選べるか?素晴らしい授業

講演会やお笑いライブとは違い、授業や研修は、比較的コンテンツが決まっており、講師を見て選ぶよりコンテンツを見て選ぶことが多い。そにれも関わらず、講師によって授業の質は大幅に変わる。私が受けた授業で最たるものは、Creative Labだ。少しこちらに記載したが、去年の評判はよかったのに、講師が去年と異なったせい(と推測される)で今年の同級生の評判は悪かった。元々、講師の評判は気にしなかったのだが、この失敗を受けて後半は講師で選んだ部分もある(逆に講師で選ぶ最たるものは、ブルーオーシャン・ストラテジーを著したINSEADの教授群や、イノベーションのジレンマを著したハーバード・ビジネス・スクールのクレイトン・クリステンセンを選ぶ場合であろう。著名な教授という観点でMBAの学校を選ぶ場合も聞く)。今回は、私自身も教育に興味があり、講師の経験もあるため、良い評判の授業、悪い評判の授業の違いを私が受けたMBAの授業から簡単に紹介してみたい。

今回取り上げるのは自身の主観的な観点と同級生の話から際立って評判が悪かった二つと、評判が良かった二つだ。それぞれ、年齢的に(分類するのは意味ないかもしれないが)中堅とシニアの方がいたので、その2X2でカテゴリー分けする。今回4人とも男性の講師になってしまったが意図はない。4つの講師に共通しているのは、一般的に必要と言われている、Powerpointでの授業、RealなビジネスCaseを使った生徒とのDiscussion、生徒への多くの質問、生徒の意見を尊重する事、厳格過ぎず、柔らか過ぎない、という良い部分だ。それでも、彼らに差が出てしまうのはどういうことだろうか?

比較をする際には良い事例を先に紹介した方が、悪い事例の要因が分かりやすいと思うので、そうする。まずは私が良いと考えているRobert (Bob) WardropのNew Venture Finance(選択授業)とFintech Strategy(選択授業)だ。私はIBMに勤めており、(Startupと直接関わりがないとは言え)Fintechについてはある程度知識があったので、Fintechの授業を受ける必要性は低かったのだが、彼が講師ということで決めた。彼はシニアに属する。彼の授業で好感が持てる最たるものは、その自信を持ったしゃべり方だった。一見すると高圧的にも見えるのだが、生徒の質問やコメントに対してしっかりと反応し、Discussionのハンドリングもうまい。例えば、議論が白熱して生徒の挙手が後を絶たない時も、きっぱりと「君が最後ね」と言いながら授業を進める(最も「最後」と言いながら「もう一人だけ」という時もあるのだが。。。)。授業の資料や教える内容も深みがあるので理解が進む。深みとは、例えば、彼がDirectorを務めている Cambridge Centre of Alternative Finance (CCAF)にて研究されたデータを元に、昨今のVentureへの投資変化やFintechとTechfin(Technology会社が金融事業をやるパターン)の比較等について教授いただいた。

Robert (Bob) Wardrop のFintech Strategyより

次に良い授業として紹介するのは私の代でStrategy(必須授業)を担当したLionel Paolellaだ(授業には毎年、もしくは定期的に担当講師が変わる授業とそうでない授業があるが、前出のFintechはBobがCCAFのDirectorということもあり、基本的に彼が担当している。一方でこの後の授業は全て講師が変わる)。彼は中堅に属する。彼の授業は、さすがに、前出のBobに比べて研究から出たデータはすくないのだが、最たる部分は、ベタだが、生徒200人以上の顔と名前をほぼ全て(最初の頃たまに間違えていたので、それでも)覚えていたことだ。また、いじってもよさそうな生徒(私とか)を授業中にいじる事も忘れない。ようは、Bobに比較して生徒に近づいて授業を進めていたと言える。ただ、そういう「好かれる」だけの方策ではなく、毎授業の開始と終了には「Strategy授業全12回の中で今回はどこにいるか」や「たくさん習ったフレームワーク(3Cや、PESTや、5 Force)の関係」を明確にRemindしてくれるので理解しやすかった。これらは「基本的な事ではあるのだが、実際には疎かにされる」事であり、それをしっかり実施したことが経験の少なさを補ったのだと思う。

評判の悪かった授業の1つ目はMarketing(必須授業)の前半6回だ。担当の講師はシニアに属する。私の彼の授業に対する感想は「無味乾燥」だ。正直なぜそう感じたのか、今でも分からない。覚えているのは、Marketingの古いフレームワーク内で使われている計算方法を、我々が理解できなくて2回もかけて説明したことだ。実際はそのフレームワークは1回の半分でやるはずだったのだが、我々の質問に真摯に答えたことでそのようになってしまっていた。ありがたい事ではあるが、計算方法の長い説明は退屈であった。また、授業のグループワークの宿題を期限までに提出しなかった組が多かった回に、悲しみを込めて数十分叱った事もあった。もちろん、宿題を提出しないことはもっての外なのではあるが、多数の同級生がその宿題の存在を認識していなかった。なぜそうなってしまったのだろうか?基本的にMBA期間中は、特に1年制は、非常に忙しい。講師達もそれが分かっているのか、提出物に対しては何度も何度もRemindする。シラバスに記載し、メールを数回送り、当然授業中も宿題に触れ、授業の資料に毎回載せる(もちろんこのやり方が過保護という指摘もある)。しかし、彼はそこまでのRemindをしなかった。

最後に紹介するのはBusiness&Society(必須授業)だ。担当の講師は中堅で、見た目も爽やかで好感が持てたのだが、授業の評判は悪かった。この授業は昨今日本でもよく耳にするBusinessのサステナビリティ(Sustainability)について考える授業だ。テーマとしては面白いが、範囲が広く掴みどころがない。教える方も難しいだろうとは容易に想像がつく。彼が信頼を失った理由は、彼の質問やDiscussionテーマの同級生の回答やコメントに対する反応の悪さだ。同級生の発言に対して、単に「OK」や他の一言で返す場合が多かった。おそらく、単に彼自身が思い描いている回答以外に対しては、良い返しが思いつかなかっただけなのだろうが、それが底の浅さを露呈してしまっている。この授業は明らかに毎回生徒数が減っていき、最後の授業は数えるほどだった。

生徒とのInteractionが最重要?(ちなみにこの写真は今回紹介の授業とは別のVCWでの一コマ)

このように記載してみると、今回の分析の結果(つまり私の主観)で最も重要な点は生徒とのInteractionがどれだけうまいかだと思う。これは私がMBAの授業を受ける理由に依っているかもしれない。その理由は同級生とのCommunicationのネタとしての授業だ。もちろん、ブルーオーシャンをしっかり学ぶ、卒業後に使えるSkillを身に着ける、というのも重要な理由だと思うし人によってはそれがMBAに来る理由だ。ただ、私の場合は同級生とのCommunicationを最重要視していたので、それを促進する講師に対して評価が高くなるのだろう。BobとLionelはInteractionがうまかった。3人目の方はそれについて記載していないが、4人目の方は下手だった。Bobは経験に裏打ちされた自信、Lionelは経験が少ない分を補完する努力。4人目の方はその努力が足りなかったのかもしれない。この分析に依ると3人目の方は浮いているが、宿題のRemindの努力が足りなかったと言える”かも”しれない。また、3人目の方を例にとると、「テンポのよさ」というのも重要になってくる。生徒を飽きさせてはいけない。丁寧な説明とテンポのよさをどう両立させるかは難しいとは思うが、丁寧な補足資料という方法があると思う。前半の二人は授業中の説明資料以外に補足資料を作っていた。マイクロ経済とマクロ経済を教えてくれたのは経済学部の教授なのだが、両教授とも補足資料を作ってくれて、面白い授業だと思えた。

結局、先生というのはCommunicationのうまさが重要なのかもしれない。

生徒の立場からすると受けてみるまでどの授業や講師がよいのかは判断が難しい。事前情報も収集が難しいし、主観に依っている。実際今後記載する予定のMBA用予備校の選定も非常に難しかった(これについては今後、MBA準備について書く時に記載していきたいと思う)。それでも、良い授業に出会える確率を最大化するために事前情報収集をして、何を期待し、その講師がそれを提供できそうかどうかを評価しておくべきであろう。

ネットワークの広げ方:Keio Downing Summer School

三田会というものがある、たまに雑誌でも特集されているが、慶應義塾大学卒業生のコミュニティーで、日本の経済界を牛耳っていると言われることもある。私は慶應義塾大学卒業だが、参加したことは一度もない。よって、中身がどのようになっているのかはさっぱり分からない。周りの同級生も三田会に頻繁に参加していると聞いたことはない。理系だからなのだろうか?英国三田会というものがある。イギリスにいる慶應義塾生(塾生)以外は知らないと思うが、イギリスの経済界を牛耳っているわけはない。が、やはりイギリスに駐在する日本企業の塾生は多いようで、規模は大きい。一度ロンドンの年次集会(ようは飲み会)に行ったが、300~400人くらいはいたと思う。MBAを目指し始めると、ネットワーキングが大事と言うことを方々から言われる。せっかく塾生なので、このネットワークを使わない手はないと思い、”イギリス、三田会”でググって連絡して会員にしてもらった。しかし、こういう会は(も)自身で何か行動しない事には内部でネットワークを作れない。”ネットワーキングをしよう!!”と言われるが、これは行動や中身、そのコミュニティーへの貢献が前提となった言葉で、ただ、Party Peopleになれば良いということではない。今回英国三田会にも足跡をつける事ができたのは、Keio-Downing Summer Schoolに参加して、行動したからだ。

こんな雑誌が昔出てた、読んだことないし、参加したこともないけど。。。

せっかく国際色豊かなMBA期間中、日本人Communityに参加する事が意味あるのかどうかであるが、帰国して日本を拠点に働くのであれば、ある程度は時間を割いても良いと思う。ただし、意識しなくても日本人と関わる事はあるので、意識して行動するのは日本人以外が基本的にはよい。特に、MBA期間の前半はそうするべきと思う。一方で後半になったら自身のCareer等がもっと見えてくるので、意味のある日本人交流であればするべきと思う。

どのように誘われたか記憶にないが、Michaelmas TermにCambridge大学にいる慶應義塾大学にゆかりのある人たちの集まりがあるということで、伺った。場所は、よく行く中華屋、Seven days。この2階にカラオケがあり、同級生とよく行っていた。人数は10人に満たず、研究で慶應から来られている方が多かった。その中で、幹事をやっていただいた日本人女性の方とそのSupervisorのオーストリア人の女性(Fellow)の方が、なんと私と同じDowning College所属であった。日本人の方はSFC卒で、オーストリア人の方は慶應で教鞭を取られたご経験もあり、日本で本も出版されている。話によると、Downing Collegeと慶應義塾は繋がりが強く、毎年Summer Schoolを実施して塾生を一か月受け入れているとのことだ。(後で知ったのだが、私がMichalemas Termで一人暮らしをしていたDowning College内の寮の名前はKEIOで、「ふ~~ん、たまたま名前一緒だな」と思っていたのだが、なんと慶應義塾が寄付した棟だった!)元々、教育には興味があり渡英前はVolunteerもしていたので、私も何か関われないかと思い、担当の方をご紹介いただいた。その後、一度Downingでその担当Fellow(インド人)とHigh TableでLunchをしながら、私の実施したい内容について会話した。

High Tableとはいわゆる上座で、この写真では天皇皇后両陛下が座ってらっしゃるテーブル。全Collegeの食堂にはHigh Tableがあり、基本的にFellow以上でないと座れない。

私がこの活動を実施した理由は3つある。

  1. 英国三田会側に足跡を残して内部の人と繋がる
  2. Cambridge大学内のMBA外の人と繋がる
  3. MBA内の教授と繋がる

1つ目は、英国三田会の方数名をこのSummer SchoolのDinnerに招待を主導することで、私のPresenceを見せることで実現する。Summer Schoolへの意味は卒業生が実際どのようにGlobal Playerになったかを、現塾生たちとの交流でFeedbackしてもらう、というものだ。2つ目は知り合ったFellow経由で他の学部やCollegeを巻き込んだSummer Schoolのコンテンツをアップデートすることで実現する。3つ目はBusinessという観点で、MBAの教授に協力いただいてコンテンツを作ることで実現する。実際Businessの観点で私も時間をもらって、塾生向けに1時間講演をさせてもらった。3つ目に関しては、MBAの授業を普通に受けているだけでは難しいため、1つのネタとしてこのSummer Schoolを利用させてもらう。

しかし、残念ながら上記3つのうち、実現したのは1つ目だけであった。Michalemasに企画を初めて、実施はSummer Termなので時間は十分にあった。原因は担当のFellowの私のActionに対する返信が遅かったことだ。が、実際担当Fellowとしては私の2つ目や3つ目のOfferには魅力を感じなかったということなのだと思う。

そうは言っても、1つ目の話を進める中で、慶應義塾大学のイギリスOfficeや英国三田会の幹事団(実際ロンドンで働いている方々がボランティアで実施)とお知り合いになることができた。一度、このSummer Schoolに参加している女学生から慶應イギリスOfficeに、相談があって、私に繋いでもらい、会話する機会を得た。相談内容は、「Summer School終了後女友達と二人で一週間イギリス滞在して各地を回りたいが、女友達が来れなくなったのでホームステイ先を探している」とのことだった。確かに、すでにMBAもSummer Termでインターン等でロンドンに住んでいる同級生女子もいるので、紹介はできるかもしれない。だが、流石がに20歳前の初海外中期滞在の日本人女性が一人でイギリスを回るのは危険ではないか(と思うのは保守的なのだろうか)?結局お母さまがイギリスに来くることになったようで、一安心。ただ、話を聞くと「Cambridgeに来ても結局日本人といる時間が多くて海外の方と交流する機会が少なくて残念」とのことだった。それはよく分かる。私もMBAに来る前の海外経験でも、結局英語はしゃべってないし、現地の方との交流もしてないし、自分は何をやっているんだろう?とよく思ったものだ。それに対する答えは「焦る必要はない」が「(帰国子女ではない我々は)どこかで本気で英語を勉強して機会を掴むしかない」ということだ。なんでもそうだが、「準備をして、機会が来た時に対応できるようにする」ということだろう。

その後のFormal Dinnerは、つつがなく完了した。この際来ていただいた、英国三田会のPresidentの女性の方は、なんとCambridge大学で教鞭を取られているとのこと。繋がるものだな、と思った。今回の私の企画に関しては非常に喜んでいただいて、ちょうどその時期に実施されていた、その方主催のConferneceにも招待いただいた。場所はJesus Collegeで、一週間、結構大規模なConferenceだ。お伺いしたら、お忙しい中1時間ほど私のために時間を割いていただき、二人で会話をさせていただいた。

写真じゃ分かりずらいが、正直Jesu College の方がDowning Collegeより古くて、広くて、かっこいい

今回の活動のおかげで、英国三田会、慶應義塾大学、Downing Collegeとはさらに強い繋がりができたと思う。今後、自身のやりたいことによってはこのネットワークを使わせていただいて、活動ができるだろうと思える。

リケ男とレキ男:なぜ歴史が好きか

私は歴史が好きで、理系男子なのだが、世の中は女性で歴史が好き、もしくは理系だとレキジョやらリケジョやら言われてもてはやされる(?)。私は残念ながらもてはやされた記憶はないし、リケ男、レキ男はなんともオタクっぽくて飲み会でもネタにならない。。。が、歴史はいい。歴史の本を読んでいると何か壮大なことを考えている気になるのでストレス解消にもなる(平均値と比較したらストレスは低いと思うけど)。しかし、総じてオタクっぽくなってしまう。例えば、史跡とかに行って、くどくどその史跡の事を語っている男子(というか、もうおじさんだがどちらにしろ・・・)を見たら皆様どう思われるか?同じことが理系男子にも言える。例えば、色付きの炎を発するロウソクを見ながら、「これはセシウムかルビジウムの色かな」とか言ってしまうかもしれない。

高校生で習う元素の炎色反応(セシウムとかないな。。。)

MBA受験中にエッセイを書く際には、自分を見つめなおすことになるが、その中で歴史という物の存在感は大きかった。(理系だが(??))歴史は好きだし、歴史の本を読むことも好きだし、歴史が自身の数々の判断の役に立ってきたとも確信している(一応この回でも後ろの方でビジネスとの関連を記載している)。ただ、なぜ「好きか」、なぜ「役に立つか」を明確に説明することがこれまで出来ていない。こんなに好きなのに。。今回も出来ていないが、今の自分の考えを記載しておこうと思った。

この話を始めるときにまず引用すべきはエドワード・H・カー(Cambridge大学卒)の「歴史とは何か」であろう。(ちなみに、何分20世紀半ばの本で、英語も分かりにくいのか、日本語訳も分かりにくく、私には読みにくかった。高尚な本だからなのであろう。)カーの最初の「歴史とは何か?」に対する答えは「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との尽きることを知らぬ対話」とのことだ。

エドワード・H・カー (1892年 – 1982年、私が生まれた年にご 逝去 ) 。「危機の二十年」という本でも有名。

抽象的で分かりにくいが、同じような抽象的なことは 2019年10月に邦語訳が出版された 「なぜ歴史を学ぶのか」という本の最後に記載されていた。 「生まれる前に起こった事柄に対して無知でいることは、子供のままでいることを意味している。なぜなら、人間の一生が価値を持つのは、それが歴史の記録によって先人たちの生きざまの中に組み込まれた場合に限られるからなのである」というキケロ(このローマ人(BC106-BC43)はユリウス・カエサルの文脈から見ると、ちょっといじめられて可哀そうな感じのおじさんなのだが、文学の世界では神のような扱いをされている人だ。)の話を載せている。 (ちなみにこの本にはCambridge大学の事がたくさん載っていて嬉しかった)また、 「サピエンス全史」で有名になった、ユヴァルさんの「ホモデウス」にも記載がある。「歴史を学ぶ目的は~過去の手から逃れることにある。~私たちはあちらへ、こちらへと顔を向け、祖先には想像できなかった可能性~~に気づき始めることができる」。こちらの方が少し具体的か。後半に記載のあること、つまり、「祖先よりも発展した事ができる」ことが歴史の目的ということだ。

BC63年ローマ元老院、 カティリナ弾劾演説。左で手を広げてしゃべっているのがキケロで、
彼の名前を有名にした演説。イタリアの国語教科書にも演説内容が載っているらしい。

過去より発展するためにはどうするか?この「なぜ歴史を学ぶか」に、19世紀後半に人が歴史を学んだ理由は「古典古代世界の共和制や民主制が抱えた諸問題や試みや失敗について無知でいるわけにはいかない」からだと記載がある。これが一番一般的に言われている、歴史を学ぶ理由ではないだろうか?過去の失敗を学ぶことで、同じ失敗を繰り返さない事、それによってより良い未来を創ること。過去の失敗から学ぶと出来るものは何だろうか?個人としては、してはいけない事(しない方がよい事)成功パターン等(明文化されなくても)を自分の中に蓄積することになると思う。その蓄積されたものに合わせて自身の行動を決めている。一般的には、それは、おそらく理論なのではないかと思う。 「大戦略論」にも「理論は歴史から抽出して構築するほかない」、「理論のおかげで、戦略家は絶えず歴史を振り返る必要性から解放される」と記載されている。つまり、理論(だけでなく、拡大解釈するとルールや規制)のおかげで、 我々は日々の判断や行動でいちいち深い考察をする必要がなく、脳のエネルギーを節約できる。確かに理系でも過去の偉人たちの研究を学んでいるわけで、その積み重ねの上で新しい理論が作られていく。そういう意味では歴史とは切っても切れない関係がある。

カーは「歴史とは何か」で「歴史を読む人間も書く人間も慢性的に一般化を行っている」し、歴史を「自分自身の時代に適用してみるもの」であり、「一般化が自然科学者を博物学者や標本収集家から区別する」と言っている。そして、この一般化こそが歴史をScienceに分類するものであり、歴史も物理学や他の理系学問とおなじScienceだと主張している。そういう意味でも「理論」という言葉はしっくりくる。余談だが、一方で量子力学(の(おそらく)ハイゼンベルグの不確定性原理)を引き合いに出して「主観との客観の双方」が観察している対象に影響を与えるが、これが歴史研究の観察者と観察対象にも当てはまるというのは「納得できない」と言っている。私としては、ここは関係ある方が面白いと思ったのだが、確かに量子レベルとマクロレベルで直接関係すると考えるのは早計過ぎるかもしれない。

ジャレッド・ダイアモンド(ハーバードとケンブリッジでは生理学専攻(理系)だが、現在は人類学(文系)の教授)も「危機と人類」で「科学の基本とは、現実世界を正確に描写し理解するという行為」と言っている。これはまさに文系も理系も共通してScienceだということであろう。

「gun germs and steel official」の画像検索結果
日本で一番有名なジャレッド・ダイアモンドの本は「銃、病原菌、鉄」であろうか?

カーは「過去の諸事情に秩序を与え、これを解釈するーこれが歴史家の仕事ですー事ができるのであり、また、未来を眺めながら現在における人間のエネルギーを開放し、これを組織するーこれが政治家、経済学者、社会改革者の仕事ですーことが出来るのです。」 とも言っている。秩序と解釈がイコール理論ではないが、理論を構築するために歴史を学ぶ、というのは一定の納得感があるがどうだろうか?

一方で、現在の世の中では益々、歴史が必要になってきている、という記述もあった。前出の「なぜ歴史を学ぶか」で記載されていた19世紀の引用について、この時代にそんな事が必要なのはエリートだけ。つまり、この時代「歴史はエリートによるエリートのためのエリートについての」学問だったということだ。しかし、時をたつにつれて、歴史は「嘘を構成する事実誤認という霧のなかをかき分けて進む能力を高めてくれる」ものに変わった。 昨今のFake news(は本にも事実誤認の例として記載されているが)を何が正しくて何がそうでないかを判断する指針は(知識としての歴史が全て正しいとも限らないが)様々な歴史を学ぶことで判断ができるのではないかと思っている。

加藤陽子さんが書いた、「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」という本にも「現在の社会状況に対する評価や判断を下す際、これまた無意識に過去の事例からの類推を行い、さらに未来を予測するにあたっては、これまた無意識に過去と現在の事例との対比を行っています」と記載がある。これも判断する時には歴史の蓄積が良い指針になるということだろう。 ちなみにこの本は非常に面白くて、それまであまり読んでこなかった日本近代について読み始めるきっかけになった。

これらはちょうどAIがDeep Learningで確からしい答えに近づけるのに似ている(のは昨今のAIが人間の脳のメカニズムを模しているから当たり前かもしれないが)。 では、もし全ての歴史が間違っていたらどうするのか(教師データが間違っていたら)?という疑問がわくが、それはもう個人の力でどうにかできるものではないと思う。今でも多くの専門家の方が日々努力して、少しでも正しい歴史を記そうとしていて、我々素人は今の時代のその中で頑張るしかないのではないかと思う。

昨今のAIに使われているDeep Neural Network(DNN)。左のInput(質問)と右のOutput(答え)の組(データ)をたくさん与えることで、中のNeural Networkが最適化されていく。人間の脳も同じ構造。

ただ、少なくとも学校で習うより世の中は複雑だということが歴史を学び続けることで分かる。小学生の時は善と悪みたいな分かりやすい文脈の中で学ばないといけないので、非常に歴史を教える事も学ぶことも難しいと思う。世の中はそんな単純じゃないんだと分かったのは、ガンダムの1年戦争がガンダムの敵のザク側(ジオン公国)の独立戦争が発端だと知ってからだ。幕末なんか、坂本龍馬のように思想の変化で敵と味方がしょっちゅう変わるから、小学生の時は理解できなかった。最近読んでいる「教養としての「フランス史」の読み方」でも、フランス革命は 「「古い王政が~自由を抑圧して~市民が自由を求めて起こした革命」というほど単純であったわけではない」と記載がある。 むしろ王(政府)は自由市場主義を導入しようとしていたが、市民は自由主義より 、王の中央集権による安定的な政治を求めていた。しかし、特権階級(貴族)がそれを拒んだ。というような複雑な様相を呈していたようだ。(ちなみにフランス史について興味を持つことになったのは佐藤賢一の「双頭の鷲」から「小説 フランス革命(全10巻)」を読んでからだ。ちょうど最近ナポレオン三部作が刊行された。非常に面白いので是非。)

今読み中のナポレオン

このように人の世界は複雑で相手側にも色々な状況や思惑があるということを学ぶことは、他の文化を受け入れたり、人や国に対して寛容になることに役立つのではないかと思う。加藤陽子さんも「多くの事例を想起しながら、過去・現在・未来を縦横無尽に対比し類推しているときの人の顔は、きっと内気で控えめで穏やかなものであるはずです。」とも記載があり、他の文化や人に対する寛容さと同じことを言っているのだと思う。

追加で2点、これまでの考察に入らない記述を紹介したい。「ホモ・デウス」では、過去に意味のあったことが新たな時代では意味がなくなる過程を眺めることが重要とも言われている(本の中では”意味のウェブがほどけたり、新たなウェブが張り巡らされるのを見る事”と書かれている)。

「大戦略論」では「優れた知性の基準=二つの相反する考えを同時に持ちつつしかもきちんと働く」もので、「歴史とは人間には探知できない法則を反映している」そして「相入れない物事への適応が必要になる。これこそが歴史から学べることである」と言っている。

最後にビジネスとの関連を少しだけ。ビジネス書でも歴史の重要性が書かれている(?)本がある。ビジネス書や自己啓発書はほとんど読まない(大学生の時は読んでた)のだが、数冊ある本の中で一橋大学教授の楠木健さんの「ストーリーとしての競争戦略」(いわゆる「スト戦」)がある。10年前に父親に借りて読んだのだが、面白く、その後自分で購入した。久しぶりに読んでみたのだが、やはり面白い。と言うか、この人がユーモアがあって面白い。ここでは「戦略的思考を豊かにするためには、「歴史的方法」が最も有効です」と記載がある。ここでの「戦略」はビジネス書なので、「経営戦略」のことだ。楠木さんは「歴史が重要」と直言しているわけではないので、どのように思っているかは不明であるが、私個人がこの文脈から想像を広げる限り、「物事の因果関係的な思考を豊かにするには一般的な歴史をたしなむのが有効」と言いたい。楠木さんのブログを確認したが、歴史に対する記述は少なかった。ただ、彼が影響を受けたという米倉一郎元教授の回の話は、楠木さんの面白いキャラの一貫性が出ていてよいし、このような方とお友達ということは楠木さん自身も歴史に対して何らかの思いを持っているものと思う。この人のブログは短い、私のは長い。。やはりブログは短い方がいいのだろうか。。しかし、スト戦では「ストーリーは長い話」と記載があったので、ストーリーになっていれば長くてもいいはず、あくまでなっていれば。ちなみに「当時のITブームに相当するような華々しく見える事業機会は、今で言えば、環境技術やシルバーマーケットというところでしょうか」と記載がある。この文章から10年後、これから環境やAgingのビジネスを考えようとしている自分がいた。。。やはりその要素は抜いて、人への価値から考えるべきだと認識を改めた。

以下、私が歴史を好きになった経緯も載せておく。

歴史を好きになった最初のポイントは、小学生の時に「マンガ日本の歴史」を読んでからだ。多くの方がそうだと思うが、特に戦国時代あたりは面白くて何度も読んだ。戦国時代が面白かった理由は「戦術」の話があった事が一番だと思う。例えば、信長が今川義元の大軍に対して、少数でどのように勝利したかという部分だ。その他の部分に関しても、過去から現在に至るストーリーになっているので面白い。おそらく、人間は因果関係を面白いと思うのだと思う。一般的な小説もその因果関係の強さが面白味に重要だと思う。とは言え、それから次のステージに進むまでは10年ほど必要であった。

次の転換点は大学1年生の時だ。一般教養の選択授業でリーダーシップに関する何かしらの課題が出たため、「リーダーシップ」と図書館で検索した際に出会った本が塩野七生の「ローマ人の物語2巻、ハンニバル戦記」だ。このハンニバル戦記は大学生の男子の心をくすぐるには十分だ。なぜなら戦術に関する記載が満載だからだ。第1次ポエニ戦役において、それまで船を持たなかったローマ共和国が海洋国家のカルタゴにどう勝利したか。第二次ポエニ戦役におけるハンニバルのローマ共和国に対する快進撃における戦術のバラエティー。そして極めつけは第三次ポエニ戦役におけるハンニバルとスキピオ・アフリカヌスの決戦。これだけ心躍った本は「銀河英雄伝説」くらいかもしれない。この後、1巻からローマ人の物語を読み返して、大学院生まで全15巻、約4500ページを読破した。4巻と5巻ではユリウス・カエサルが登場し、ハンニバルと合わせて、戦略というものを知ったと思う。ここから、他の塩野七生の本を読んだり、他の歴史を読んだりし始めた。

「Cannae hannibal」の画像検索結果
ハンニバルの大戦術が披露された戦いの一つ、カンネの戦い

24歳でIBMに入社するのだが、ローマ人の物語を読んだことで自分はローマの歴史を知り、戦略というものを知っている、ということが、(根拠の無い)自信になっていた。それもあって、歴史を読み続けていたのだと思う。(ちなみに塩野七生の本は歴史小説であって、歴史書ではない、と言われる。そうだとしても、本がカバーしている歴史については知ることができると思う)

カーが言っていた 「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との尽きることを知らぬ対話」 。歴史を読むことは自身が過去と対話をしているのだと思うだけで心が躍る。結局はそういう「勘違い(?)」であっても、個人の中で心躍る事が何かをする理由で、私の場合はその1つが歴史を読む理由なのだと思う。

理由が難しい:イギリス食文化

ポルトガルに旅行した時にレストランかお土産屋さんで、「ポルトガルはかつて7つの海をまたにかけた、だから料理がおいしい!」と記載があった。この時、「じゃぁなんでかつての大英帝国、イギリスの料理はあんなにまずいんだ?」と思った。イギリス人にとっては天気の悪さと共にすでにブラックユーモア化している料理のまずさについて、その理由を分かる範囲で記載したい。ちなみに、検索するといくつか理由が出てくるのだが、なぜか個人的にあまりしっくりこない。たぶん本格的な研究はなされていないのではないだろうか。

結局結論は分からないこともあり、今回は短めに。ただ、スコットランドの首都エディンバラはムール貝がおいしかったし、ドーバー海峡沿いにあるBrightonはシーフードがおいしいと聞いているので、もちろん一概には言えないが。

イギリスのご飯の話をすると年上の方は「そうは言っても最近はおいしくなってるよね(らしいね)」とおっしゃる。私からすると「そうは言ってもまずいです」。もしかしたら大体日本人が行くところはロンドンで、ロンドンはおしくなっているのかもしれない、お金を払えば。。。と言いながら、よく言われる「イギリスって高いよね」という話、確かに外食は高めだが、イギリスの生活費用はそんなに高くない。Cambridgeが田舎だからかもしれないが、食費が安い。ビールもワインも、お肉も、野菜も全てが日本のスーパーより安い(魚介類は高いし手に入りにくいが)し、味もよい。あぁ、それなのになぜレストランで出てくるお肉はまずくなってしまうのだろうか。

この一つにまずイギリス人自体が比較的食に興味がないことがあげられる。妻の友達のフランス人の旦那さんは、職場でご飯の話やそれをどうおいしく食べるかの話をしても、なんとなく話がかみ合わないらしい。むしろ白い目で見られることも。これは食に執着するのはよくない事、という文化、「紳士は質素に」、があるからのようだ。でも日本人も(昔の紳士階級に相当しそうな)武士は食わねど高楊枝ではないか。

他の理由として、これは日本人の同級生が言っていたのだが、農村で地元料理が洗練される前に産業革命が起きて人々が都市部に流れたから、ということ。でも、産業革命前からそれなりに長い間、固定された土地に住んでいたのではないだろうか?ノルマンコンクエストが1066年で、産業革命までの約700年では足りないのだろうか?でもノルマンコンクエストでやってきたのは貴族なので、結局地元の農民達はその前も後も労働力として地元に住み続けているのではなかろうか?

ということで、やはり結論は分からないのだが、イギリスの食事がまずいというのは誰しも思うことらしい。Cambridgeでは、タイ、中華、ベトナム(Phoというフォーのお店にアイルランド人のRebeccaは2日に1回くらい行ってた)料理というアジア系が欧米人含めて人気だった。我々はピクニックや遠出するときは、ご飯を鍋で炊いて、おにぎりと卵焼きを作り、市販のソーセージとキュウリ程度でお弁当を作ったこともあった。まぁ日本人だからですが、その程度でもどこかで買うより断然おいしい。。

1歳児の誕生日2泊海外旅行:フランス共和国

イギリスは寒い。イメージ通りだ。よって、家にはクーラーが備え付けられていない。しかし、昨今は温暖化の影響で、真夏は暑い。私がCambridgeに着いたときは8月初であったため、非常に暑く、クーラーがないことを知り「大丈夫か?」と思った。一応その時は夜になって窓を開けると涼しい風が入ってくるので、熱帯夜を感じることなく寝ることができた。が、今年(2019年)はさらに暑く、寝苦しい日が続いた。そして、ヨーロッパ中が観測史上最高温度を記録した日に、我々は、あこがれの町パリにいたのだった。。。

妻はパリに行く事がひとつの夢であったので、Cambridge滞在中に実現すべく、7月の最終週の娘の初誕生日にかぶせてパリに行く事にした。飛行機だと、3時間前とかに飛行場に行く必要があるため、Eurostarを選んだ。King’s Cross駅の横のSt Pancras International駅からGare du Nord(パリ北駅)まで約2時間半だ。当然、娘は2時間半もジッとしていられないのでグズリ、電車内を車両から車両へ何回も往復することになるのだが仕方ない。

パリ北駅は少々危ないといわれているので、さっさと地下鉄でホテルへ。荷物が少なくて済むのがよい。ホテルはTemple駅近の「パリ・フランス・ホテル」というべたもべたな名前のホテル。2日間で330€くらい。まぁ、家族3人でパリなので、仕方がない。部屋も綺麗で十分広くて朝ごはん付き。一度安くて狭い部屋で大変な思いをしたので。今回もBooking.comで予約。

今回の拠点、パリ フランス ホテル。アクセスもよい。

ホテルに荷物をおいて、1日目はルーブル美術館の入り口確認とエッフェル塔、凱旋門からのシャンゼリゼ通り巡り。なぜルーブル美術館の入り口確認が必要だったかというと、私がルーブルのチケットネット予約を忘れ、当日券の購入が必要だったからだ。そして、この週は世の中も夏休み。なるべく早く当日券を購入するため事前確認に来た。ネットで情報を得ていたため、すんなり確認し、バスでエッフェル塔へ。しかし、バスに乗った瞬間、激熱。。実はパリも基本的には涼しいため公共交通機関内にはクーラーがない。この日の温度は40度近く。これは子供の健康にも悪いということで途中下車。Uberを呼ぶも、来るまで時間がかかり、外で待っていられないということで、近くに止まったタクシーでエッフェル塔へ。しかし、フランス語で(おそらくわざと)値段を言われ、現金を出したのだが、正直ボラれた。暑くて、涼んで着くことを優先したため、強い心で反論できなかった(反論するにも体力がいる)。その後、凱旋門からシャンゼリゼ通りと観光をしたが、正直暑すぎてあまり満喫できなかった。

夕飯はLe Baravというお店へ。ホテルの近くを予約した。事前にTrip Advisorで調べていたが、ワインのおいしいお店ということだ。せっかくのパリなので妻もワインを飲みたいということでこのお店にした。

実際にワインがおいしく、価格もそこまで高くはなかった。メニューはつまみ系が多いイメージ。他のテーブルを見渡すと、みんなチーズプレート1枚にワインのボトルを1つか2つという人たちが多いよう。飲み会や外食ではたくさん食べるというよりも、つまみによく飲むということが多いのかもしれない。食べる量が無駄に多くないのは大事なのだろう。街を歩いていても、明らかにイギリスよりスタイルがいい人が多い。Fish&Chips、特にChipsばかり食べているイギリス人とは生活習慣が違うからだろう。MBA中に工場見学の途中でお弁当がでたのだが、サンドイッチ、水、フレッシュフルーツ、そしてポテトチップス。なぜか常にポテトチップスが付いてくる。これがご飯の一部ということなのか。とか言いながら、このお店でも私は大目に食べ物を頼んで食べてしまったが。。

ちょっと頼みすぎた、、しかもハム系が二つ、、おいしかったのでいいけど。

二日目はルーブル美術館へ、この美術館は何度行っても楽ししい、妻も当然娘も初めてだ。しかし、昨日確認した入り口に朝8時ころに行ってみると、なんと、当日券は売れないとのこと。大混雑が予想されるので、ネット予約のみのようだ。いまさらながらネットの時代、、チケットはなんでも事前に購入しておくべきですね。。まぁ、電車予約、ホテル予約、夕飯のお店予約、に忙殺されて忘れてしまったんですが。。仕方ないので、近くのl’Orangerie(オランジュリー)美術館へ。ちょうど開館もルーブルより遅かったので、時間的によかったし、朝の比較的涼しいルーブルからオランジュリーへの散歩も気持ちよかった。しかもヨーロッパは幼児連れには優しく、優先列から入館できた。ここにはモネの睡蓮がある。実は、「仕方がない」とか言いながらここは世界中の美術館の中でも来たかった場所の一つ。その睡蓮が壁一面に展示されているのだ。妻も読書が趣味なのだが、私と違って小説をよく読む。その影響で妻の読んだ本を私もいくつか読むのだが、その中でも浜田マハが非常に好きだ。そして浜田マハのエッセイの中にこの壁一面の睡蓮の話があり、それを読んでから非常に訪れたい場所となっていた。そして、予想通り素晴らしい。美術館自体も外装内装が美しいし、その中のこの睡蓮自体もよかった。他にもルノワールやマティスの絵が展示されているのでお勧めだ。

オランジュリー美術館はルーブルとも近く、プラン変更しやすかった。ちなみにすぐ南にはオルセー美術館もあるのでそちらもあり。
これが噂の睡蓮!すばらしい!!

オランジュリーの後は歩いて6区と呼ばれるお洒落なショップやブティック並ぶ街区へ。ここにはダヴィンチコードにも使われた教会がある。が、そろそろお昼近く、観測史上最高気温が我々にも襲ってきた。結局早々とランチ。お昼は適当に探したのだが、なぜか日本人しかお客がいないお店だった。Crêperie des Canettes。何かの雑誌にでも紹介されているのだろうか?確かにおいしかった。やはりパリは違う。後で調べたらここはガレットが有名なお店だったようだ。

この後はピカソ美術館へ。ピカソ美術館にはいくつか有名な絵があると事前にブログで確認していたのだが、どうやら収蔵数が大分多いらしく、確認したブログに載っていた作品の半分も見ることができなかった。ただ、ピカソ「っぽい」作品はたくさん見れたので、娘のピカソ デビューということで一枚。いつかはゲルニカを見に行きたいと思っている。

夕飯の前に時間があったのでパリをブラブラ。実は私、ネクタイが欲しく探していた。以前新婚旅行でフィレンツェに寄ったときに購入したネクタイが安くてもよい柄だったので今でも使っているから、パリにもそういうのがあるはずだ!と思っていたからだ。しかし、デパート等に行っても高額だし、有名なブランドも当然高額。が、夕飯のお店の近くに、これまたフラッと入ったお店、mario dessuti opera、ではネクタイが25€(だった気がする)均一で売られていた!しかも見た目もよい。2掛け購入した。やはりスーツ関連は本場の西洋に限ると思う。

さて、夕飯だが、これが今回のハイライトだ。娘の初誕生日のために(実際は我々がおいしくご飯を食べるために、なぜなら娘は離乳食)、予約をした。Juvenilesというお店なのだが、実は、妻がCambridgeで知り合ったフランス人を夫に持つ日本人の女性に教えてもらったとのこと。彼女たちの趣味は食べ歩きで、パリに住んでいた時には、それを楽しみに生活していたようだ。翻ってCambridge、「趣味が一つ減ってどうしようかと思っている」とのことだった。そんなお友達に紹介してもらっただけあり、何を頼んでもおいしい!!イギリスの味に慣れていると、ヨーロッパ全体がこんなもんかと思い始めてしまうが、イギリスが特別だということを思い出した。これこそ正にお金を払って食べる外食だよね。イギリス人的にはもはやブラックユーモアな部分もあるが、なぜこれほどまずいのかは気になる。別途これについて記載してみたので、気になる方はご参照のこと。さて、子供の誕生日といっても、何をするでもなく、日々大変な思いをしている妻とワインとおいしい料理を楽しんだ。

最高に美味の今回の夕飯のお店(なぜか周りに日本食店が多く、ラーメン屋がたくさんある)。 1789年7月12日の午後、「諸君、武器を取れ!!」と大きな声でカミーユ・デムーラン が演説した、パレ・ロワイヤルの近く。

最終日の3日目は有名画家達が愛した地区であるモンマルトンの丘へ。なぜここが画家達の町になっているかというと、過去のこの辺りは地価が安く(丘の上で移動に不便)有名画家達が世に出る前に住んでいたからだとのこと。とりあえず有名なサクレ・クール大聖堂は見ておいたが、目的は娘の似顔絵を描いてもらうこと。というのも、ここにあるテルトル広場は多くの無名画家達が青空の下創作に励んでおり、有料で似顔絵を描いてくれる。最初によさそうな雰囲気の画家がいたのだが、交渉に行くと我々が日本人と知り、「俺はキムタクの絵も描いた」と写真を見せてきて、どう見ても嘘。妻も絶対ヤダとのことで、別の画家へ。何人かのところで交渉したが、結局女性の画家に決めた。良い雰囲気のおばあさん。他の画家の方はスマフォで写真を撮って書いてくれるので、その場にいなくてもよいのだが、この人はスマフォ禁止。逆にそれに親近感を持った。値段は交渉すべき。娘のみか、3人を描いてもらうかで値段も違うし、画家個々人でも異なる。確かな値段は忘れてしまったが、確か3人で80€くらいだったので、今回は娘のみ30€くらいで描いてもらった。30分くらいだったと記憶する。そのあと近くのお店でお昼を食べて(当然私はビールを飲み)、Eurostarで帰英。全体として、もちろん良い旅であったが、やはり歴史的猛暑の影響で、特に1日目はあまり楽しめず、シャンゼリゼ通りももっと優雅に歩きたかった。今回はルーブル美術館も行っていないので、次回もう少しゆっくりしたいところである。

今回描いてもらった画家の方

ちなみに、現在、日産問題で熱い日仏関係だが、一方では「今上天皇は昨年9月、皇太子最後の外国訪問としてフランスを8日間にわたって訪れている。日仏友好160周年を記念して開かれた「ジャポニスム2018」に合わせた訪仏だったが、これにはフランス政府の強い要請があった。フランスとしては即位前の皇太子を元首級でもてなすことで、日本との関係をより強固なものにしたい思惑があった。外国の元首でもめったに使わないベルサイユ宮殿でマクロン大統領夫妻は歓迎晩餐会をもった」とのことで仲良しなのは良いことだ。是非実務的にもよい関係が続くとよいと思う。

課外活動って必要??Impulse Programme

Disneyが好きで人生初のアルバイトはDisneyのキャストであった。色々なことを学べたと思う。例えば、企業には理念/Misson(Disneyでは「ゲストにHappinessを提供する」)があり、それを元に我々の行動に落ちてきているのだな、とか。そのための行動原理として4つあり、4つ目に「Efficiency」とあって「Disneyっぽくないな」と思ったものだが、それも、例えばゲストをアトラクションで待たせ過ぎたらHappinessに影響する、ということのようで、「そのように落とし込むのか」と感心したものだ。このようにアルバイト等の外部の活動(課外活動)で色々な気付きを得られるはずなのだが、当時の私は「課外活動」をなんとなく、うさん臭く、遊んでいるようなイメージを持っていた。「課外活動」で例えばボランティアをやっていても、それが今の学業もしくは研究内容にどういう意味があるのか?と思っていたような気がする。ここでもDiversity観点が欠落していたなと思う。結局私はアルバイトくらいしかしていなかった。最近でこそ、Open Innovationが謳われてきたこともあり、外部Communityの活用が企業でも重視されているし、ヘンリー・ミンツバーグも「私たちはどこまで資本主義に従うのか」で、Community活動は重要となっているが、昔はそこまでではなかったと思う。しかし、今回課外活動の重要性を認識した。

MBA受験用のエッセイでも「課外活動」を記載する欄があるし、MBA中も「課外活動」が推奨されている。在学中は「課外活動」の一つとしてImpulse Programmeに参加した。 以前にも記載したが、Cambridge MBAの強みの一つとしてEntreprenuershipが盛んな地域ということがある。Cambridge自体が、歴史的に理系に強い大学であり、そこから生み出される新技術をもって起業したり、そのような技術やそれを創出している人材を求めて企業が研究所を置いている。そのEntreprenuership Ecosystemの一翼としてMaxwell Centreという場所がWest Cambridgeにある。そこで毎年開催されるStart-up向けプログラムが、Impulse Programmeという(どちらかというとアクセレレーターというより(下記参照))インキュベーション・プログラムである。West Cambridgeはこのような大学と産業を繋げる場所として定義されており、Maxwell Centreや Cambridge Enterpriseという大学のVenture CapitalのOfficeがある場所の総称である。Impulse Programmeの対象はPh.DやPost-Docだ。

Startup EcosystemとしてのCambridge
右側がCambridgeの中心で、左上の赤枠がWest Cambridge
Cambridge MBAのElective、New Venture Finance、Session1の資料より抜粋
Robert (Bob) Wardrop

参加経緯は同級生のSlavanというオーストリア人の活動からだ。彼はScientistであるが、すでに起業しており、非常に優秀だ。彼自身がCambridge内のNetworkingで出会ったAlexandraという女性がImpulse Programme全体のCoodinatorをしており、Slavanが彼女と会話したことが発端であった。SlavanからSlackとWhatsup(同級生内のCommunicationにはこの二つを使っていた)に「興味がる人はDM(ダイレクトメール)くれ」と記載があり、課外活動に飢えていた私は早速Slavanに連絡したのが、Lent Termの後半、2月か3月くらいだったように思う。結果として6名のMBA同級生と参加することになった。

参加MBA同級生6人。なぜかNicが写ってない。。一番右がリードしてくれたSlavan。

Impulse Programmeは4月から7月の3か月間のプログラムで、参加者は事前審査で50~60名くらいの人数に絞られて、6~7名のチームに分けられる。Goalは投資家へのPresentationであるが、それまでにMentorとの会話を経て、現実味の高いビジネスプランにもっていく。各チームにMentorとFacilitatorが付いて、Mentorは実際の起業家や投資家だ。私が担当になったチームのMentorはarmの創業者の一人であるJamie Urquhartであった。このプログラムの中で決められた集合時間は4月のオリエンテーション週と7月の最終発表週のそれぞれ一週間であり、この期間でMarket ResearchやFinancial Plannnigのセッションがある。その期間以外は自由時間であり、Presentationに向けた作業やMentorへの相談をする。 FacilitatorとしてはMBAの同級生が実施した。ちなみにハーバード大学卒のアメリカ人同級生が参加者にいたのだ、今回初めてしゃべった。。

途中のSessionの一枚、ノーベル化学賞受賞者の Sir Gregory “Greg“ Paul Winter

Facilitatorの役割は、主催者側も考慮してくれていて、「Team Memberへの連絡」や「提出物が遅い人へのNudging」をして欲しい等々を定義してくれていた。ただ、これはFacilitatorとMentorや他の参加者が困らないように役割を与えてくれただけであり、実際は実務経験やMBAの勉学からTeamの議論にコメントしたり、相談に乗ったりすることを実施すべきであろう。私自身つたない英語で無理やり議論中に意見を言ったりした。意味があったかどうかはおいておいて。MBA同級生の中にはもっと積極的な人もいて、 Egor はPwCやDeloiteというコンサル会社を渡り歩いている人物だが、すごくTechnicalな人物で、 Team Memberの一人と会話をして自分のData Scienceのバックグラウンドを生かして一緒にPitching(プレゼンテーション)をしていたメンバーもいた。さすがだ。 私にとって最もよかったことは、MentorのJamieと知り合えたことだ。イギリス人だからなのかCambridgeにいる人だからなのかは分からないが、彼らは非常に縁を大事にすると思う。まさに一期一会でこの「たまたま」あったと言うことを大事にしていると思う。ちなみにJaimeはスコットランド人だ。「English?」と聞くと「No, Scottish」と返ってきた、迂闊。。彼と話した内容は「私は基本的にSEなのだが、Venture Capitalや似たような世界に行くためにはどうすればよいか?」というものだ(なぜVCについて聞いたかはまた別の回で)。彼も自分はGeekだと言っており、(って私はCodingもできないのでGeekではないが、広い意味でオタクで理系ということの意味だということにしておきたい)それでもOperation担当になったことで、armの創業活動からVCの実施まで出来たと言っていた。Operationを経験することが必ずしも必要ではないが、自分にとっては意味があった、と。この言葉には考えさせられた部分がある。自分の年齢を考えて、「もっと早く」と思った部分もあるが、一足飛びに行く必要はないのではないかとも思い始めた。やはり、こういう会話の機会は貴重だ。ちなみにCambridgeは町が小さいので、「少し話したい」というのには非常に良い。東京みたいに移動に数十分かかったりしないので、気楽に「じゃぁ昼に」とか、「じゃぁ夕飯後Pubで」といえる。

Impulse Programmeへの参加はMBA生活の後半に実施したこともあり、ある意味MBAを総括しつつCareerを考えるいいきっかけになったと思う。このような課外活動、もしくはCommunity活動は普通に仕事をしていても重要だと思う。なぜならばMBAもそうだが、完全に自分の要望にマッチした仕事というのはないと思う。それを補完するのがCommunity活動なのではないだろうか?例えばIT企業に勤めていても、政治や経済のことを考えたいとか、もっと住んでる地域に貢献したい、等々。

最後のDinnerチームメンバーと。後ろの右から2番目がJamie