部分だけではなく、イスタンブール周辺のオスマン帝国をどのように分割するかを含んだ条約であった。そして、その後の将校達による「セーブル条約」受け入れ拒否による「トルコ独立戦争」(1919-1922)、「アンカラ条約」(1921)、「ローザンヌ条約」(1923)によりオスマン帝国の処理は完了する。イスラエルに話を戻すとこの「セーブル条約」により1920年からイギリスの委任統治が始まっている。ただ、このイギリスの委任統治中にもユダヤ人やアラブ人の反乱や衝突があった。さらには、ユダヤ人のパレスチナ(現イスラエル含む)に向かう移民も急増した。前出のように、大戦中はホロコーストもあり、ユダヤ人は連合国側で戦ったが、大戦終結後にはイギリスに対する不満が再燃し、遂にはイギリスが委任統治を諦め、1948年5月14日にイスラエルは独立宣言を行った。真っ先にアメリカがこれを承認し、ここに第1次中東戦争が勃発した。この時のイスラエルとアラブ諸国(エジプト、ヨルダン、シリア、レバノン等)との戦力差は1対20であったが、アラブ側の指揮系統の不統一と大戦中に連合国側で戦ったユダヤ人の高い練度もあり、戦線は膠着し、停戦に至ったようだ(歴史を読んでると、少数側が勝つのは大体相手側の「指揮系統の不統一」本当組織の命令系統の統一って重要なんですね)。その後の第2次中東戦争と第3次中東戦争を経て、イスラエルの領土は以下のように広がった。つまり今問題になっているゴラン高原、ガザ地区とWest Bankはこの時に侵攻した地区という事だ。シナイ半島は第4次中東戦争後の1979年にエジプトに返還されている(ガザ地区も返還しようとしたようなのだが、エジプトに「いらない」と拒否されたらしい)。1993年にはオスロ合意により、パレスチナ自治政府が認められ、占領地域を段階的にパレスチナ自治政府へ返還する事が合意されたが、その後のテロ行為や国内の反乱により未だ返還は進んでいない。ちなみにイギリスやアメリカがなぜここまでイスラエル(とユダヤ人)を支援するか疑問であった。調べると、なんとなく、国内のユダヤ人勢力の影響力が強いからのように見える(前出のバルフォア宣言然り)。むしろイスラエルがアメリカを対イラクで利用しているようにも見える。アメリカやイギリスにとっても対外的な戦略的意味もあるように思えるのだが、ちょっと分からなかった。

第三次中東戦争後

まとめると、

  1. 第1次大戦後のオスマン帝国の現イスラエル地方の領土分割を「サイクス・ピコ協約」で密約、「セーブル条約」で公式化し、現イスラエルはイギリス委任統治領パレスチナに
  2. 同時に「バルフォア宣言」でイギリス国内ユダヤ人にユダヤ人国家建設の約束
  3. 現イスラエルへのユダヤ人移民の増加とアラブ人との衝突増加
  4. 第2次大戦後、イギリスが委任統治領パレスチナの統治を諦める
  5. 現イスラエルのユダヤ人がイスラエル独立宣言(アメリカが真っ先に承認)と第1次中東戦争、
  6. 第2~4次中東戦争を経て現領土に。現パレスチナをイスラエルが統治(パレスチナ問題へ)

ということかと思う。あまり自信がないが。。

我々の旅程において、West Bankは通過しただけである。マサダ要塞後に死海へ訪問した。死海のビーチは観光地化していて、日本人にとっては塩分濃度が高く体が浮くというエンターテイメントのイメージしかないが、実はすぐ北はWest Bankである。上記Google Mapの死海(Dead Sea)のすぐ西にある90号線を通って北に向かったのだが、West Bankからイスラエル側に戻る時には検問があり、銃(多分M16だった、古い型な気がするが検問だからか)を持った兵士がバスの中に入って何やら確認後、検問を通過できた(流石に写真を撮る気にはなれず)。北に向かったのは次の日レバノン国境沿いに訪問するためだ、だが実はここが、前出の外務省ではレベル3の地域であった。知らなかったのが恥ずかしい。

レバノンとの国境近く、バスより同級生が撮影

レバノンとの紛争まで記載すると長くなるので、割愛するが、イスラエル国防軍の諜報部所属の大尉からレバノンとの関係やミサイル、シェルターの話を聞く事ができた。

レバノンの国境付近の山でレバノンを臨みながら

ミサイル警告が出る場合にはこの辺りだと、7秒で着弾、最大都市テルアビブであれば45秒で着弾という説明を受けた。その後、日本人同級生とも会話したのだが、7秒と45秒の差は大きいがそれでもこの地に住民がまだ住んでいる。しかし、勝手知ったる、もしくは先祖の土地を離れたくないというのが心情だろうと話をした。一方でミサイルの危険に関しては、前出の日本人の方が「イスラエル人の運転を考えると交通事故の方が確率的に危険」という話をされていた。

このような軍事的な色彩が強い話を聞くのもイスラエルならではだが、イスラエルは建国間もなく、しばらくは生き延びるのに精一杯であった。周りが敵ばかりであれば、軍事も考えつつ、生き残るために非常に合理的な選択をし続けなければならないのだろうと想像する。しかし、今は少し余裕も出てきているようだ。が、それによって国内のアイデンティティー的問題もあるよう。独立宣言には「ユダヤ民族が他の諸民族と同様に、主権国家における自らの運命の主人である当然の権利である」ということで「ユダヤ人国家」である事を宣言すると同時に、「宗教、人種、あるいは性にかかわらずすべての住民の社会的、政治的諸権利の完全な平等を保証」と、「民主国家」も謳っている。つまり国内の非ユダヤ人をどう扱うかが課題であるようだ。少し、アメリカに似ている部分があるか?と思った。アメリカも建国時は、生き残りに精一杯で、高い合理性を持っていた(いる)し、民主国家を謳いながらも奴隷問題はあまり触れず、後世に託さなければならなかった。弱小国家ではそのような難事業は達成できないと、建国の父達は考えたからだ。それはある意味賭けだったのだろう(実際、その後の南北戦争で国力は大分疲弊した。そのおかげで日本がWesternizeして大国にTransformationする時間ができたのだろうけど。)。イスラエルの国家のアイデンティティーの話に戻すと、日本人の方からも「一見するとオープンだが、世界中のユダヤ人を集めるために苦労して作られた国だから、ユダヤ人/非ユダヤ人の間には超えられない壁みたいなものもあるように常に感じるし、一部の志が高い人や組織を除き”多様性を考えましょう”ということは殆ど聞いたことがない。」という話を聞いた。ここら辺は国家としての成熟度がもっと高くなればまた変わってくるのであろう。前回も最後に記載したが、日本(人)の多様性を受け入れる文化というものがないのかあるのか、まだ分からないが、一見してオープンでも実は多様性について本当は受け入れていない場合もありそう(もしくはそうであって部分的にオープンであればいいのかもしれないが)だという事は考えておきたいと思う。

今回の内容に関係する旅程としてはこの訪問地が最後。これも日本人の方から言われたのだが、iTrek自体もアメリカの組織なので、旅程もそれなりにイスラエルよりなのかもしれない。確かに、今回WestBankへの訪問はほぼなかった。まぁただ単に訪問のリスクが高いからかもしれない。それでもパレスチナ側の状況をできる限り知っておくことは重要だと思う。(という話を妻にしたら、妻が国際学部に進学した理由は高校の時に、パレスチナの報道をアメリカの報道と日本の報道の違いから見る機会があり、その違いに興味を持ったからのよう。興味は似るもんですな。。)ちょうど訪問中に、トランプ政権が「Deal of Century」を掲げて会合が開催されたが、当のパレスチナ自治政府はボイコット。これもパレスチナ側の状況を無視した結果だと思う。パレスチナで働いている、前出の日本人の方のお仕事はパレスチナの支援ではあるが、イスラエルにライフラインを握られていると経済成長も難しい、つまり、仕事をされている中で常にイスラエルとパレスチナの国際関係や政治的配慮も考慮されているということだと想像した。私も、常々、ビジネスをする際も政治や国際関係を考慮することは重要だと思っていたし、今後私の影響の範囲が大きくなれば、それが判断をするときのFactorになることもあるだろう。その時に慌てないように、引き続きそのMindを持ちながら、仕事と勉強をしていきたい。

(イスラエル訪問時は外務省の危険情報を確認した上で、個人の責任でご訪問のこと)