1歳児の誕生日2泊海外旅行:フランス共和国

イギリスは寒い。イメージ通りだ。よって、家にはクーラーが備え付けられていない。しかし、昨今は温暖化の影響で、真夏は暑い。私がCambridgeに着いたときは8月初であったため、非常に暑く、クーラーがないことを知り「大丈夫か?」と思った。一応その時は夜になって窓を開けると涼しい風が入ってくるので、熱帯夜を感じることなく寝ることができた。が、今年(2019年)はさらに暑く、寝苦しい日が続いた。そして、ヨーロッパ中が観測史上最高温度を記録した日に、我々は、あこがれの町パリにいたのだった。。。

妻はパリに行く事がひとつの夢であったので、Cambridge滞在中に実現すべく、7月の最終週の娘の初誕生日にかぶせてパリに行く事にした。飛行機だと、3時間前とかに飛行場に行く必要があるため、Eurostarを選んだ。King’s Cross駅の横のSt Pancras International駅からGare du Nord(パリ北駅)まで約2時間半だ。当然、娘は2時間半もジッとしていられないのでグズリ、電車内を車両から車両へ何回も往復することになるのだが仕方ない。

パリ北駅は少々危ないといわれているので、さっさと地下鉄でホテルへ。荷物が少なくて済むのがよい。ホテルはTemple駅近の「パリ・フランス・ホテル」というべたもべたな名前のホテル。2日間で330€くらい。まぁ、家族3人でパリなので、仕方がない。部屋も綺麗で十分広くて朝ごはん付き。一度安くて狭い部屋で大変な思いをしたので。今回もBooking.comで予約。

今回の拠点、パリ フランス ホテル。アクセスもよい。

ホテルに荷物をおいて、1日目はルーブル美術館の入り口確認とエッフェル塔、凱旋門からのシャンゼリゼ通り巡り。なぜルーブル美術館の入り口確認が必要だったかというと、私がルーブルのチケットネット予約を忘れ、当日券の購入が必要だったからだ。そして、この週は世の中も夏休み。なるべく早く当日券を購入するため事前確認に来た。ネットで情報を得ていたため、すんなり確認し、バスでエッフェル塔へ。しかし、バスに乗った瞬間、激熱。。実はパリも基本的には涼しいため公共交通機関内にはクーラーがない。この日の温度は40度近く。これは子供の健康にも悪いということで途中下車。Uberを呼ぶも、来るまで時間がかかり、外で待っていられないということで、近くに止まったタクシーでエッフェル塔へ。しかし、フランス語で(おそらくわざと)値段を言われ、現金を出したのだが、正直ボラれた。暑くて、涼んで着くことを優先したため、強い心で反論できなかった(反論するにも体力がいる)。その後、凱旋門からシャンゼリゼ通りと観光をしたが、正直暑すぎてあまり満喫できなかった。

夕飯はLe Baravというお店へ。ホテルの近くを予約した。事前にTrip Advisorで調べていたが、ワインのおいしいお店ということだ。せっかくのパリなので妻もワインを飲みたいということでこのお店にした。

実際にワインがおいしく、価格もそこまで高くはなかった。メニューはつまみ系が多いイメージ。他のテーブルを見渡すと、みんなチーズプレート1枚にワインのボトルを1つか2つという人たちが多いよう。飲み会や外食ではたくさん食べるというよりも、つまみによく飲むということが多いのかもしれない。食べる量が無駄に多くないのは大事なのだろう。街を歩いていても、明らかにイギリスよりスタイルがいい人が多い。Fish&Chips、特にChipsばかり食べているイギリス人とは生活習慣が違うからだろう。MBA中に工場見学の途中でお弁当がでたのだが、サンドイッチ、水、フレッシュフルーツ、そしてポテトチップス。なぜか常にポテトチップスが付いてくる。これがご飯の一部ということなのか。とか言いながら、このお店でも私は大目に食べ物を頼んで食べてしまったが。。

ちょっと頼みすぎた、、しかもハム系が二つ、、おいしかったのでいいけど。

二日目はルーブル美術館へ、この美術館は何度行っても楽ししい、妻も当然娘も初めてだ。しかし、昨日確認した入り口に朝8時ころに行ってみると、なんと、当日券は売れないとのこと。大混雑が予想されるので、ネット予約のみのようだ。いまさらながらネットの時代、、チケットはなんでも事前に購入しておくべきですね。。まぁ、電車予約、ホテル予約、夕飯のお店予約、に忙殺されて忘れてしまったんですが。。仕方ないので、近くのl’Orangerie(オランジュリー)美術館へ。ちょうど開館もルーブルより遅かったので、時間的によかったし、朝の比較的涼しいルーブルからオランジュリーへの散歩も気持ちよかった。しかもヨーロッパは幼児連れには優しく、優先列から入館できた。ここにはモネの睡蓮がある。実は、「仕方がない」とか言いながらここは世界中の美術館の中でも来たかった場所の一つ。その睡蓮が壁一面に展示されているのだ。妻も読書が趣味なのだが、私と違って小説をよく読む。その影響で妻の読んだ本を私もいくつか読むのだが、その中でも浜田マハが非常に好きだ。そして浜田マハのエッセイの中にこの壁一面の睡蓮の話があり、それを読んでから非常に訪れたい場所となっていた。そして、予想通り素晴らしい。美術館自体も外装内装が美しいし、その中のこの睡蓮自体もよかった。他にもルノワールやマティスの絵が展示されているのでお勧めだ。

オランジュリー美術館はルーブルとも近く、プラン変更しやすかった。ちなみにすぐ南にはオルセー美術館もあるのでそちらもあり。
これが噂の睡蓮!すばらしい!!

オランジュリーの後は歩いて6区と呼ばれるお洒落なショップやブティック並ぶ街区へ。ここにはダヴィンチコードにも使われた教会がある。が、そろそろお昼近く、観測史上最高気温が我々にも襲ってきた。結局早々とランチ。お昼は適当に探したのだが、なぜか日本人しかお客がいないお店だった。Crêperie des Canettes。何かの雑誌にでも紹介されているのだろうか?確かにおいしかった。やはりパリは違う。後で調べたらここはガレットが有名なお店だったようだ。

この後はピカソ美術館へ。ピカソ美術館にはいくつか有名な絵があると事前にブログで確認していたのだが、どうやら収蔵数が大分多いらしく、確認したブログに載っていた作品の半分も見ることができなかった。ただ、ピカソ「っぽい」作品はたくさん見れたので、娘のピカソ デビューということで一枚。いつかはゲルニカを見に行きたいと思っている。

夕飯の前に時間があったのでパリをブラブラ。実は私、ネクタイが欲しく探していた。以前新婚旅行でフィレンツェに寄ったときに購入したネクタイが安くてもよい柄だったので今でも使っているから、パリにもそういうのがあるはずだ!と思っていたからだ。しかし、デパート等に行っても高額だし、有名なブランドも当然高額。が、夕飯のお店の近くに、これまたフラッと入ったお店、mario dessuti opera、ではネクタイが25€(だった気がする)均一で売られていた!しかも見た目もよい。2掛け購入した。やはりスーツ関連は本場の西洋に限ると思う。

さて、夕飯だが、これが今回のハイライトだ。娘の初誕生日のために(実際は我々がおいしくご飯を食べるために、なぜなら娘は離乳食)、予約をした。Juvenilesというお店なのだが、実は、妻がCambridgeで知り合ったフランス人を夫に持つ日本人の女性に教えてもらったとのこと。彼女たちの趣味は食べ歩きで、パリに住んでいた時には、それを楽しみに生活していたようだ。翻ってCambridge、「趣味が一つ減ってどうしようかと思っている」とのことだった。そんなお友達に紹介してもらっただけあり、何を頼んでもおいしい!!イギリスの味に慣れていると、ヨーロッパ全体がこんなもんかと思い始めてしまうが、イギリスが特別だということを思い出した。これこそ正にお金を払って食べる外食だよね。イギリス人的にはもはやブラックユーモアな部分もあるが、なぜこれほどまずいのかは気になる。別途これについて記載してみたので、気になる方はご参照のこと。さて、子供の誕生日といっても、何をするでもなく、日々大変な思いをしている妻とワインとおいしい料理を楽しんだ。

最高に美味の今回の夕飯のお店(なぜか周りに日本食店が多く、ラーメン屋がたくさんある)。 1789年7月12日の午後、「諸君、武器を取れ!!」と大きな声でカミーユ・デムーラン が演説した、パレ・ロワイヤルの近く。

最終日の3日目は有名画家達が愛した地区であるモンマルトンの丘へ。なぜここが画家達の町になっているかというと、過去のこの辺りは地価が安く(丘の上で移動に不便)有名画家達が世に出る前に住んでいたからだとのこと。とりあえず有名なサクレ・クール大聖堂は見ておいたが、目的は娘の似顔絵を描いてもらうこと。というのも、ここにあるテルトル広場は多くの無名画家達が青空の下創作に励んでおり、有料で似顔絵を描いてくれる。最初によさそうな雰囲気の画家がいたのだが、交渉に行くと我々が日本人と知り、「俺はキムタクの絵も描いた」と写真を見せてきて、どう見ても嘘。妻も絶対ヤダとのことで、別の画家へ。何人かのところで交渉したが、結局女性の画家に決めた。良い雰囲気のおばあさん。他の画家の方はスマフォで写真を撮って書いてくれるので、その場にいなくてもよいのだが、この人はスマフォ禁止。逆にそれに親近感を持った。値段は交渉すべき。娘のみか、3人を描いてもらうかで値段も違うし、画家個々人でも異なる。確かな値段は忘れてしまったが、確か3人で80€くらいだったので、今回は娘のみ30€くらいで描いてもらった。30分くらいだったと記憶する。そのあと近くのお店でお昼を食べて(当然私はビールを飲み)、Eurostarで帰英。全体として、もちろん良い旅であったが、やはり歴史的猛暑の影響で、特に1日目はあまり楽しめず、シャンゼリゼ通りももっと優雅に歩きたかった。今回はルーブル美術館も行っていないので、次回もう少しゆっくりしたいところである。

今回描いてもらった画家の方

ちなみに、現在、日産問題で熱い日仏関係だが、一方では「今上天皇は昨年9月、皇太子最後の外国訪問としてフランスを8日間にわたって訪れている。日仏友好160周年を記念して開かれた「ジャポニスム2018」に合わせた訪仏だったが、これにはフランス政府の強い要請があった。フランスとしては即位前の皇太子を元首級でもてなすことで、日本との関係をより強固なものにしたい思惑があった。外国の元首でもめったに使わないベルサイユ宮殿でマクロン大統領夫妻は歓迎晩餐会をもった」とのことで仲良しなのは良いことだ。是非実務的にもよい関係が続くとよいと思う。

帰国:パプリカとタピオカとラグビーに驚いて

Cambridge在学中、同級生の女子が「Bubble Tea買いに行こう!」と言っていて、Bubble Teaってなんだ?と思っていたところ。「あぁなんだタピオカミクルティーかぁ~、日本でも一時期流行ったな」と思っていたら、、、なんと!!日本でも再ブームが来ているではないか!!地元にもたくさん。阿佐ヶ谷がタピオカミルクティー初上陸エリアらしく、聖地らしいのだが、検索してもEvidenceが見つからなかった。。単なる噂か。

阿佐ヶ谷のタピオカ店開店日は半額で長蛇の列だった(ちなみにこの写真は私ではありません)

もう一つの日本熱狂、ラグビーと言えば高校時代に体育の授業で練習をした覚えがある。投げ方は習ったが、ルールをしっかり習った覚えはない。たまたま体育の先生がラグビー部の担当だったから「ラグビーをやらされているんだな、つまらないのに。。」と思っていた。そのくらいの関係しかなかったので、9月17日に帰国して周りがラグビーの話をしていることに心底ビックリした。アイルランド戦は、帰国直後ということもあり、アイルランド人のRebeccaから「ワカ見てる?」と連絡がきたから、ちょっと見た程度。が、結果として帰国後の日本戦は全部見た。面白かった。スポーツ観戦は2時間程度拘束されるので、好んで嗜むことはなかった。サッカーでさえ殆ど見てない。サッカー部の時も友達がチームや選手の話をしても殆ど分からない。まぁだから上手くならなかったのかもしれないが。でも、こういう盛り上がりの時だけでもニワカにファンになるのは双方にとって良いとは思うけど。ちなみにラグビーもサッカーもEngland発祥で、サッカーはCambridge発祥。CambridgeにあるParker’s Pieceという公園がその場所で、この公園の木の間の距離が今のGoalの幅の元になっているという噂を聞いた。ラグビーもそうだが(Cambridge発祥ではないが)、サッカーも非常に知的なスポーツだと思うので、Cambridge発祥なのもうなづける。

CambridgeにあるParker’s Pieceの場所、左上に「ケンブリッジ大学」と記載がある通りここら辺りが中心です

ということで、すでに一か月経ってしまったが、帰国時の感じを忘れないために(ってもう忘れてる事もあると思うが)、この回を設けた。実は1月と8月に日本に3泊5日で帰国しているのだが、1月はJapan Trek、8月は面接10個、で日本を感じる暇はなかった。。

まず、帰国して感じたのは、「遂に日本に帰ってきたな」ということ。と言っても、1年しか海外に行っていない。が、 大人になってから最も長い1年間だったと感じる。MBA受験中の約4年間は本当に1年が早かった。変化はあるにせよ、毎日勉強という同じサイクルの繰り返しだったからだ。一方で、留学中の1年間はなんだかんだ言って気を張っていたこともあって、長く感じたのだろう。以前も記載したが、1年間という思いが最初からあったので、気を張ったまま走り続けられたのだと思う。2年間同じ力の入れ具合で走るのはできなかったのではないか。MBA後の人生もなるべく長く感じる毎年にしたい。そう感じるためにどう行動するかというのは何となく分かった気がする。

生活面では、やはり日本は楽。35年間も住んでいるので当たり前という部分もあるが、日本語は通じるし、コンビニで何でも買えるし、電車も時間通り来るし、遅れた場合の対応は親切だし、Relaxして活動できる。

ちなみに「Relaxできる」と書いたが、実は帰国直前直後は大変で。。直前にいったクルーズ旅行のどこかの町の生ものに当たったのか、私が直前に嘔吐下痢で倒れ、空港行きのバスは途中で故障し3時間遅れ(帰国後に色々言って返金してもらった)、ギリギリ飛行機に乗れるも、妻が飛行機で同じ症状で、私が娘をあやすのだが飛行機内ギャン泣きで迷惑、妻は空港の検疫に引っ掛かり、その日は私の実家に帰るも娘にもうつり嘔吐、そして母親にもうつり。。という状況であったが、それでも問題なく住めるのが日本。

もちろんそのような便利さや品質を追求しすぎなところもあって、その結果が長時間労働や外国人労働者に対する過剰要求問題に繋がっている部分もあるのだろうけど。

もう一つは「パプリカ」。妻が娘と児童館に行ってきて聞いた。「「パプリカ」が流行っているらしいよ」。なんのこっちゃ??子供向けなの曲か~って思ってたらなんと、米津健司さんの歌ではないか。確かに歌詞はなんとも言えなく哀愁が漂う。しかし、子供たちの踊りもかわいくていい!!すぐに好きになった。

大好きなパプリカ

ビジネス的に言うと、キャッシュレスを本格的にやろうという気概が感じられた。それに伴って、Cloudやモバイルアプリの宣伝が増えたなと思う(ビジネス的に言うと、キャッシュレスを本格的にやろうという気概が感じられた。キャッシュレス風潮のおかげかどうかわからないが、Cloudやモバイルアプリの宣伝が増えたなとも思う。イギリスは、事前にも情報を得ていたのだが、やはりキャッシュレスが進んでいる。日本で一番現金ではないと困るのが割り勘だと思うが、イギリスでは(欧米はそうなのかもしれないが)キャッシュカードと非接触型のデビットカード一体型カードが普及しているため、支払いが早い。それもあって、お店で大人数で食事をしても支払い時に一人一人払うことを定員さんが許容してくれる。よって、この場合でも現金を持つ必要がない。この時の金額は一人一人言い値である。確かにこっちの方が効率的だと思う。電車の乗り方も切符の購入チェックは甘く、ただ、見つかったら高額罰金という運用。日本だったら、デビットカードを全員持っていても、店員が全部計算して正しいか確認しないと支払えない気がするので、どちらにしろ実現は難しいか。ちなみに、現在イギリスのオンラインバンクで有名なのはMonzoとRevolut。同級生もどちらかを持っている人が多かった。日本進出に関しては、Revolutはそろそろなはずで、Cambridge MBAの求人サイトにも日本のXXマネージャーのポジションが出ていたように思う。Monzoは不明。日本では、デビットカードもオンライン銀行もまだまだ普及がいまいちのように思うが、その話はまた別途。唯一現金が必要であったのが、洗濯。マンションだと洗濯機は基本共用で、しかも、コインランドリーなので、コインが必要である。このために現金をおろしてCoop(スーパーの一つ)で何か購入してコインを手に入れるという運用をしていた。(なんのこっちゃ・・・) ビジネス的に言うと、キャッシュレスを本格的にやろうという気概が感じられた。それに伴って、Cloudやモバイルアプリの宣伝が増えたなと思う(

駅も大分変ってきているなと感じた。特に東京駅、新宿駅、渋谷駅は開発がすごいが、ローカルの駅(武蔵小金井とか)もスタイリッシュになってきている。在学中に遊びに来てくれた友達の一人にJR東日本に勤めている慶應大学時代の機械工学科の同級生がいたのだが、彼がJRも運賃だけでは成長できないので、駅周辺の生活と合わせて考える方向性にTransformationしているとのこと。ちなみに彼には卒業以来会ってなかったのだが、MITも卒業していて(確かにScientific Englishとかいう、英文をどのようにAcademicに書くかという授業を慶應当時一緒に受講していた。その時のTeaching Assistantが成城高校時代の英語の先生のアシスタントのオーストラリア人でビビったことを覚えている)、みんな頑張っているんだなと思った。

生活と直結するJR東日本の経営戦略

駅も電車内もそうだが、日本ってやっぱりCreativeなのではないかと思えた。そして、それらの宣伝/広告が捻っていてやっぱり面白い。イギリスの広告は無味乾燥だった。電車時代も無味乾燥だが、その中の広告も断然日本の広告の方が面白いと思う。日本はアニメ等のEntertainmentでも認められているしUX(User Experience)という意味でもここら辺のCapabilityは使えるのではないか。Gamificationも使い方は難しいがもっと突っ込んでいけそうだ。一方で日本のビジネス文化的に仕事とPrivateは完全に分けるみたいな部分もまだあるので、相互のcollaborationが難しいのかもしれない。日本は外部の技術や文化を取り入れるのがうまいといわれる時もある。私も思う。例えば、女性の服装は「洋服」と言いながら、やっぱり欧米とは違う独自のスタイルをCreativeに追及していると思う。これもいいUniquness(もしくはDifferenciation)なのではないだろうか?ちなみに男性の服装はあまり見てないので、特に何も感じない。あえて言えば、スーツはやっぱりヨーロッパのスーツがかっこいいと思う。が、着こなしはやはり白人には敵わないとも思う。やはりどこかで着物への回帰が必要か。。。着物ならやっぱり日本人の方が似合う。

自分自身のCreativeさは残念ながら低いと思う(だからCreative Labを受けたのに微妙だった・・・)が、それでもCreativeになりたくて、MBA受験中はよくカフェで勉強していた。スタバが一番多くて、新宿三丁目のマルイ2階に毎朝通っていた。この前帰国後に伺ったら、バリスタの方が覚えていてくれて嬉しかった。他にも阿佐ヶ谷駅のプロントや銀座マロニエ通りのスタバにもよく通っていたが、両方とも内装がスタイリッシュになっていてびっくりした。カフェで勉強や仕事をする文化はどうなんだろうか?私は結構長時間居座っていたので、お店的にも他のお客様的にも迷惑なのかもしれない。一方で、内閣府が掲げるSociety 5.0についての本ではカフェ勉強/仕事はエネルギー効率がよいとの記述があった。それとは別に私は通勤時間は40分~1時間くらいがベストだと思っている。それはカフェと通勤が私にとっては外部とのよい接点だと思うからだ。毎日家と会社の間だけを通勤していたら、その二つのことしかわからなくなるように感じる。もちろんカフェと通勤だけで外部の事が分かるわけではないが、何かしら接点を持っておきたいと思う。カフェでエッセイ記載や資料作成をしているときに、行き詰って、ふと周りを見渡すと色々な人がいて、そこからまたIdeaが沸いて作業が進むということは多々あった。そういえば、IBM箱崎日本本社の社員食堂がスタバみたいな雰囲気になってってスタイリッシュだった。先輩に聞いたら、最近そうなったらしい。いい取り組みだと思うけど、私の外部との接点という意味では使わないだろうな。。

銀座マロニエ通りのスタバ、席予約もできるらしい。

今回は生活していて純粋に思ったことを記載した。Careerや今後のことについてはまた別途記載したい。

0歳児の3泊海外旅行(w/国際MBA生): チェコ共和国

歳のせいか、人様のお名前を覚えるのに苦労する。特にMBAの同級生の中にはスペリングを見てもどう発音するか分からない人もいて、発音を聞いても私には難しくて何度も聞いてしまう事が多々あった。逆に私の名前の「ひであき」の「ひ」が発音しにくいと聞いていたので、若林の”Waka”と自己紹介していた。でも、何人かの同級生は「”Hideaki”全然発音できるよ!」と言ってくれて、”Hideaki”と呼んでくれる、嬉しい。私も頑張らねば。

Prague、チェコ共和国の首都プラハの事だが、英語ではPragueで発音は「プラグゥ」。ただ、チェコ語では「プラハ “Praha”」と言うらしい。このように、日本語の発音の方が現地の言葉に合っている事も結構あるように感じる。例えばスイスの首都「ジュネーブ」。英語では”Geneva”で「ジェニーバ」と言わないと通じない、ただフランス語(スイスの公用語)では”Genève“で「ジュネーブ」の方が近いよう。しかし、これもスイス人とフランス人で発音が違うように聞こえる。

チェコの街並み(赤い屋根が趣を感じる)と同級生(参加者全員ではない)。企画者は左から4人目のサビーネとその旦那さんのマット。マットはMBA生ではない。ちなみにスイスに一緒に行ったエイミー(左から3人目)とダニエラとも今回一緒だった

さて、日本ではゴールデンウィークの後半に、MBA同級生のチェコ人(サビーネ)が企画してくれたPrague Trekに同級生、総勢約20名で旅行した。東寄りのヨーロッパにも行きたいと思っていたので、Whatsup(LINEみたいなもの)でサビーネが企画を公表した時に早速相談した。相談というのは、幼児を含む家族を連れていきたいという事である。基本的には皆Welcomeであるが実際のLogistic的な問題はしっかり確認しないと当日困ると思う。例えば、ベビーカーで行けるか(個人的にベビーカーは機動性が悪いので抱っこ紐で行くのではあるが)、歩くとしてどのくらいか、静かにしないといけない場合があるか、等。サビーネはよく相談にのってくれた(サビーネ、ありがとう!!)。今回は、歩く場所は多いが妻と相談して私が抱っこすれば問題ないだろうという結論になった。1日目の夕飯は時間が遅かったため子供を任せて妻にはホテルに待機してもらうことにした。申し訳なかったが、チェコを良く知る人に案内して貰える旅行も中々ないので妻も了承してくれた。ありがとう。また、2日目の夜にオペラが含まれていて、妻共々行きたかったが、流石に幼児は連れて行けないので、今回は辞退した。ちなみに”Trek”を使う時はBusiness Trekの意味らしく、何かしらビジネス関連のActivity(企業訪問とか)が必要らしい。よって、今回のプラハ旅行は正式にはTrekではない。

主に2日間で、1日目がプラハ観光、2日目が電車で1時間ほどのクトナー・ホラ(Kutná Hora)へ。前後が移動日なので、3泊である(「スイスの4泊の次は5泊か」と期待していた方ごめんなさい、、ってそんな方いないか?)。我々3名のみ、市内のホテルに泊まった(他の同級生は相も変わらずAirbnb)。今回はスイスの教訓を生かして、少し高くても広めの部屋を取った。ちなみにホテル選びの基本的な判断基準は朝食付きで一泊1万円程度を選んでいる、朝ご飯をどこで食べようか考えるのを好まないからだ。

ホテルは右下のアンナホテル、集合場所が真ん中下の聖ヴァーツラフ像であった、ホテルから歩いて10~15分。真ん中のKantyna は後述の2日目のレストラン

1日目のプラハ市内観光の午前中は、主にチェコの近代史の話。今回も旅行会社のエージェントが同行した。旅行会社と言っても、日本のようにスーツ着た添乗員さんのイメージではなく、地元のお兄さん、お姉さんのイメージだ。最近は東京でもそういう傾向があるような気がするが。最初は第2次世界大戦時の話が主で、スデーテン割譲後のチェコスロバキア解体や大戦後の共産化、「プラハの春」後の民主化の内容である。この時もシナゴーク(ユダヤ教の教会)の案内を受けた、当日は特に印象的に思わなかった。しかし、イスラエルに訪問した後だから感じるが、ドイツ第三帝国によるユダヤ人迫害の歴史は、ドイツ自体だけでなく、占領下各国においても重要な要素のようだ。一方で、私が元々チェコに訪れたかった理由は西欧とは異なる雰囲気を感じられると思ったからだ。そういう意味ではモルダブ川にかかる有名なカレル橋(Karlův most)とプラハ城(Pražský hrad)は圧巻だった。カレル橋は両岸に塔が立っており、橋自体には等間隔に像が立っており、橋幅は車が2台通るには狭いが、人が通るには十分で広く感じた。昔は馬が複数列で行進したのだろう。プラハ城はギネスブックによると最も古くて大きい城のようだ。

カレル橋は真ん中の線(車が通れないので細い線で表示されている)とプラハ城(左上)
モルダブ川に架かるカレル橋
カレル橋(左)とプラハ城(右上)と参加者数名(左から、ブラジル人、アメリカ人、インド人(カナダで仕事)、トルコ人、チェコ人、チェコ人、ヨルダン人(ドバイで仕事)、(下に行き)日本人、香港人、日本人)

実はこの日は非常に寒く、プラハ城に着く頃には雨も強く、寒さ対策に翻弄されてあまり覚えていない。。ただ、昼食は美味であったのは覚えている。サビーネとマットと同じ席だった。マットがビールを頼んでいたので、私も頼み、私が常々疑問に思っていた、ヨーロッパの人は思ったよりお酒を飲まないという話をすると、「チェコ人はヨーロッパの中でもお酒、特にビールをよく飲む人種だ」と言われた。実際マットと私は昼食で2 pints(1 pintは500mlより少し多い)のビールを飲んだ。サビーネも元々よく飲むという話をMBAコース中も話していて、「チェコで一緒に飲めるのが楽しみだね」と言ってたが、幸運にもPrague Trek企画中に妊娠がわかり、今回は飲んでいなかった。妻も元々お酒が好きだが最近飲めていないので、お互いその点だけは残念がっていた。

ちなみに、このモルダブ川、Google Mapではブルダバ川と記載があるが、発音は「ヴルタヴァ」が近いよう。日本だとよく中学の合唱コンクールで歌われるらしい「モルダウ」の発音が有名のようだ。川と言えば、ヨーロッパの首都には有名な川が流れている、モルダブ川、ロンドンのテムズ川、パリのセーヌ川、ローマのテベレ川、そしてケンブリッジのケム川。飲み水確保の意味もあったろうが、水運を担っていて物資輸送に利点があったという話も聞く。東京はどうだろうか。以前神田川クルーズを体験した時に、神田川と隅田川が水運を担っていたとの説明を受けた。しかし、現在神田川の存在感は上記の川と比較しても存在感が薄く感じられるがどうだろうか。

プラハには世界でも屈指の歴史を誇る大学、プラハ・カレル大学があり、1348年に神聖ローマ帝国皇帝カール4世が創立した。ちなみに総合大学で最も古いのはイタリアのボローニャ大学で1088年創立。次がオックスフォード大学で1096年、そして3位がケンブリッジ大学で1209年だ。・・・と言いたいところだが、資料によってはパリ大学やスペインのサラマンカ大学、いやいや南京大学が9世紀で最も古いという記述もある。

2日目はクトナー・ホラ。私としてはここの聖バルボラ教会が今回の旅行のハイライトだった。遠くに教会の全景が見えて、向かって坂を登っていくと、この教会の尖頭が見えてきて、教会の全景が見えるとそこまでは左側が崖になっている道があり、ここも等間隔に像が立っている。こういう風景を見るとPlayしていたRPGを思い出して、何か冒険ができそうでワクワクする。ちなみにプラハ城の下に「ヴァレンシュタイン宮殿」という場所があるのだが、これもAge of Empires 3でドイツでプレイすると「ヴァレンシュタインの契約」という政策を使えて、それで名前を覚えていた。(そんなことをやっていたのでMBA受験に4年もかかったのだろう。。)

遠望の聖バルボラ教会と今回の全参加者
坂を登ると見える教会と橋
思い出す冒険の日々(Dragon Age:Inquisition より)

2日目の夕飯は、オペラを辞退したこともあり、妻と子供と3人でサビーネに教えてもらったお肉専門のレストラン、Kantýnaへ。基本的にお店は予約をする。予約の方法は基本的にメール。公用語が英語以外であると先方も英語の会話が苦手な場合もあるし、国際電話よりもメールの方が良いと思っている。ただ、今回のお店は予約できなかった。理由は直接行って理解した。このお店はお肉屋が基本でレストランは併設だ。注文は基本Self-Serviceでお肉の種類、グラム、調理法を頼む。席も立ち席と座り席があるが空いたら勝手に座る形式だ。だから、予約は受け付けていないし、安めの値段で提供される。高級店ではないが、多くの人が来店していて賑わっていた。

Kantyna の店内、お肉をオーダーする場所

今回も同級生が妻子を快く受け入れてくれたし、スイスとは異なり全日程が旅行だったためリラックスして過ごす事が出来た。比較的女性が娘との交流を楽しんでくれていたのは日本も一緒だなと感じた。一方で、海外旅行に幼児を連れていくというのは日本だとどういう印象を持たれるのだろうか?「幼児を連れて旅行に行くなんて!」なのか、「家族でそういう経験大事だよね」なのか。帰国しないと分からないだろう。みんな娘と遊んでくれて非常に嬉しかったし、彼女にとっても良い経験になっていると信じている。少なくとも写真等を見て、幼児の時に国際色豊かなメンバーと交流したという事実がよい影響を与えるようにしてあげたいと思う。

ダニエラとモハン(中国人)。モハンにも2歳のお子さんがいるが、この日はモハンのお母さんとCambridgeでお留守番
プラハの夕焼け

0歳児の4泊海外旅行(w/国際MBA生):スイス連邦

スイス、と聞くとイメージは「高い」しかない。実際高かった、しかしアルコール類、ビール、ワインは比較的普通の値段だったように思う。そう言うわけで今回はスイスのジュネーブへ家族旅行。この旅行は何を隠そう(隠すほどでもないが・・・)、MBAのプロジェクト、GCPの ついでであり、2泊延泊してジュネーブ観光をした。

5日間だが、1日目は移動日で、2日目木と3日目金はWHOヘ出勤、4日目土が観光で、5日目日が帰英日なので実際の観光は土曜日の1日である。しかも、2日目と3日目は妻と子供をおいてWHOへ出勤しなければならなかったので妻には申し訳なかった。しかし、妻も普通に電車に乗ってジュネーブ観光を子供としてくれていた。

そもそも、プロジェクト・メンバーの4人が妻子同行を快く同意してくれたから実現できた。本当にありがたい限りである。特にダニエラとエイミーは子供が好きなようで、よく気にかけてくれた。

ダニエラと娘

滞在地について、我々以外の4名はAirbnbでWHO近くのフランス領の場所を選択、我々3名は市内のホテルにした。やはり子供がいると何かと相談できるホテルの方が良い。ホテルはそこまで高くなく、朝御飯と市内のバス電車乗り放題チケットが付いていてよかった。色々な国に行って思うが、公共交通機関は何気にチケットの買い方が国によって特殊で調べるのもめんどくさい。乗り放題チケットはありがたい。ちなみに、スイスはフランス語が公用語、フランス語に困るのはみんな同じようで、飛行場からフランス領のAirbnb住居へ行くのが大変だったよう。エイミーが子供の頃スイスに住んでいてフランス語が少し出来るらしいのだが、大変だったようだ。

WHO本部は地図真ん中の赤丸。他のメンバーの滞在地は左上の緑の旗、線はスイスとフランスの国境。ちなみに我々家族のホテルは最下部真ん中のピンク(見にくくてすみません)

1日目は旧市街へ夕飯を食べに行った。スイスといえばチーズフォンデュー。探しに行った。旧市街自体は趣があってカッコイイ、お店もいくつかあって、良いお店が見つかった。チーズフォンデュー、旨かった。あまりチーズは好きではないのだが、白ワインで味付けもされていて、具はパンだけであるが非常によかった。頼んだパスタも美味。が、食べ物自体は高かった。。。とてもじゃないがいつもみたいに、たくさん頼めず、この日は腹八分目。

ビールは外せない、思ったほど高くない、イギリスと同じくらい
スカした写真を撮ってみた、旧市街がカッコイイ

ちなみに、スーツで公共機関を使って出勤していると、なんだがこの場所で仕事をしている現地人のように感じる。実際駅で初老の女性に道らしきものを聞かれた(フランス語なので理解できず。。)。いや、でも、さすがに私、どう見ても完璧なアジア人ですが。。なぜ私に聞こうと思ったのだろうか。そういえば、大学院の卒業旅行でパリに行った時も、駅で道を聞かれた。。フランス語圏だとそうなるのだろうか。

さてホテル、前出のように場所も値段もよかったのだが、部屋は3人には少し狭かった。そして、この時期娘が良く泣く時期で、妻が夜中に起きて寝かしつけていたのだが、泣き止まない時も多く、隣や上の部屋から苦情が来ないか心配であった(実際苦情はなかったが)。そして、妻も娘をずっと抱っこしているのも体力的にキツく、腕も痛くなっていたよう。しかし、私が抱っこすると更に泣くため、何がSolutionなのか不明。これが幼児育児の辛さかと感じた。流石にあの狭さで4泊は少々キツかったかなと反省。狭いと娘も動けないし、妻もあやす場所を選べなくて辛いようだ。

4日目の観光日。どこに行こうかと妻と相談をしていた。モンブランが近いので、是非行きたい!!と話をしたのだが、ハイライトのトラムに幼児は乗れないようで、断念。高山特有の酸素の少なさが幼児の脳の発育には良くないらしい。

行きたかったモンブラン

そうは言ってもやはり、スイスは「アルプスの少女ハイジ」の国。自然を堪能したい。実際、ジュネーブは山に囲まれた盆地のようなところで、ヨーロッパに来て初めて山脈を感じられた。今回はジュネーブからバスで行ける場所に良い山があり、そこにハイキングに行くことにした。山の名前はサレーブ山、麓からロープウェイで行ける。

左上のピンクのハートマークがホテル、真ん中の赤丸がロープウェイで南が山。ロープウェイはフランス側にある。

ロープウェイからのハイキング・コースは私が抱っこ紐で娘を抱いて散策。そこそこの坂道だ。しかし、私のように幼児を連れた家族もチラホラいる。しかも、きっと数日前に足を怪我したのだろう、松葉杖のお母さんが小学生くらいの子供と歩いている姿も見かけた。その足でハイキングですか・・・。こういう光景は日本では中々ないような気がする。

山から見るジュネーブ市街
レストランから見えるモンブラン山脈

目的地は頂上(?)付近にあるレストランだった。景色はよかった、が、ここでフランス語の壁が、まずメニューがフランス語で店員もフランス語でガンガン喋ってくる。正直お互い言っていることは分からないのだが、なんとなくポテトが欲しく、それっぽいものを頼んでみる。が、全然予想と違うものが出てきた。しかし、結果的にはこれが美味しく、ビールも飲むことができて、満足した。

この右下のカップに入ったスープがなんなのか分からなかったのだが、美味しかった

この日の夕飯は同級生と一緒にジュネーブ市内で。彼らは車で遠出をしていたのだが、娘が車内でジッとしてられないと思ったので、我々は別行動をしたのだ。お店自体はよかったのだが、ここでもフランス語の壁が。前回のチーズフォンデュは具がパンだけだったので、今回はお肉や野菜もつけて食べたいと思い、「肉がフォンデュされる」物を頼んでみた。が、なんと、チーズがなくお湯に肉を潜らせるものだった。これはただのシャブシャブじゃないか!あぁ〜つまりフォンデュってそういうことですか。。学んだ。

でも夕食自体は楽しかった。今回家族を連れて行ってよかった。プロジェクトメンバーとも良い交流ができたし、家族の良い思い出になったと思う。もちろん色々大変なこと(主に妻が)もあるが、それも含めて良い家族の経験であろう。

妻子とプロジェクトメンバー

「男のロマン」の果て(?)イスラエル紀行(下):スタートアップ

ビジネス・スクールなんだから真っ先にこの内容を書くべき。なのだが、興味の範囲が歴史や国際関係偏重なので仕方ない(理系なので科学技術は言うに及ばず)。自己紹介にも記載したが、本棚はほぼ歴史の本で仕事関連の本なんかほとんどない。それにしてもなぜ歴史が好きなのだろうか。聞かれてもあまりちゃんと答えられない。帰国前に一度ちゃんと考えて、ブログに書いてみよう。MBAコースで記載したい内容が溜まりに溜まっているが。。。

本棚再掲

ビジネス的にイスラエルと言えばスタートアップだろう。個人的にはサイバーセキュリティー関連が多い気がしている。それは兵役があって、そこで学んだ技術を元に起業することができるからだと思う。ちょうど訪問時も、テルアビブ大学でサイバーセキュリティー関連のConferenceが開催されていた。前々回に記載したIBMが買収したTrusteerもサイバーセキュリティーの会社だ。正直サイバーセキュリティーは専門家でないと中々難しい内容である(ちなみに私は素人と専門の間くらいではあると思う)。例えば、いくらITセキュリティーに投資をしても、アメリカ、ロシア、北朝鮮、イスラエル辺りのサイバー部隊に本気で狙われたらどうしようもない。こうしている間も国家レベルで様々なサイバー兵器が開発投入されているのであろう。リアルタイムで攻撃のトラフィックを見ることができるサイトがあるので、一度見てみると面白い(MBAの授業で教えてもらった)。実際私の好きな出川さんがCMをしていたコインチェックの仮想通貨流出事件は北朝鮮ハッカーの攻撃であったようで、北朝鮮的には外貨入手のための方法の一つとして重要な資金源なのだろう。一方で、コインチェックのような中小企業がどの程度セキュリティーに投資すべきかは難しい問題ではないか。セキュリティー対策は際限がないし、ガチガチに固めたところで何の攻撃もないかもしれない。ガイドラインがあるのか、と思って探したら、あった。経済産業省が公開しているよう。とは言え、対策の程度は中々難しそうだと常々思っている。

リアルタイムのサイバーアタック状況 (2018年のある時期の例)

イスラエルに話を戻すと、スタートアップが盛んな理由は、兵役以外にも4つの重要な要素があるようだ。今回訪問したOur CrowdとStartup Nation Centralでこの要素については同様なことを紹介してもらった(この二つの会社の取り組みについては後ほど)。まずはCulture(文化)。イスラエル人は合理的で果敢な文化精神があると言われている。これは前回記載した近代史からも建国間もない国としての生き残りをかけていた(いる)状況が影響しているのかもしれない。また、ネットワーキングの強さを指摘されることも多いが、これはユダヤ人コミュニティーの結束力の強さがそうさせるのであろう。2つ目はIDF(Israeli Defense Force:イスラエル国防軍)であるが、これは上記の通り(ちなみに同行した同級生のシンガポール人に「JSDFってさぁ〜・・・」って話をされてJSDFって何?って聞いたらJapan Self-Defense Force(自衛隊)のことだった、、そう訳すのか。。)。3つ目はImigration(移民)。イスラエルは移民をしっかり受け入れており、それにより多様性が育まれて、Ideaが生まれるそう。が、前回記載の通り疑問が残る部分ではあるし、これによる国内問題もあるのであろう。4つ目はGovernment Support(政府の支援)。Israel Innovation Authorityという政府のInnovation支援官庁があり、政府主導のアクセレレーター・プログラム等も盛んなよう。5つ目はLuck(運)。運は大事であろう。マキャベリもリーダーの資質に重要なのは「ヴィルトゥ(徳)」、「時代を読む力」、そして「運」だと言っていた。イスラエルの場合は、たまたま建国間もなく、たまたま紛争が多くて、たまたま技術力が上がった、のであろうが、それらを引き寄せた国内の力も見逃せない。(運の重要性は認識しているつもりなので、運についても自分の考えを整理して記載した方が良いかもしれない。。)

スタートアップ ネーションに繋がる5つの要素
イスラエルの国民一人辺りのスタートアップの数は世界一

さて、今回訪問した会社の一つであるOur Crowdは西エルサレムに本拠があり、Venture CapitalとCrowd Investing(クラウド・ファウンディンの一形態)を合わせた事業形態で展開している。よって、クラウド・ファウンディングを利用して、Our Crowdのサイトから個人でも投資ができる。ちなみに日本では投資型のクラウド・ファウンディングは事業者側には高いハードル(規制)があるが、出資者には規制がないよう。そして、Venture Capitalの役割も担うため、Our Crowd自身がdue diligenceを実施した品質の高いスタートアップが多いそうだ。

もう一つのStartup Nation CentralはNGOで、テルアビブに本拠があり、イスラエルのInnovationを促進するために各Stakeholderを繋げる活動を主に実施しているよう。サイトでは、興味に沿ってイスラエル内のStart-upを検索できるし、イスラエル内のスタートアップに関する調査結果を閲覧できる(要登録)。当然、前出のサイバー・セキュリティーだけでなく、農業(Ag-Tech)やインフラ(Water&Energy)も盛んであるよう。

イスラエルStartupの業界

一方で、最近はスタートアップ企業数などは減少してきている(させてきている側面も)。それは、スタートアップ企業は雇用に結びつきにくいので、政府がより規模の大きな企業の数の増加に政策転換をしてきているからだという記事も見られた。現地でお会いした日本人の方も「最近はスタートアップよりも巨大テック系企業の存在感が大きくなっています。エンジニア系人材の草刈り場になり、イスラエルのスタートアップの起業数は減ってきてるそうです。~~ 特にインテルのイスラエルの活かし方は抜群にうまくて、スタートアップの買収により新しい事業領域にはいると同時にイスラエルに経営資源も投下し、R&Dや事業開発の拠点化をしているように見えます。」という内容を記載されている。スタートアップが持て囃されている現在、つい華やかな世界に見えるが、大企業も(当然だが)重要な意味を持つのだなと思った。経済における大企業、中小企業、スタートアップ、それぞれの役割や意味についてまだまだ理解していないと認識した次第である。翻って日本(人)の事を見てみると、少し驚いたことに訪問時のPresentationの中で、日本のInnovation順位が意外にも低くないことが分かった。例えば、World Economic Forumによる調査によると、R&D Expenditureの対GDP比はイスラエルが1位で日本が3位。もう少し調べると、Research & Development全体では日本が1位でイスラエルは17位。さらに上位カテゴリーのInnovation Capabilityでは日本は6位でイスラエルは16位だった、1位はドイツ。ただ、やはり日本のStartupの数は少ないようだ。しかし、Innovation Capabilityがあって、それで本当にInnovationが起きているのであれば良いと思う。日本はもうInnovationが無いというのは穿った見方なのだろうか。

都市別のスタートアップ数ランキング、テルアビブが世界6位、日本の都市の名前はない

どのようにイスラエルと協業していくかと考えると、この大企業スキルを駆使するのが良さそうだ。同じ記事だが、「イスラエル人は、スタートアップ、ベンチャー、イノベーションに関心があり、得意であるが、辛抱や長期的企画、大規模な経営などは必ずしも得意ではない。それに対して、日本はスタートアップやベンチャーはあまり得意でないが、組織の大規模化や大量生産化は得意であると言えよう」との記載があった。イスラエル自体も漫画、食、だけでなくて、ビジネス的にも日本には興味があるようで、近々日本への直行便ができるそう。ただ、現在イスラエルが持つ日本への興味はスタートアップの買収元やFund資金であるように思う。実際楽天がViberを2014年に買収し、この楽天Viberが2015年にNextPeerを買収している。可能であれば、お金の面だけではなくて、国民性や技術力に興味をいただいていただき、その部分でWin-Winの関係になれれば一番良いと思う。

イスラエル紀行、長くなったが、歴史、現状、そしてビジネスと記載することで、これら3つは無関係ではなく、繋がって現在の経済とビジネス状況になっているのだなと理解することができたように思うのでよかった。旅行が終わった後に、ここまで調べたのは初めてだ。ただ、毎回このレベルでブログを書くことはできないが。。。

「男のロマン」の果て(?)イスラエル紀行(中):近代史と現在

2014年に、会社のStrategyについて議論するという名目のもと同世代(入社年次の近い)の日本IBMerとNYCのIBM HQへ出張(ある意味ご褒美旅行)したことがあった。その時、毎日同世代と飲んでいて、「楽しいけどもうこういうことはないだろうな」と思っていた。が、MBAに来て、特にTrekに参加すると毎日異国でみんなと飲めて、同じ経験がまたできた。ありがたい限りである(もうこんな事はないだろうな、、とは思わない)。しかも、今回のTrekはよく企画されていて、それはiTrekというアメリカのNGO(かな?)がMBA生向け(だけではないと思うが)に旅程を企画しているからだ。Cambridge MBAのイスラエル Trekパーカーもあり、バスもCambridge MBA御一行様で、レストランのメニューもCambridge仕様であった。ちなみに、イスラエルの物価は高くて、350mlくらいのビール瓶が1000円近くする。今回はiTrek内にほぼ含まれていたのであまり気にせず飲食できた。だが、このiTrekの旅程自体がイスラエルの全てと思ってはいけないなと感じたのは後半で。

Cambridge仕様のバス、全旅程はバス移動だったので楽だった
Cambridge仕様のメニュー

「やはり現地に行くのが一番」という事で、旅行に行くのだと思うが、今回のTrekは私の中で最も「現地に行って良かった」と思える旅行であった。なぜなら、現地で見聞きした事が事前に得た情報からの推測とは異なっていたり、旅行中も昨日聞いた事と今日聞いた事が食い違っていたりした。本当にイスラエルは複雑な状況にあるのだなと感じ、それが世界の縮図なのだろうという思いから、イスラエルに対してだけでなく、物事に対して複数の見方が必要だと再認識できた。

前回記載したように、現在のイスラエルは1948年建国であるが、その独立宣言には「ユダヤ民族が他の諸民族と同様に、主権国家における自らの運命の主人である当然の権利である」と記載があり、ユダヤ民族の国でもある(一方で、多様性を受け入れる民主国家であるとも謳っている、前回も記載したが、実際ユダヤ人だけで現在のイスラエル人が構成されているわけではない(イスラエル中央統計局(2014年)によれば、ユダヤ教75%、イスラム教17.5%、キリスト教2%、ドルーズ1.6%))。よって、ホロコーストについての知識は必須で、旅程にもホロコースト・ミュージアムへの訪問が含まれていた。ホロコースト・ミュージアム自体は非常に良い立地にあり、建物も近代的であった。本Trek企画者のロシア人同級生に聞くと、政府からの援助よりユダヤ人コミュニティーからの寄付が大部分を占めるそうだ。ホロコーストの詳細は様々なメディアから得られると思うので、ここでの記載は省くが、ドイツ第3帝国のユダヤ人迫害により連合国側にたって参戦したユダヤ人が多数おり、彼らがイスラエル建国に大きく貢献した事は留意しておきたい。ホロコースト・ミュージアムではホロコーストを経験した女性から直接話を聞く事ができた。髪を綺麗に白髪と黒髪で分けており、シワがあっても肌の綺麗な女性であった。大戦中はスイス領内のイタリア支配地域に住んでいたようであるが、連合国がイタリアを陥落させた後に同領内がドイツ支配となりユダヤ人追求が厳しくなった事と、イスラエル国防軍へ従軍していたお孫さんがスナイパーからの狙撃で戦死された事が自身のホロコースト体験より悲劇であったと話していた事が印象的であった。

ホロコースト・ミュージアムからの景色
ご自身のホロコースト体験についてお話しいただいた

一方でホロコースト・ミュージアムで見た事がユダヤ人の全てではないという事も知っておかねばならない。Trekに同行した日本人同級生のお知り合いがパレスチナでお仕事をされているという事で、お話を伺う機会を得る事ができた。彼に確認すると、現在のパレスチナのライフライン(電気、ガス、水道)はイスラエルの管理下であり、パレスチナ自治区の周りは、トランプもびっくりの壁で囲まれている。よって、経済を強化して独立度を高めようにも難しい状況。帰英後に簡単に検索すると、確かにイスラエル側のパレスチナ人(パレスチナに住むアラブ人の事をこのように呼ぶ)に対する人間的でない行為も散見されるよう。彼も「イスラエルに来てパレスチナ自治区(ヨルダン川の西側にありWest Bankと呼ばれる)を訪問しないのはもったいない」と言っていて、私も是非訪問したかったのだが旅程的に1日早く帰国が必要で訪問できなかった。同行した日本人同級生2名は訪問していて羨ましかった。訪問の仕方を話している際に、「ガイドの人に聞いてみようか」という話をしたのだが、彼曰く「ガイドはイスラエル人だから「危険だから止めた方がいいと思う」と言うだけかもしれない」と言っていて、軽い衝撃を受けた。実際パレスチナ自治区とイスラエルの間には検問があり、検問のイスラエル側には「イスラエル人はこの先殺される危険あり」(というニュアンス)の立て札があるよう。じゃぁアメリカ人はどうか?と問うと、「分からないが、日本人よりは危険なのは間違いない」との回答。日本政府の方針は「イスラエルとパレスチナの2国間解決」でパレスチナも支援しており日本人に対する危険度は低いよう。ただ、別の日に、これも同じ同級生の知り合いでイスラエルに在住の方の話を伺う機会があったのだが、彼曰く「West Bankの60号線は銃撃があったり、バス停留所毎に武装兵が警備していて本当に危ない」とのことであった。外務省の危険情報によるとイスラエルはレベル1(十分注意してください)でWest Bankはレベル2(不要不急の渡航は止めてください)であった。ちなみにガザ地区はレベル3(渡航は止めてください。(渡航中止勧告))で、イスラエル北部のレバノン国境周辺もレベル3(渡航は止めてください。(渡航中止勧告))。って、ちょっと待って、今知った。。。これについては後ほど。

中央を縦に走っているのが60号線

イスラエル人とパレスチナ人の間には確執が絶えないが、訪問したSodaStreamという会社(日本でも炭酸発生機を消費者向けに販売している、日本語で検索したらアンジャッシュの渡部が出てきて懐かしさを感じた(笑))ではイスラエル人もパレスチナ人も分け隔てなく雇用しており、工場(ガザ地区に比較的近い)で働いているという状況を見て、良い活動をしている企業もいるものだと思った。ちなみにSodaStreamは2018年にPepsiCoが買収した。しかし、SodaStreamの上記の活動は単なるプロパガンダという話もそのあと聞いた。そんな事を聞くと、上記の動画の社長さんがトランプに見えてきたし、確かに同級生が「マネージャー層にパレスチナ人がいるか?」と質問した際には「No」という回答だった。SodaStreamよりも最近NVIDIAが買収したMellanoxという半導体メーカーの方が良い活動をしていると聞いた。確かにこの会社もパレスチナ人の雇用をコミットしているよう。まぁ、しかし、この辺は、流石に私が1週間訪問しただけでは何が正しいのか分からないのだろう。ちなみに帰英後に、マレーシア人の同級生と会話していたら、彼女のハウスメイトがパレスチナ人だったことがあったそう。彼女曰く、彼はNationalistらしく、卒業したらパレスチナのために何かしたいと常に言っていたそう。彼女が別のイスラエル人学生に彼の話をしたら、そのイスラエル人は「パレスチナ人が海外の大学きているの!??(お金やVisaどうなってんの?)そんなバカな!」という反応だったようだ。

ところで、イスラエルとパレスチナ、なぜこんな状況になっているのか、ちゃんと調べようと思って帰英後に記事(日本語)を複数読んでいるのだが、正直複雑過ぎて未だに理解が追い付かない。イスラエルからの帰英後も思ったが「複雑過ぎて分からない事が分かった」状況がまだ続いている。しかし、全部分かるのは無理だけど、分かろうと努力することが大事だということで、とりあえず、イスラエル訪問中もよく話に出てきた「サイクス・ピコ協約」が重要らしいので、その辺の話を調べていた。ら、「「サイクス・ピコ協約」より「セーブル条約」が重要だ」という記事があり、もう何が何だか分からない。

とは言え「サイクス・ピコ協約」。近代のこの地域は、オスマン帝国(~1920)→イギリス委任統治領パレスチナ(~1948)→現イスラエルであり、第1次世界大戦中の1916年にイギリスとフランスの間でパレスチナ地域の分割について結ばれた密約が「サイクス・ピコ協約」である。ちなみに同じタイミングでユダヤ系のロスチャイルド家に対してイギリスは「バルフォア宣言」によりユダヤ人のパレスチナにおける故郷再建の支持を表明している。

出典と拝借した記事

この協約は、1920年の「セーブル条約」で公式のものとなったよう。ただ、「セーブル条約」自体はこのアラブ領土の部分だけではなく、イスタンブール周辺のオスマン帝国をどのように分割するかを含んだ条約であった。そして、その後の将校達による「セーブル条約」受け入れ拒否による「トルコ独立戦争」(1919-1922)、「アンカラ条約」(1921)、「ローザンヌ条約」(1923)によりオスマン帝国の処理は完了する。イスラエルに話を戻すとこの「セーブル条約」により1920年からイギリスの委任統治が始まっている。ただ、このイギリスの委任統治中にもユダヤ人やアラブ人の反乱や衝突があった。さらには、ユダヤ人のパレスチナ(現イスラエル含む)に向かう移民も急増した。前出のように、大戦中はホロコーストもあり、ユダヤ人は連合国側で戦ったが、大戦終結後にはイギリスに対する不満が再燃し、遂にはイギリスが委任統治を諦め、1948年5月14日にイスラエルは独立宣言を行った。真っ先にアメリカがこれを承認し、ここに第1次中東戦争が勃発した。この時のイスラエルとアラブ諸国(エジプト、ヨルダン、シリア、レバノン等)との戦力差は1対20であったが、アラブ側の指揮系統の不統一と大戦中に連合国側で戦ったユダヤ人の高い練度もあり、戦線は膠着し、停戦に至ったようだ(歴史を読んでると、少数側が勝つのは大体相手側の「指揮系統の不統一」本当組織の命令系統の統一って重要なんですね)。その後の第2次中東戦争と第3次中東戦争を経て、イスラエルの領土は以下のように広がった。つまり今問題になっているゴラン高原、ガザ地区とWest Bankはこの時に侵攻した地区という事だ。シナイ半島は第4次中東戦争後の1979年にエジプトに返還されている(ガザ地区も返還しようとしたようなのだが、エジプトに「いらない」と拒否されたらしい)。1993年にはオスロ合意により、パレスチナ自治政府が認められ、占領地域を段階的にパレスチナ自治政府へ返還する事が合意されたが、その後のテロ行為や国内の反乱により未だ返還は進んでいない。ちなみにイギリスやアメリカがなぜここまでイスラエル(とユダヤ人)を支援するか疑問であった。調べると、なんとなく、国内のユダヤ人勢力の影響力が強いからのように見える(前出のバルフォア宣言然り)。むしろイスラエルがアメリカを対イラクで利用しているようにも見える。アメリカやイギリスにとっても対外的な戦略的意味もあるように思えるのだが、ちょっと分からなかった。

第三次中東戦争後

まとめると、

  1. 第1次大戦後のオスマン帝国の現イスラエル地方の領土分割を「サイクス・ピコ協約」で密約、「セーブル条約」で公式化し、現イスラエルはイギリス委任統治領パレスチナに
  2. 同時に「バルフォア宣言」でイギリス国内ユダヤ人にユダヤ人国家建設の約束
  3. 現イスラエルへのユダヤ人移民の増加とアラブ人との衝突増加
  4. 第2次大戦後、イギリスが委任統治領パレスチナの統治を諦める
  5. 現イスラエルのユダヤ人がイスラエル独立宣言(アメリカが真っ先に承認)と第1次中東戦争、
  6. 第2~4次中東戦争を経て現領土に。現パレスチナをイスラエルが統治(パレスチナ問題へ)

ということかと思う。あまり自信がないが。。

我々の旅程において、West Bankは通過しただけである。マサダ要塞後に死海へ訪問した。死海のビーチは観光地化していて、日本人にとっては塩分濃度が高く体が浮くというエンターテイメントのイメージしかないが、実はすぐ北はWest Bankである。上記Google Mapの死海(Dead Sea)のすぐ西にある90号線を通って北に向かったのだが、West Bankからイスラエル側に戻る時には検問があり、銃(多分M16だった、古い型な気がするが検問だからか)を持った兵士がバスの中に入って何やら確認後、検問を通過できた(流石に写真を撮る気にはなれず)。北に向かったのは次の日レバノン国境沿いに訪問するためだ、だが実はここが、前出の外務省ではレベル3の地域であった。知らなかったのが恥ずかしい。

レバノンとの国境近く、バスより同級生が撮影

レバノンとの紛争まで記載すると長くなるので、割愛するが、イスラエル国防軍の諜報部所属の大尉からレバノンとの関係やミサイル、シェルターの話を聞く事ができた。

レバノンの国境付近の山でレバノンを臨みながら

ミサイル警告が出る場合にはこの辺りだと、7秒で着弾、最大都市テルアビブであれば45秒で着弾という説明を受けた。その後、日本人同級生とも会話したのだが、7秒と45秒の差は大きいがそれでもこの地に住民がまだ住んでいる。しかし、勝手知ったる、もしくは先祖の土地を離れたくないというのが心情だろうと話をした。一方でミサイルの危険に関しては、前出の日本人の方が「イスラエル人の運転を考えると交通事故の方が確率的に危険」という話をされていた。

このような軍事的な色彩が強い話を聞くのもイスラエルならではだが、イスラエルは建国間もなく、しばらくは生き延びるのに精一杯であった。周りが敵ばかりであれば、軍事も考えつつ、生き残るために非常に合理的な選択をし続けなければならないのだろうと想像する。しかし、今は少し余裕も出てきているようだ。が、それによって国内のアイデンティティー的問題もあるよう。独立宣言には「ユダヤ民族が他の諸民族と同様に、主権国家における自らの運命の主人である当然の権利である」ということで「ユダヤ人国家」である事を宣言すると同時に、「宗教、人種、あるいは性にかかわらずすべての住民の社会的、政治的諸権利の完全な平等を保証」と、「民主国家」も謳っている。つまり国内の非ユダヤ人をどう扱うかが課題であるようだ。少し、アメリカに似ている部分があるか?と思った。アメリカも建国時は、生き残りに精一杯で、高い合理性を持っていた(いる)し、民主国家を謳いながらも奴隷問題はあまり触れず、後世に託さなければならなかった。弱小国家ではそのような難事業は達成できないと、建国の父達は考えたからだ。それはある意味賭けだったのだろう(実際、その後の南北戦争で国力は大分疲弊した。そのおかげで日本がWesternizeして大国にTransformationする時間ができたのだろうけど。)。イスラエルの国家のアイデンティティーの話に戻すと、日本人の方からも「一見するとオープンだが、世界中のユダヤ人を集めるために苦労して作られた国だから、ユダヤ人/非ユダヤ人の間には超えられない壁みたいなものもあるように常に感じるし、一部の志が高い人や組織を除き”多様性を考えましょう”ということは殆ど聞いたことがない。」という話を聞いた。ここら辺は国家としての成熟度がもっと高くなればまた変わってくるのであろう。前回も最後に記載したが、日本(人)の多様性を受け入れる文化というものがないのかあるのか、まだ分からないが、一見してオープンでも実は多様性について本当は受け入れていない場合もありそう(もしくはそうであって部分的にオープンであればいいのかもしれないが)だという事は考えておきたいと思う。

今回の内容に関係する旅程としてはこの訪問地が最後。これも日本人の方から言われたのだが、iTrek自体もアメリカの組織なので、旅程もそれなりにイスラエルよりなのかもしれない。確かに、今回WestBankへの訪問はほぼなかった。まぁただ単に訪問のリスクが高いからかもしれない。それでもパレスチナ側の状況をできる限り知っておくことは重要だと思う。(という話を妻にしたら、妻が国際学部に進学した理由は高校の時に、パレスチナの報道をアメリカの報道と日本の報道の違いから見る機会があり、その違いに興味を持ったからのよう。興味は似るもんですな。。)ちょうど訪問中に、トランプ政権が「Deal of Century」を掲げて会合が開催されたが、当のパレスチナ自治政府はボイコット。これもパレスチナ側の状況を無視した結果だと思う。パレスチナで働いている、前出の日本人の方のお仕事はパレスチナの支援ではあるが、イスラエルにライフラインを握られていると経済成長も難しい、つまり、仕事をされている中で常にイスラエルとパレスチナの国際関係や政治的配慮も考慮されているということだと想像した。私も、常々、ビジネスをする際も政治や国際関係を考慮することは重要だと思っていたし、今後私の影響の範囲が大きくなれば、それが判断をするときのFactorになることもあるだろう。その時に慌てないように、引き続きそのMindを持ちながら、仕事と勉強をしていきたい。

(イスラエル訪問時は外務省の危険情報を確認した上で、個人の責任でご訪問のこと)

「男のロマン」の果て(?)イスラエル紀行(上):歴史

2013年にIBMがイスラエルのサイバー・セキュリティー会社、Trusteerを買収した際に日本で統合の支援をした。その時、上司に「ワカ、イスラエルとりあえず行っとく?」と言われたのが最初のイスラエル訪問の機会。その時は、あまり「行きたい主張」をしなかったので、雲散霧消したが、今回は「行きたい主張」を妻にした結果、イスラエル訪問が実現した。一週間も妻子を異国に残して旅行するなんて、イクメンからは程遠い。感謝の限りである。

さて、MBAの授業も終わり最後のSummer Termが始まる前にイスラエルという国を、Business Trekの一環で回れたことは、非常に意味があった。他にも溜まっているブログネタがあるのだが、イスラエルに関して先に記載しようと思う。全3回、歴史、政治状況、スタートアップ、に渡る。1回目は歴史について(ちなみに、以下の記述は大体現地のガイドの話か、ウィキペディアか、塩野七生の本からの知識であることを断っておきたい)。歴史を知らないと、「トランプがエルサレムをイスラエルの首都を認める」と宣言したことの何が問題なのか分からない。から記載したいというのは建前で、本音は私のイスラエルに来たいと思った最大の理由が「男のロマンが詰まった歴史的な意義がある場所を訪れたい」であるからだ。なぜ男のロマンかというと、ライオンハート・リチャードやサラディン、テンプル騎士団等、心くすぐる固有名詞がたくさんあるからだ。ライオンハートは日本語では獅子心王、英語ではRichard the Lionheart、カッコよすぎる。イスラエル人には「いやいや、日本の方が侍とか忍者とかロマンだろ」と言われそうだが、「男のロマン」は日本語だろうからまぁいいだろう。ちなみに同行した同級生のドイツ人に「チュートン騎士団(Teutonic Order)がドイツの起源だよね?」と聞いたら「まぁ、間違ってない」との話だったので、ドイツもエルサレム発のロマンの国ということに勝手にしておきたい。

ライオンハート・リチャード(ロンドンにあるのに、まだ直接見てない。。。)

そもそも、イスラエルという国自体は1948年に建国されている。であるのに、なぜ歴史的な意義があるのかというと、そこが聖地と呼ばれる重要な地であり、それが故に民族や宗教による衝突が度々発生しているからだ。この新しい国でありながら、歴史的重要性を内包している、というのが興味を引く部分であり、昨今の中東情勢に関わる部分なのだが、それは次の回に。イスラエルを語る際にユダヤ教を切り離すことはできない。その成立はかの有名なモーセが紀元前1280年頃に出エジプトを実施して、シナイ山で神ヤハウェと契約を結んだことによる。現代のイスラエル人もユダヤ人が多数を占めるとはいえ、多民族国家。古代イスラエル人もいわゆる12氏族からなり、結果としてその内の「ユダ」族を含む2氏族からなる国がユダ王国であり、この国が滅亡後にユダヤ教団を設立した(紀元前539年)。そして、その都がエルサレムであり(英語ではJerusalem、発音はジュルーサレム)、かつてはエルサレム神殿が紀元70年にローマ帝国に破壊されるまで存在した。地図を見ると小高い丘の上にあるので、戦略的要地だったのだろうと推測されるし、実際ユダ王国より昔から重要地であったようだ。そういう歴史からユダヤ教にとって非常に重要な聖地なのだと思う。

現在、エルサレムはイスラエルが首都と認定しているが、国連は認めていない、それはパレスチナとの問題があるからだ(現在の話は次回)。つまり前出のトランプの言はイスラエルとパレスチナの関係に油を注ぐという事で、非難されているのだろう。東エルサレム、西エルサレム、そして旧市街に分かれている。西エルサレムはイスラエル支配で近代的ビルが立ち並びStart-upも盛ん、東エルサレムは元々ヨルダン支配で、1967年の第3次中東戦争以後はイスラエル支配だが、パレスチナ自治区が首都とみなしている。そして、旧市街が最も歴史的場であり、これがイスラエルの特徴の元であると言っても過言ではない。旧市街もざっくり以下のように4つに分かれている。嘆きの壁や聖墳墓教会は訪れることができたが、岩のドームへは時間的な入場制限があって訪問できなかった。岩のドームは地図のようにイスラム教管理下にある。ちなみにテンプル騎士団の名前の由来はエルサレム神殿の「神殿」=「テンプル」で、元本拠地は壁内にあるため、現在はイスラム教管理下。

旧市街全景ここから拝借

嘆きの壁はエルサレム神殿の名残であるため、ユダヤ教にとっては最も神聖な場所で、男女別に入る必要があり、多くの信徒が祈りを捧げている状況を見ることができた。嘆きの壁はイスラエル管理下。

嘆きの壁とその横にある礼拝所へ入る子供達
嘆きの壁と2019 Cambridge MBA Israeli Trek 参加者(アメリカ人、メキシコ人、イギリス人、ドイツ人、ポーランド人、ロシア人、インド人、シンガポール人、中国人、日本人、等々)

聖墳墓教会はローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世が325年頃に、キリストの磔刑の場所ゴルゴタに教会を建てることを命じたもの。よって、キリスト教にとっては非常に重要な地で、キリスト教内のカトリックや東方正教会など複数の教派が共同管理していて、それぞれの教派によって教会内の重要な場所も異なる。また、ローマ帝国時代に作られたものや十字軍時代に作られたものが混在していて歴史の移り変わりを感じる。

キリストの身体が埋葬のために準備された場所であると言われている石物を触る人々
アルメニア使徒教会にとって重要な聖ヘレナ教会

ローマ帝国滅亡後は基本的にイスラム教徒により支配されていたため、本教会も破壊された歴史があるのであろうが、部分的にしろ残存している(ローマ帝国時代の柱と十字軍時代の柱が不自然に並んでいた)ことが素晴らしい。おそらく、イスラム教徒支配下であっても寛容で他文化他宗教等の多様性を受け入れる気風があったのであろう。実際、イスラム教支配下の時代でも、ヴェネチア共和国などはエルサレムへの聖地巡礼パックツアーなるものを販売していて、ヨーロッパのキリスト教徒も聖地巡礼できたようだ。そして、度重なる十字軍が、むしろ、そのような寛容気風を壊してしまったとも言えるかもしれない(十字軍側はムスリムを虐殺したが、サラディンはキリスト教徒虐殺をしなかったと言われている)。現在も旧市街を4つに分けることで、異なる宗教が共存するための努力をしているように見える。実際、旧市街を回っていても、特に衝突が発生するようには見られない(まぁ、それは観光地化しているからかもしれないが・・・)。ちなみに十字軍の歴史的意義は、宗教的なものよりも、アラブ側の当時の最新技術がヨーロッパにもたらされたという東西交流の促進にあるという記述をよく見る。

別日に訪れたのはマサダ要塞。死海の辺りにあり、いわゆるWest Bank(パレスチナ自治区)の近くにある。

マサダ要塞場所(マサダ山頂上遺跡群)(点線はパレスチナ自治区、いわゆるWest Bank)

この地は70年にエルサレムがローマ帝国軍により陥落された後、最後の抗戦地となった。イスラエル国防軍士官学校卒業生は山頂で「マサダは二度と陥落せず」と唱和するようで、我々も多くの国防軍の兵士を見ることができた。難攻不落というのがよく分かる切り立った崖の上にあり、蛇の道と呼ばれる細い登山道を通らないと頂上へは行けない(ちなみには今はロープウェイが整備されているらしいが、訪問時は知らなかった。)。

マサダ要塞からの死海と朝焼け
切り立った崖、蛇の道とイスラエル国防軍兵
唱和する士官学校卒業生と思われる若者たち

前日にはべトゥイン人(古代から存在する遊牧民族、しばしば歴史に傭兵(と言うと怒られるかもしれないが)として登場する)のテントに泊まった(観光目的の場所であると思われる)のだが、そこで国防軍の一団もおり、2名の、おそらく士官学校生と思われる女性(大学生くらいの年齢か)と会話する機会があった。どこから来たのか?と聞かれて、「イギリスのCambridge大学だけど、世界中から来ているよ」と返したら、「私もCambridge大学に入りたいんだけど、英語ができればいいのかな?」と聞かれ、「イスラエル人ならDiversityの観点からもMBAとしては歓迎だろう、ましてや軍隊経験があればなおさら」と話したら喜んでいたのが印象的だった。

それにしても、Nationalismが再度台頭し始めて、Diversityが叫ばれている昨今、歴史的にも、また旧市街の現状からも他文化他宗教間の均衡を、現地の人たちのレベルでも、うまく保っているように見える。「融合ではなくて均衡が大事」と言ったのはジョン・ルイス・ギャディス。翻って、日本は。ちょうど、ガイドの人が8月に日本に行くと言うので、お勧めの場所を聞いてきた。「伊勢神宮あたりが良いのでは?」と言う話から、日本では初詣は神道でお墓は仏教の場合が多いと言う話をして、ガイドのイスラエル人は非常に興味を持ったようだ。これって、多様性を受け入れる文化の一形態だと思うのだが、どうだろう??ローマ人も、ローマの神々、ギリシャの神々、ガリアの神々を統合して祀っていた、これは日本と似ていると言ったのは塩野七生。

(イスラエル訪問時は外務省の危険情報を確認した上で、個人の責任でご訪問のこと)

0歳児の3泊海外旅行: ポルトガル

ポルトガルとはどういうイメージだろうか??正直、ヨーロッパの中でも少しマイナーだと思う。ポルトガル行くくらいならスペイン、みたいな?私が大分時間を浪費(?)したAge of Empire Ⅲ (下画像)という大航海時代をベースにしたRTS(Real Time Strategy)ゲームでも、なんとなく弱い国であった。が、大航海時代が始まったのはポルトガルがカナリア諸島やマディラ諸島を発見(探検)してからなので、歴史マニアとしては心踊らされる場所なのだ!ここら辺の島は最近はリゾート地だけど、MBAの同級生も何人か行ってたなぁ〜。

さて、そんなポルトガル(主にリスボン)に、Lent Termの半ば、3月最初の週の週末に訪問した。私としては憧れの地だったので非常に楽しめた!目的はここでも3つ。戦国時代の日本人の足跡を辿ること、イスラムとカトリックの融合を感じること、そして、美味しいシーフード!!

まず感動したのが、リスボンの坂!かっこいい。まぁ、坂のおかげで荷物と子供を持って歩くのが大変なのだが、、でも坂の先に海(湾)が見えて素晴らしい!!そして、ホテルに到着。ホテルというかアパートメント。今回のMBA生活の旅行で気付いたのだが、滞在先には3種類ある。ホテル、アパートメント、そしてAirbnb。MBAに来てからは主にBooking.comを使って、宿を探している。結構使いやすくていい。ホテルかアパートメントがここには載っていて、詳細は省くが、情報も詳細でオススメ。3月末にはスイスにも行っているが、宿がハズレたことはない。Airbnbはまだ使ったことないが、アカウントは持っている。結構いいみたいなので、いつか経験したい。ちなみに飛行機はスカイスキャナーで探している。さて、今回のアパートメントであるが、入り口と入った先のロビー?がボロボロで、最初はびっくりした。。だが、2階に上がるとレセプションがあって、管理者の方もいる。中々良い感じの、アパートメントだった。ただ、ホテルの方がサービスはいいので、予約時はホテルかアパートメントなのかしっかり確認した方が良い。

さて、話がそれたが、1日目は到着日なので軽く街を散策して夕飯。夕飯はやはり、シーフード。久しぶりのシーフードの堪能!!タコサラダ(後で気づいたが、どこにでもあるらしい)ポルトガルソースの魚、そしてワイン。やはりこの組み合わせは最高だった。そして、レストラン内には鯛がデザインされている陶器のお皿が飾られている。なんとなく日本のデザインに似ている。ちなみに、ポルトガルは陶器も有名。

2日目はリスボン観光。まずはエンリケ航海王子を称えたジェロニーモス修道院へトラムで。トラムはスリが多いとのことでそれは気をつけつつも、無事到着。この角が出ているデザインが少しこれまで見てきたヨーロッパの建築物と違うか、というイメージ。次に発見のモニュメントとベロンの塔へ。これらも大航海時代を称えるモニュメントであり、遺物、そしてこれが初の大西洋をヨーロッパ側から見た経験!!ここから大航海時代が始まって、日本にまでやってきたと思うと感慨深い。

そして、我々にとっては2日目のハイライト、天正遣欧少年使節が立ち寄ったというサン・ロッケ教会へ。彼らの足跡があるかと期待して、教会の中へ。が、教会の案内にはそれらしき記述は何もない。。内部にも日本を感じさせるものは見受けられない。確かに、この教会にとっては、当時、色々な国からやってきた使節の中の1つ、そんなに記録するものでもないのであろう。。と思っていた所、あった!!奥の間に、天正遣欧少年使節自体ではないけど、16世紀の頃の日本を描いた絵が。見た目がなんとなく中国っぽいのも当日の日本のイメージを表していて良い。彼らは非常に長い航海の中、危険もあるだろうに、何を思って日本にやってきたのか、、本当に、再度感慨深く、考えさせられる広間であった。これらの絵を妻と凝視していたら、係員のお爺さんが色々説明してくれた。そのお爺さんも話すのが嬉しそうでよかった。

そして、最後に丘の上にあるサンジョルジュ城へ。丘なので、当然坂がある。まぁ城だし。トラムでも乗るかと思っていたのだが、なんと幼児同行でトラムに乗れないことが判明!!!結局タクシーを探して目的地へ。いや〜いい景色。リスボンが見渡せるし、海も見える。

2日目の食事は、リスボンで有名なRamiroへ。ここも海鮮。そして確かにすごく並んでいる。。我々は予約して行ったのですぐ入れた。是非予約をオススメする。

3日目はリスボン郊外(と言っても大西洋側)のシントラへ。電車で40分ほど。が、この日は日曜日だったので、1時間に一本、おかげで時間がうまく行かず、50分ほど待つことに。平日は30分に一本らしいが、シントラという観光地なら、休日の方が使う人が多いと思うのだが・・・初心者考え過ぎるか?とにかくシントラに到着、ここからバスで目的のペーナ宮殿へ。最高だった。この白、赤、黄色の組み合わせのお城。正直昔これを見たら、なんて趣味の悪いお城なんだろうと思ったであろう。だが、これこそ正にイスラム教とカトリック教の融合ではないかと思う。こういうデザインは大陸内部にはない。シンデレラ城のモデルであるドイツのノイシュバンシュタイン城が良い例だ。でも、ここでは、きっと、レコンキスタ前後のイスラム教の文化に影響を受けて、こういうデザインになったのだと想像する。例え、このお城の設計者がドイツ人だとしてもだ。これもまた非常に感慨深かった。

次に訪れたのが、ムーア人のお城だ。ここは、洗練度は低いが、古い砦という感じ。城壁の上を歩いていくのだが、地形を使った勾配が激しい城壁で、子供を抱っこ紐で抱えながら歩いたが、結構危ない感じがした。ただ、景色はいい。さすが周りを見やすいように作られた城壁なんだろうと感じた。

3日の夜はリスボンへ帰ってパエリアを食した。隣が有名なお店ですごい並んでいたが、我々の入ったこのお店も美味しいパエリアが食べられた。

以上、ポルトガルは本当にいいところで、観光もしやすい。ご飯も美味しいし。個人的には男のロマンである大航海時代を色々感じられてよかった!ポルトガルのご飯が美味しいのは、大航海時代を席巻して色々な国の食文化が融合しているからだとどこかで読んだ。でも、そしたらなんでイギリスは微妙なんだろうか???

0歳児の1泊海外旅行:ベルギー

歴史好きを公言している私だが、ベルギーで知っていることと言えば、ユリウス・カエサルのガリア戦記に「ベルガエ族」という単語が出て来て、これが今日のベルギー人の起源ということと、第二次世界大戦マニアの間ではドイツに道路された国という不名誉な話。。。ただ、少し調べたら大陸で初めて産業革命に成功した国で、植民地からダイアモンドを得ていて金融も発展したよう。確かにアントワープの駅前には多くのダイヤモンド店が!!ちなみにアントワープ駅は世界一美しい駅ということで有名です。(まぁ世界一は世界にたくさんあるので、他にも綺麗な駅はあると思います。が、確かにいい駅でした!!)

ということで、今回は歴史を感じる!!というよりも、0歳児に気をつけながら、幼児との旅行の注意点を学びつつ、純粋に観光を楽しむ旅となった。

まずは、ヒースロー空港へ。ケンブリッジからは、ロンドン・キングス・クロスから、地下鉄で、パディントン駅へ。そこから、Heathrow Expressで15分でHeathrow空港。Heathrow Expressは基本15分に一本で運用されているが、この日はクリスマス後、年末前とのことで30分に一本。地下鉄でも行けるのだが、幼児のことを考えてこちらで。ヒースローからはブリュッセル航空でブリュッセル国際空港へ。1時間の空旅なので、バシネットは用意されず。まぁでも確かにすぐだからいらないかな。幼児も気圧の変化で耳が痛くなるので、離陸中と着陸中におっぱいかミルクをあげられるように調整。1時間はすぐなので、これで娘も大人しく。

ブリュッセル空港からはアントワープへ直行。30分くらい。実は昼飯の時間が微妙で、空港で何か買いたかったのだが、税関で時間がかかり、さらに電車もすぐ来てしまったので、とりあえずアントワープへ。

正直甘かったのが、イギリスではどこでもWiFiが繋がるのであまり紙を印刷してこなかったのだが、電車内では繋がらないどころか、路線図もなく。。フランス語で雰囲気を感じてアントワープへ。フランス語は分かりません。。実は大学時代の第2外国語はフランス語なのだが、人生最初で最後の留年危機。。フランス語は2つ授業があって二つとも落とすと留年。2つともギリギリC(Dだと落ちる)でなんとか2年生に進めたのでした。まぁ英語もダメダメなので、語学の才能は低いですね。。。余談はおいておいて、この私の調査不足はこの後も問題になり、骨身に染みた。

ともあれ、無事アントワープへ到着。フランダースの犬でネロが目指したノートル=ダム大聖堂へ。地下鉄もあるが、行きはトラムで。街並みが見たかったので。ちなみに地下鉄もトラムも切符の買う場所は要注意。https://allaboutbelgium.com/brussels-metro-tram-bus/

ノートル=ダム大聖堂よかった。まずは学割が効くこと笑 そしてやはりルーベンスの有名な絵が置いてあること。美術館に絵があるのは当たり前だが、大聖堂内でルーベンス レベルの有名な絵がたくさん見れるのは中々ないのではないかと思う。

ちなみに、娘が泣き出したので、ミルクを大聖堂であげることに。でもいい経験かなと思って、あげてたら飲みながら大泣き。あまりこういうことはないのだが、どうやらルーベンスの絵が怖かったよう、、な気がする。。

大聖堂を出たら、いい雰囲気。広場があれば、そこはクリスマスマーケット。実はフライドポテトが有名で、無事屋台で購入。屋台も日本のとは違って、木の小屋。まぁ寒いしね。そう、ベルギーはケンブリッジより寒い!!なんでだろ。。

その後、駅構内の元王室用カフェに行きたかったのだが、時間がなくそのままブリュッセルへ。外の写真だけ。

ホテルはここ。http://www.hotelmarivaux.be/en/ 一泊1,3000円くらい。2.5人で泊まるにはちょうどよかったと思う。ブリュッセル北駅が近いので、そこからホテルへ。ただ、駅からホテルまでの道をしっかり調べてなかったので、少し戸惑い。。元々は、IT系なのに、Google Mapとかあまり使わないスタイルだったのだが(なんの拘り笑)海外に住むとスマフォもGoogle Mapも使う頻度が飛躍的に上昇。そうすると、これに頼りすぎた。というので、海外行くときはアナログもちゃんと併用しよう。

さて、夜は有名なグラン=プラス広場へ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9_(%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB) うーむ、すごい。広場の周りの建物が全てかっこいい。

夕飯は、せっかくだからというのと、幼児をそろそろ休ませたいので広場の周りのレストランへ。味は悪くない。ただ、高い。。正直オススメはしない。下記する場所の方が全然良い。ホテルへ帰りお休みです。

2日目はブリュッセル観光。ベルギーワッフルをまずは食す。Maison Dandoyが有名だけど、お店は9時からだけど席に座れるのは11時から、時間の関係上適当に路上を歩いてそこそこ人が入っているワッフル屋へ。その後芸術の丘、Tropismesと続いた。この本屋も世界一美しいと言われている。いや〜、ベルギー、いいですね。う〜〜ん、なんというのか、フランスの華やか感と、ドイツの重厚感がうまくマッチしたような感じ(って当たり前か)が良い。街も観光用に整備されていてかっこいい!!

そして、最後の昼飯へ。以下のブログを参考にレストランがある通りへ。https://ameblo.jp/yoko554/entry-12426359123.html 近づくと、なんと魚介市場がありその場で調理してしかも白ワインが売っている!!ここで立ち飲みもよかったけど、時間もないし、嫁もまだ飲めないので、レストランを探しに。

l’huitriere へ。ここは少々高いけど、前日のレストランより質も量も申し分ない!これにて、ベルギー旅は完了!何気に、生の貝類(牡蠣含む)がでてきて、次の日まであたらないか心配だったのは内緒。。でもあたらなかった、何気に新鮮なんだろうか。。。

0歳児の日帰り海外旅行:大英帝国を感じて

0歳児と旅行に行く弊害は何に対しても時間がかかること、利点は何事もゆっくり見て感じるようになること。おかげで大英帝国ってやっぱりすごかったんだなと認識することができた。こういうのは直接歩かないと分からない。

うちの子供はもうすぐ5ヶ月。そもそも、今はMichalemas Termが終わり、せっかくのお休みなので、旅行に行かない手はない。とのことで、妻とビクつきながらも、初の遠出。ロンドン!私は一度Cambridgeに着いたばかりの時に行ったのだが、主に大英博物館を見たため、今回はナショナル・ギャラリーを見たいなと思い、それを旅程に入れて向かった。

さて、初めての0歳児を連れての旅行です。用意するものがこれまでとまるで違う。。抱っこ紐、ミルク粉、哺乳瓶複数、熱湯用の保温瓶、等々。しかも、子供の寝る時間やミルクの時間を考慮しないといけないので、(あまり得意でない)計画が重要。しかも私がナショナル・ギャラリー見たいとか言ったもんだから、そのタイミングでうまく寝てくれるように、ミルクの後にナショナル・ギャラリーにいけるように。。。

計画と準備をしていざ出発!!ブランチはお弁当。この写真だけみるとイギリス感はゼロ。。。ただ、日本食で嬉しい。

さて、まず最初の授乳はケンブリッジからロンドンの電車内で。1時間くらいなので、その間に。妻は授乳ケープを持っていますが、こっちの人はそんなのしないんかな。。その後、ビックベンに行き(時間的に難しかったので)外観と写真撮影だけして、次の授乳へ。ここがポイント。授乳できる場所はソファがあった方がベター。なので、近くにあったコンラッドホテルにお邪魔し、ロビーの横のソファーで授乳。。。そのあとはおかげでグッスリ。遂にナショナル・ギャラリーへ!

すごい良かった。まず静かだった。これは平日だったからかな、以前大英博物館に行った時は休日だったので。あと、当然ガイドブックに載っているゴッホのひまわりとかも見るのだが、何よりすごいのが、ガイドブックに”載ってない”のにそこここに有名画家の絵があること。。あれ、これ何気にラファエロの法王ユリウスじゃん、あれれ、これモネの睡蓮じゃん、、、みたいな。。

ちなみに、街を歩くときも何と無くゆっくり歩くことになるのだが、街並みがゆっくり見れて良い。再度そういう風に歩くと、やはりロンドンの建物はどれも趣があってすごいなと思う。日本は明治維新後に欧米の真似をして似たようなものを作ったけど、Qualityも数もイギリスには勝てない。アメリカだって、最初はイギリスの真似をしていたはず。やっぱり大英帝国ってすごかったんだろうなとシミジミ感じた。

最後にChirstmas Marketでソーセージやビール、ホットチョコレートを飲んで帰宅です。無理せず、無難に回って、娘もずっと静かに周りをキョロキョロしていたので、3人全員にとって良い経験になった!これなら他も行けそうな。。。