アンパンマンとばいきんまん

「アンパンマン地獄」妻が最近口にする言葉で、朝から晩まで娘がアンパンマンを見たがり、しかも一緒に見ないと機嫌が悪くなる、という状況だ。私も最近は在宅勤務で、毎日朝から晩までアンパンマンの歌が聞こえてくる。実家に帰ると私用に買われた30年前のアンパンマン玩具や図鑑が役に立っている。娘は1歳10ヵ月だが、皆様のお子様はどうだろうか??

とは言え、アンパンマンが2歳近い子供にあれだけ好かれるのはすごいと思うし、アンパンマンがないと妻は家事も出来ない。内容も深い話だなと尊敬もする。アンパンマンの生みの親、やなせたかしさんは元軍人で太平洋戦争にも従軍している。その戦争体験が元になったようだ。ここを参照させていただいているが、そこには

戦争と飢え。さらに戦争終結によってこれまで信じてきた「正義の論理」さえもがひっくり返ってしまう。~~ しかし逆転しない正義もある。それが献身と愛だ。そして弱者を助けること。自分の身を削って人を助けるアンマンパンにはそんなやなせの想いが凝縮されたものだった。~~「正義に勝ち負けなんて関係ない。困っている人のために愛と勇気をふるって、ただ手をさしのべるということなのだ」 やなせのこだわる「正義」。それをテーマにした著書もある。『わたしが正義について語るなら』(ポプラ社)だ。 やなせはアンパンマンを書いたのは「本当の正義」を伝えたかったからという。アンパンマンはヒーローだが情けない。弱点もたくさんある。そして相手を決して殺さないし、「自分はエライ」と自慢しない。

と記載がある。

「やなせうさぎ」というキャラクターがいる、記念の回にしばしば登場するうさぎで、やなせたかしさんが自身の代わりに登場させているものであり、現在のオープニングの最後にも出てくる。劇中では常に、「お腹が空いて動けないところをアンパンマンが助ける」というベタなシーンである。が、これこそが、やなせたかしさんが戦争で飢えに苦しんだ時の正義の味方の具現化なのだと思う。それもあってか、名シーンに見える。

アンパンマン』新オープニングは雰囲気が違う?“やなせうさぎ”も登場 ...
現在のオープニングの最後

そんなアンパンマンだが、BSでは朝8時から1時間で昔(といっても10年前くらいだと思うが)のアンパンマンの再放送をやっている(これも見せられて妻は可哀そうだが、なぜかここはあまり集中してみない娘)。これを見ると、オープニングや、アニメの内容が今と少し違う事に気づく。昨今のアンパンマンを見ると、バイキンマンは食べ物を取り上げて勝手に食べる事はあっても、閉じ込めたり捕まえたりするシーンは見当たらず(あるのかもしれないが)むしろアンパンマンとのやり取りが友達のように見える。ドキンちゃんに至っては横で見ている事が多い。一方で昔の劇中ではバイキンマンの行いはもっとひどく、ドキンちゃんも直接手を下している、昨今のいたずらレベルとは明らかに違う。オープニングも昔はアンパンマンが悪を倒す派手さがあったが、今のオープン二ングは技術が進化しているにも関わらず、優しいタッチだ。(ちなみに娘はバイキンマンが好き。バイキンマンの人形を離さない。)

この違いはなんだろうか?

おそらく昔は、分かりやすい「悪を倒すかっこいいヒーロー」の方が視聴者が増えるという判断だったのだろう。しかし、DVや虐待、体罰が問題になる中で、暴力的な描写を減らしたのではないかと思う。だが、それだけではなく、やなせたかしさんの原点に戻ったとも見れると思う。それは「正義のための戦いなんてどこにもないのだ」ということであり、逆に言えば「悪を倒す戦いもない」と言えるのではないかと思う。(ただ、バイキンマンはアンパンマンを倒すために生まれてきたという設定のようなので、戦うのは宿命のようだけど(でも最近仲良く見える))。昨今人気の「鬼滅の刃」も敵役の鬼には鬼の過去と論理がある。この世に本当にこの人(行い)は悪だ!というのは難しいのかもしれない。私がそれに気づいたのは、中学生の時にガンダムを見ていた時だ。小学生のガンダムはロボット達が戦っていて正義が悪を倒す図式に見えたが、よく見るとジオン公国の独立戦争で、ガンダムの所属する地球連邦がそれを阻止するという図式だ。

昨今、少なくとも日本のアニメにはそういう物が増えてきていて、いい傾向だと思う。グローバル化の反動でポピュリズムの波が来ている昨今、やはり多様性を重んずる心は大事。それがなくなれば自分と違う物は悪だと見てしまうかもしれない

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