「男のロマン」の果て(?)イスラエル紀行(上):歴史

2013年にIBMがイスラエルのサイバー・セキュリティー会社、Trusteerを買収した際に日本で統合の支援をした。その時、上司に「ワカ、イスラエルとりあえず行っとく?」と言われたのが最初のイスラエル訪問の機会。その時は、あまり「行きたい主張」をしなかったので、雲散霧消したが、今回は「行きたい主張」を妻にした結果、イスラエル訪問が実現した。一週間も妻子を異国に残して旅行するなんて、イクメンからは程遠い。感謝の限りである。

さて、MBAの授業も終わり最後のSummer Termが始まる前にイスラエルという国を、Business Trekの一環で回れたことは、非常に意味があった。他にも溜まっているブログネタがあるのだが、イスラエルに関して先に記載しようと思う。全3回、歴史、政治状況、スタートアップ、に渡る。1回目は歴史について(ちなみに、以下の記述は大体現地のガイドの話か、ウィキペディアか、塩野七生の本からの知識であることを断っておきたい)。歴史を知らないと、「トランプがエルサレムをイスラエルの首都を認める」と宣言したことの何が問題なのか分からない。から記載したいというのは建前で、本音は私のイスラエルに来たいと思った最大の理由が「男のロマンが詰まった歴史的な意義がある場所を訪れたい」であるからだ。なぜ男のロマンかというと、ライオンハート・リチャードやサラディン、テンプル騎士団等、心くすぐる固有名詞がたくさんあるからだ。ライオンハートは日本語では獅子心王、英語ではRichard the Lionheart、カッコよすぎる。イスラエル人には「いやいや、日本の方が侍とか忍者とかロマンだろ」と言われそうだが、「男のロマン」は日本語だろうからまぁいいだろう。ちなみに同行した同級生のドイツ人に「チュートン騎士団(Teutonic Order)がドイツの起源だよね?」と聞いたら「まぁ、間違ってない」との話だったので、ドイツもエルサレム発のロマンの国ということに勝手にしておきたい。

ライオンハート・リチャード(ロンドンにあるのに、まだ直接見てない。。。)

そもそも、イスラエルという国自体は1948年に建国されている。であるのに、なぜ歴史的な意義があるのかというと、そこが聖地と呼ばれる重要な地であり、それが故に民族や宗教による衝突が度々発生しているからだ。この新しい国でありながら、歴史的重要性を内包している、というのが興味を引く部分であり、昨今の中東情勢に関わる部分なのだが、それは次の回に。イスラエルを語る際にユダヤ教を切り離すことはできない。その成立はかの有名なモーセが紀元前1280年頃に出エジプトを実施して、シナイ山で神ヤハウェと契約を結んだことによる。現代のイスラエル人もユダヤ人が多数を占めるとはいえ、多民族国家。古代イスラエル人もいわゆる12氏族からなり、結果としてその内の「ユダ」族を含む2氏族からなる国がユダ王国であり、この国が滅亡後にユダヤ教団を設立した(紀元前539年)。そして、その都がエルサレムであり(英語ではJerusalem、発音はジュルーサレム)、かつてはエルサレム神殿が紀元70年にローマ帝国に破壊されるまで存在した。地図を見ると小高い丘の上にあるので、戦略的要地だったのだろうと推測されるし、実際ユダ王国より昔から重要地であったようだ。そういう歴史からユダヤ教にとって非常に重要な聖地なのだと思う。

現在、エルサレムはイスラエルが首都と認定しているが、国連は認めていない、それはパレスチナとの問題があるからだ(現在の話は次回)。つまり前出のトランプの言はイスラエルとパレスチナの関係に油を注ぐという事で、非難されているのだろう。東エルサレム、西エルサレム、そして旧市街に分かれている。西エルサレムはイスラエル支配で近代的ビルが立ち並びStart-upも盛ん、東エルサレムは元々ヨルダン支配で、1967年の第3次中東戦争以後はイスラエル支配だが、パレスチナ自治区が首都とみなしている。そして、旧市街が最も歴史的場であり、これがイスラエルの特徴の元であると言っても過言ではない。旧市街もざっくり以下のように4つに分かれている。嘆きの壁や聖墳墓教会は訪れることができたが、岩のドームへは時間的な入場制限があって訪問できなかった。岩のドームは地図のようにイスラム教管理下にある。ちなみにテンプル騎士団の名前の由来はエルサレム神殿の「神殿」=「テンプル」で、元本拠地は壁内にあるため、現在はイスラム教管理下。

旧市街全景ここから拝借

嘆きの壁はエルサレム神殿の名残であるため、ユダヤ教にとっては最も神聖な場所で、男女別に入る必要があり、多くの信徒が祈りを捧げている状況を見ることができた。嘆きの壁はイスラエル管理下。

嘆きの壁とその横にある礼拝所へ入る子供達
嘆きの壁と2019 Cambridge MBA Israeli Trek 参加者(アメリカ人、メキシコ人、イギリス人、ドイツ人、ポーランド人、ロシア人、インド人、シンガポール人、中国人、日本人、等々)

聖墳墓教会はローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世が325年頃に、キリストの磔刑の場所ゴルゴタに教会を建てることを命じたもの。よって、キリスト教にとっては非常に重要な地で、キリスト教内のカトリックや東方正教会など複数の教派が共同管理していて、それぞれの教派によって教会内の重要な場所も異なる。また、ローマ帝国時代に作られたものや十字軍時代に作られたものが混在していて歴史の移り変わりを感じる。

キリストの身体が埋葬のために準備された場所であると言われている石物を触る人々
アルメニア使徒教会にとって重要な聖ヘレナ教会

ローマ帝国滅亡後は基本的にイスラム教徒により支配されていたため、本教会も破壊された歴史があるのであろうが、部分的にしろ残存している(ローマ帝国時代の柱と十字軍時代の柱が不自然に並んでいた)ことが素晴らしい。おそらく、イスラム教徒支配下であっても寛容で他文化他宗教等の多様性を受け入れる気風があったのであろう。実際、イスラム教支配下の時代でも、ヴェネチア共和国などはエルサレムへの聖地巡礼パックツアーなるものを販売していて、ヨーロッパのキリスト教徒も聖地巡礼できたようだ。そして、度重なる十字軍が、むしろ、そのような寛容気風を壊してしまったとも言えるかもしれない(十字軍側はムスリムを虐殺したが、サラディンはキリスト教徒虐殺をしなかったと言われている)。現在も旧市街を4つに分けることで、異なる宗教が共存するための努力をしているように見える。実際、旧市街を回っていても、特に衝突が発生するようには見られない(まぁ、それは観光地化しているからかもしれないが・・・)。ちなみに十字軍の歴史的意義は、宗教的なものよりも、アラブ側の当時の最新技術がヨーロッパにもたらされたという東西交流の促進にあるという記述をよく見る。

別日に訪れたのはマサダ要塞。死海の辺りにあり、いわゆるWest Bank(パレスチナ自治区)の近くにある。

マサダ要塞場所(マサダ山頂上遺跡群)(点線はパレスチナ自治区、いわゆるWest Bank)

この地は70年にエルサレムがローマ帝国軍により陥落された後、最後の抗戦地となった。イスラエル国防軍士官学校卒業生は山頂で「マサダは二度と陥落せず」と唱和するようで、我々も多くの国防軍の兵士を見ることができた。難攻不落というのがよく分かる切り立った崖の上にあり、蛇の道と呼ばれる細い登山道を通らないと頂上へは行けない(ちなみには今はロープウェイが整備されているらしいが、訪問時は知らなかった。)。

マサダ要塞からの死海と朝焼け
切り立った崖、蛇の道とイスラエル国防軍兵
唱和する士官学校卒業生と思われる若者たち

前日にはべトゥイン人(古代から存在する遊牧民族、しばしば歴史に傭兵(と言うと怒られるかもしれないが)として登場する)のテントに泊まった(観光目的の場所であると思われる)のだが、そこで国防軍の一団もおり、2名の、おそらく士官学校生と思われる女性(大学生くらいの年齢か)と会話する機会があった。どこから来たのか?と聞かれて、「イギリスのCambridge大学だけど、世界中から来ているよ」と返したら、「私もCambridge大学に入りたいんだけど、英語ができればいいのかな?」と聞かれ、「イスラエル人ならDiversityの観点からもMBAとしては歓迎だろう、ましてや軍隊経験があればなおさら」と話したら喜んでいたのが印象的だった。

それにしても、Nationalismが再度台頭し始めて、Diversityが叫ばれている昨今、歴史的にも、また旧市街の現状からも他文化他宗教間の均衡を、現地の人たちのレベルでも、うまく保っているように見える。「融合ではなくて均衡が大事」と言ったのはジョン・ルイス・ギャディス。翻って、日本は。ちょうど、ガイドの人が8月に日本に行くと言うので、お勧めの場所を聞いてきた。「伊勢神宮あたりが良いのでは?」と言う話から、日本では初詣は神道でお墓は仏教の場合が多いと言う話をして、ガイドのイスラエル人は非常に興味を持ったようだ。これって、多様性を受け入れる文化の一形態だと思うのだが、どうだろう??ローマ人も、ローマの神々、ギリシャの神々、ガリアの神々を統合して祀っていた、これは日本と似ていると言ったのは塩野七生。

(イスラエル訪問時は外務省の危険情報を確認した上で、個人の責任でご訪問のこと)

0歳児の3泊海外旅行: ポルトガル

ポルトガルとはどういうイメージだろうか??正直、ヨーロッパの中でも少しマイナーだと思う。ポルトガル行くくらいならスペイン、みたいな?私が大分時間を浪費(?)したAge of Empire Ⅲ (下画像)という大航海時代をベースにしたRTS(Real Time Strategy)ゲームでも、なんとなく弱い国であった。が、大航海時代が始まったのはポルトガルがカナリア諸島やマディラ諸島を発見(探検)してからなので、歴史マニアとしては心踊らされる場所なのだ!ここら辺の島は最近はリゾート地だけど、MBAの同級生も何人か行ってたなぁ〜。

さて、そんなポルトガル(主にリスボン)に、Lent Termの半ば、3月最初の週の週末に訪問した。私としては憧れの地だったので非常に楽しめた!目的はここでも3つ。戦国時代の日本人の足跡を辿ること、イスラムとカトリックの融合を感じること、そして、美味しいシーフード!!

まず感動したのが、リスボンの坂!かっこいい。まぁ、坂のおかげで荷物と子供を持って歩くのが大変なのだが、、でも坂の先に海(湾)が見えて素晴らしい!!そして、ホテルに到着。ホテルというかアパートメント。今回のMBA生活の旅行で気付いたのだが、滞在先には3種類ある。ホテル、アパートメント、そしてAirbnb。MBAに来てからは主にBooking.comを使って、宿を探している。結構使いやすくていい。ホテルかアパートメントがここには載っていて、詳細は省くが、情報も詳細でオススメ。3月末にはスイスにも行っているが、宿がハズレたことはない。Airbnbはまだ使ったことないが、アカウントは持っている。結構いいみたいなので、いつか経験したい。ちなみに飛行機はスカイスキャナーで探している。さて、今回のアパートメントであるが、入り口と入った先のロビー?がボロボロで、最初はびっくりした。。だが、2階に上がるとレセプションがあって、管理者の方もいる。中々良い感じの、アパートメントだった。ただ、ホテルの方がサービスはいいので、予約時はホテルかアパートメントなのかしっかり確認した方が良い。

さて、話がそれたが、1日目は到着日なので軽く街を散策して夕飯。夕飯はやはり、シーフード。久しぶりのシーフードの堪能!!タコサラダ(後で気づいたが、どこにでもあるらしい)ポルトガルソースの魚、そしてワイン。やはりこの組み合わせは最高だった。そして、レストラン内には鯛がデザインされている陶器のお皿が飾られている。なんとなく日本のデザインに似ている。ちなみに、ポルトガルは陶器も有名。

2日目はリスボン観光。まずはエンリケ航海王子を称えたジェロニーモス修道院へトラムで。トラムはスリが多いとのことでそれは気をつけつつも、無事到着。この角が出ているデザインが少しこれまで見てきたヨーロッパの建築物と違うか、というイメージ。次に発見のモニュメントとベロンの塔へ。これらも大航海時代を称えるモニュメントであり、遺物、そしてこれが初の大西洋をヨーロッパ側から見た経験!!ここから大航海時代が始まって、日本にまでやってきたと思うと感慨深い。

そして、我々にとっては2日目のハイライト、天正遣欧少年使節が立ち寄ったというサン・ロッケ教会へ。彼らの足跡があるかと期待して、教会の中へ。が、教会の案内にはそれらしき記述は何もない。。内部にも日本を感じさせるものは見受けられない。確かに、この教会にとっては、当時、色々な国からやってきた使節の中の1つ、そんなに記録するものでもないのであろう。。と思っていた所、あった!!奥の間に、天正遣欧少年使節自体ではないけど、16世紀の頃の日本を描いた絵が。見た目がなんとなく中国っぽいのも当日の日本のイメージを表していて良い。彼らは非常に長い航海の中、危険もあるだろうに、何を思って日本にやってきたのか、、本当に、再度感慨深く、考えさせられる広間であった。これらの絵を妻と凝視していたら、係員のお爺さんが色々説明してくれた。そのお爺さんも話すのが嬉しそうでよかった。

そして、最後に丘の上にあるサンジョルジュ城へ。丘なので、当然坂がある。まぁ城だし。トラムでも乗るかと思っていたのだが、なんと幼児同行でトラムに乗れないことが判明!!!結局タクシーを探して目的地へ。いや〜いい景色。リスボンが見渡せるし、海も見える。

2日目の食事は、リスボンで有名なRamiroへ。ここも海鮮。そして確かにすごく並んでいる。。我々は予約して行ったのですぐ入れた。是非予約をオススメする。

3日目はリスボン郊外(と言っても大西洋側)のシントラへ。電車で40分ほど。が、この日は日曜日だったので、1時間に一本、おかげで時間がうまく行かず、50分ほど待つことに。平日は30分に一本らしいが、シントラという観光地なら、休日の方が使う人が多いと思うのだが・・・初心者考え過ぎるか?とにかくシントラに到着、ここからバスで目的のペーナ宮殿へ。最高だった。この白、赤、黄色の組み合わせのお城。正直昔これを見たら、なんて趣味の悪いお城なんだろうと思ったであろう。だが、これこそ正にイスラム教とカトリック教の融合ではないかと思う。こういうデザインは大陸内部にはない。シンデレラ城のモデルであるドイツのノイシュバンシュタイン城が良い例だ。でも、ここでは、きっと、レコンキスタ前後のイスラム教の文化に影響を受けて、こういうデザインになったのだと想像する。例え、このお城の設計者がドイツ人だとしてもだ。これもまた非常に感慨深かった。

次に訪れたのが、ムーア人のお城だ。ここは、洗練度は低いが、古い砦という感じ。城壁の上を歩いていくのだが、地形を使った勾配が激しい城壁で、子供を抱っこ紐で抱えながら歩いたが、結構危ない感じがした。ただ、景色はいい。さすが周りを見やすいように作られた城壁なんだろうと感じた。

3日の夜はリスボンへ帰ってパエリアを食した。隣が有名なお店ですごい並んでいたが、我々の入ったこのお店も美味しいパエリアが食べられた。

以上、ポルトガルは本当にいいところで、観光もしやすい。ご飯も美味しいし。個人的には男のロマンである大航海時代を色々感じられてよかった!ポルトガルのご飯が美味しいのは、大航海時代を席巻して色々な国の食文化が融合しているからだとどこかで読んだ。でも、そしたらなんでイギリスは微妙なんだろうか???

夜泣きはほっとくべきか?

イクメン。になろうと思っていたが、実際今のCambridge生活ではほとんど妻に育児をお願いしていて、申し訳ない限りである。しかもMBA生との交流にも付き合ってもらっている(ヘッドの写真はモンゴル人のご家族、右奥の女性がMBA同級生)当然子供は可愛いが、本当に育児って大変だと思う。日本にも男手一つで育てている方がいらっしゃると思うが、本当に尊敬するし、どうやってやっているのか、、本当に大変だろうと思う。

さて、そんなイクメンになれていない私ですが、一応妻とは教育方針の話をする。いくつか話している中で、「子供を寝かすときはほっておくべきか否か」という会話がある。西欧の方針では6ヶ月以降は子供を一人にして寝かしておく、また泣いてもほって置く国が多いらしい。そうすると自然に一人で寝るし、ふと子供が起きて周りに誰もいなくても、それが普通になって、寝てくれる。確かにこれだと親の負担は減る。そして、もしかしたら自立心を持った子供に育つのかもしれない。逆に日本はどちらかというと、泣いたらすぐに抱きかかえにいく方針で、これだとずっと親は子供についていないといけない。当然親の負担は大きい。でもこれの方が情緒が安定するという話がある。

この方針の違いは成長して大人になった時の行動や思考に影響していると思うし、結果として大分国民性に影響していると思う。そして、親の負担も社会的な影響があるのではないか?つまり、日本で女性の社会進出が進まないのは上記のような子育て文化があるからかもしれない。(そもそもなぜ女性が?というのもあるが、母乳を与えるという行為がある限り、また、現状人工ミルクが母乳に劣る状況や母乳売買のMarketが成熟していない状況では、女性が子供にとって安心する対象であるのは妥当だと思われる) 当然睡眠時間も減るので、思考力も低下するし、いくら時短勤務であっても、思考力がリカバリーされるわけではない。逆に西欧の子育て方針の方が親の社会復帰はしやすいであろう。

これはどっちが良いという話ではないと考える。西欧の育て方、日本の育て方、それぞれのおかげで良いDiversityが生まれているわけだし、日本の育て方であっても良い女性の社会進出方法はあるかもしれない。

とりあえず、我が家庭では妻に感謝するばかりである。(下は同じCollegeの同級生と妻子


初海外経験 Communication 指南書 – Business Trek 編

さて、そろそろこの指南書も最後かなと思っている。いくらまだ英語が不十分すぎるとしても、海外での Communicationの取り方は慣れた気がするからだ。ここで記載するBusiness Trekの企画はどこかで紹介すべきと思っていたが、同級生の中で自分の存在を認識してもらうという意味でも良いものであったので、Communication指南書の一つとして記載する。(ヘッドの写真は今年のJapan Trekのハイライト、スタジオジブリの星野会長と)

Business Trek、またはCareer TrekはMBAではお馴染みのもので、MBA生がある地域の会社を訪問して、その地域の文化、経済を学びつつ、Post MBA後の就職先候補とのConnectionを作るものである。学校側で企画してくれるものもあるが、Cambridgeでは主に学生が企画している。ただ、公式にBusiness Schoolから認めてもらえるので、会社へのお土産や旗(写真参照)などを渡してくれる。今年の学生はSilicon Valley TrekSingapore Trek、Israeli Trek(これからだけど)、他にも様々なTrekを企画していた。(下の写真は今年のJapan Trekの一コマですが)

このTrekは非常に良くて、会社訪問も当然だが、企画者は基本的にその地域の出身なので、普通の旅行では中々経験できないことをTrekに盛り込んでくれるからだ。私が企画したのは当然、Japan Trek。実は発案者は去年の方達で触発されて実施した。

Japan Trekの企画をした理由は3つ。リーダシップを取って、同級生に認識してもらいたい。参加した同級生とTrek内で深く話して、彼らの知見を得ると共に、Post MBAでも付き合っていきたい。Cambridgeの名前を使って会いたい会社と会ってPost MBA後のNetworkの一つとしたい。

さて、企画自体であるが、日本人同級生の協力のおかげで全体的には問題なく進んだと思う。実施時期は1月の3日〜9日、日本人同級生への声かけはMBA前からやっていたが、実際に企画を本格的に始めたのはMBA開始直後。ただ、一つ、大変というか、難しかったのが、「本当に実施するのか」と「実施時期」を決めることで、MBA開始前後に実施を決断したことだと思う。

1月の3日〜9日は他にもTrekが開催される時期だし、Career Eventもあったりで、スケジュールが読めない。Japan Trekの企画を手伝ってもらう日本人同級生も他のTrekに参加したい気持ちもあり、Japan Trekに参加できるか不明、私自身も行けるなら、他のTrekも行きたい。かと言って、他のTrekも開催されるかはまだ不明瞭。さらには、これが一番問題なのだが、私自身1月のその週は妻子がCambridgeに来たばかりであり、幼児と妻を異国の地に残して1週間も日本に帰れるのか。しかし、結果として色々不明瞭な状況でも上記日程で開催することに決めた。これも3つの理由で、まずは私自身が、たとえ参加できなかったとしても、企画をしたかったこと。次に同級生の中に「是非日本に行きたい!」と言ってくれる人がいて、勇気付けられたこと。最後に、企画をしていうちに色々明瞭化されてのみんなもJapan Trekに同行したい気持ちが上がっていく、と考えたことだ。

実際、他のTrekは開催されなかったり、延期されたりで、Japan Trekを開催できた。Strategyの授業でも言っていたが、「情報が不十分な中で決断しないといけないもの」らしいので、今回の経験は良かったと思う。改めて、「やる」と宣言して、人の意見を聞きつつも強い思いを持って実施しなければならないと感じた。(今まで自分は人の意見を聞いて意向に沿うばかりを重視してきたところもあったかもしれない)

さて、Trekの中身だが、正直なんでもできる(できたはず)と思う、Cambridgeの名前を使って。TV番組にも出れるだろうし、東京の大学で同い年くらいの著名な人とセッションをやってもいいだろうし、会いたい人や行きたい会社に行けると思う。今回はお会いできなかったが、小泉進次郎議員にもアプローチしたし、今回お会いできたスタジオジブリの星野会長は、特にコネもない中直接メールをしてご快諾いただけた。結果として、Plug&Play様、Next Beyond Ventures様、光明寺の松本紹圭様、楽天様、ソフトバンク様、スタジオジブリ様、へ訪問させていただいた。

結果として私の日本滞在は2.5日であった。それでも妻には大分迷惑をかけたと思う、感謝に絶えない。そして、私が行けなかったせいで、日本人同行者の同級生にも大分迷惑をかけたと思う。ありがたい。

Japan Trekの前半半分は主に京都観光で、後半が東京での会社訪問。スタジオジブリは、私が連絡したこともあり、行きたかったので、後半の2日間を私のTrek期間に選んだ。

話が少し逸れるが、久しぶりの日本は何か新鮮だった。日本の広告や人の動きや、電車などの普段の光景が何か違ったものに見える。3ヶ月でこれなので、MBAが終わって帰国したらどう感じるのが楽しみだ。

このTrekで一番面白かったのはMBAの同級生と日本の電車に乗っている時だ。これまで普通に使っていた電車に、色々な国の学生たちと一緒に乗っているというのは、なんとも言えない感慨深さがあった

本当に企画して良かったと思う。色々もっとできたと思うことはあるけど、最初の3つの目的は達成した。同級生内での認知は、この企画をSlackなどで参加を呼びかけているので、参加した同級生だけでなく、他の同級生にも若林を認知してもらえたし、会話時に「Japan Trekの企画どう?」とか聞かれて良い話題にもなる。二つ目のTrek参加者との交流は言うまでもないし、これからも付き合っていけると思う。3つ目はConnectionはできた。ただ、このConnectionはShort Termで使っていくよりはLong Termで使えるものだと思うので、今度どうなるかはこれからのお楽しみである。

イギリスの天候とMBA第2期、Lent Term

来週からEaster Term(全4期の内の第3期)が始まるというのに、Lent Term(第2期、1月〜3月)の話を記載している。ネタはあるのだがタメ過ぎた。。

さて、20代くらいまでは結構合理的な人間だったと思う。そもそも理系だし、運とか運命とかの力は全く信じていなかった。(まぁ今も「信じている」というのとは少し違うけれど)「雨の日って気持ちが沈むよねぇ〜」というのも、「何を言っているのか??」と思っていた。強い心を持てば関係ないだろうと。イギリスはよく「天気がどんよりしていて気持ちが沈む」とも言われていることは前から知っていたが、さて、本当にそうなのか。。

結論から言うと、沈んでいた。時期的には1月〜2月の半ばくらいまで。この時期の気候の話をすると、確かに寒いし、天気もなんとなくスッキリ晴れない。そして、同級生もなんとなく元気がない。前期のMichaelmas Termに比べても活動的ではない。

やっぱり気候の影響か・・・?

それもあると思う。実際、自分の感じ方を観察しても空が晴れていないとやる気が出てない気がする、昔に比べても。いや、気持ちの問題と言われればそれまでだが、気持ちを向けるのにも体内エネルギーは必要なはず。結婚したくらいからか、自身の色々な変化を感じる。それは「もう歳か」と言うことではなく、成長という意味だと思っている。ただ、このLent Termの状況は当然天候だけのせいではないと思う。

まず、クラスのグループ内でのInteractionが減った。Stream(70人集まりで、この単位でCore授業を受講する)とStudy Group(5人チーム)は毎期変わるのだが、今期はElectiveも入るのでStream単位での授業が物理的に減り、LentのプロジェクトであるGCP (Global Consulting Project)は別のチーム編成で実施するので、CVPのようにStudy Groupでの行動数も少ない。よって、学校が与える同級生とのInteractionが減る。よって、一体感はMichalemasに比して薄く感じざるを得ない。

飲み会やFormal HallのようなSocial Eventが減った。これはMichaelmasでは、「みんな初めてだし仲良くなろう!」という雰囲気でよく飲みに行っていたが、Lentに入って一頻りついたのだと思う。Formal Hallも物珍しさが弱くなって、あまり開催されなかった。(それでも行ったけど笑、下は結構有名なClare CollegeのFormal)

そして、学生企画のイベントの数も減ったように思う。私自身、Japan Business Trekを企画して、Michalemas中はMTGもあり、忙しくしていたのだが、休み期間中にそれも完了し、なんとなく次何しようという感じのままであった。(別の投稿で「Lentはもっと企画したい」と記載したが、結局できなかった)
そして、何よりも、これが沈む理由の最も大きな部分だと思うが、3ヶ月経って、本当に自分はこのMBA期間を生かせているのか、そしてPost MBAと人生において生かしていけるのか、という疑問だと思う。多くの同級生が「もう3ヶ月経ったのに何も成し遂げていない」と言っていたし、就活の進みも遅々としているようだ。

最後に私自身の話であるが、12月頭から妻と子供(当時4ヶ月)が渡英して一緒に住んでいる。これは夢でもあったのだが、人並みに育児の悩みはある。もちろん妻が大部分世話をしくれていて、夜もずっと子供と一緒なので、ありがたい限りだ。疑問の余地がない。ただ、やはり最初の1ヶ月は子供をあやしながらも「自分はMBAにきて、時間を子供をあやすことに使っていいのか?」と思うこともあった。

だが、上記すべて含めて、今は心の整理がついているように思う。Michalemasは、他の多くの同級生も含めて、気負いがあったのだと思う。それで全速力で走ってきたが、Lentになって休みもあったので、息切れがしたのだ。でも、それも良いだろう。悩む時間は必要だし、どんな場合でも走り続けてばかりでは倒れてしまう。MBAだからと言って、全ての時間を全速力でやる必要はないと思う。勉強、思索、遊び、休息、どんな時でもバランスが必要だ。2月の後半くらいから気持ちも戻ってきて、良いプロジェクト期間と、今のEaster Term前の状況を控えて企画の準備もできている。下の写真のように夜明けがきたかなという感じ 笑

ちなみに気候の話をすると2月の後半は暖かく、もう春か!イギリス暖かいじゃん!と思ったのだが、イギリス人の同級生曰く「もう一回寒さが戻る」。本当か?と思ったが、本当で、4月の半ばまで9度以下の気候が続いた。イギリスの気候は理解しがたい。。。

なぜケンブリッジ大学か

Why MBA、Why CambridgeというのはMBAブログで最初に書くものなのだが、この時期になってしまった。。でも、最初のTermが終わって、次のTermが始まる前に思い直すのも良いだろうとPositiveに考える。

世界の事を考えて、経済協定や軍事同盟を見つつ、各国の事を考え、経済状況を考えて、ローカルの人達の事を考える。その上でビジネスによって考えた事を実行して行きたい。それらを一生考えたり実行して行く礎としてのMBAだと考えている。

上記のように、軸はビジネスに置きつつも広範な知見を得ようと考えると、やはり総合大学はいい、特にケンブリッジには後述するCollegeがある。例えば、今イギリスといえば、ブレクジット(Brexit)。ビジネスにとっては少なくとも外部要因ではあるこの政治的話題を肌で感じられる。ケンブリッジ大学の皆様は基本反対派のよう、エスタブリッシュメントですな、やはり。それを感じたのはCambridge Union。ここは伝統的なディベート・クラブで、かのジョン・メイナード・ケインズもここでディベートしている。一番印象に残ったのは、現役のMP(Member of Parliament 国会議員)が7名来て野党と与党で別れてディベートしてたこと。この時も聴衆はブレクジット反対で頷いていた。

「端的にいって、イギリスはヨーロッパではなく、イギリスはイギリスであるとしかいいようがない。」と木村尚三郎さんという方がおっしゃっていました。例えば、ヴィクトリア女王が1877年1月1日より、「インド皇帝 Empress of India」を称した。が、議会は猛反対したらしい。なんで??王より皇帝の方が強そうなのだが。。話によると「なぜ我々イギリスが大陸の慣習(多民族支配の国家元首は皇帝、Holy Roman Empireとか)に倣わないといけないのか!」ということのようだ(岡本隆司さんという方のお話)。 あぁ、それでブレクジットなんですかね。

さて、そんなイギリスで勉強している私ですが、当初は特別イギリスがよかったわけではない。・・・と経緯を書いていると長くなるので、これはまたMBA受験の進め方のところで詳しく。とっかかりは、ケンブリッジ大学の写真を見たときに建物にロマンを感じて、「ここがいいなぁ〜」と漠然と思ったところが始まり。

まず、Why MBA。経営を学びたい、アントレやりたい、ついでにSocial Impactにも興味があるし、もっとLeadershipを学びたいというものは当然ある。その為に来ている。だが、自分としては以下が根底にあると思う。

以前自己紹介に記載したが、自分は理系で子供の頃からこの道を漠然と進んでいた理由は「物質の仕組みが全て分かれば、この世の仕組みが全てわかり、魔法のような技術が自由自在に使える」と思ったから。今もその思いは変っていなく、ただ、仕組みというのが世の中のシステムまで広がった。それはITシステムだったり、金融システムだったり、一路一帯だったり、日々のライフスタイルだったり、そして原子の構造だったりする。こういう時に例としてよくMBAブログで書かれるのが政治の話。なので、私も先人の皆様に倣わせていただく。例えば、今、多くの人が自由民主主義というシステムに疑問を持っている、もしくは幻滅している。じゃぁ社会主義がいいのか?専制主義がいいのか?きっと違うのだろう。もちろんシステムとしては専制主義だっていい部分がある。それは意思決定と行動のSpeed感。だから昔は長くこのシステムが使われてきた。しかし時代に合わないから自由民主主義に変わった。きっと、また自由民主主義とは違う次のシステムができてくるのだと思う(「色々欠陥があっても、市民が国に対する責任を持っている民主主義というシステムの方が、専制主義より何倍もいい」ヤン・ウェンリー。「民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが」ウィンストン・チャーチル) 。このようにシステム達が創造された因果関係や得手不得手を理解していれば変えるべき、もしくは作り出すべきシステムもよりよく分かるはずだと思っている。システムというとどうしてもITシステムを思い出してしまうので、私の仕事になぞらえてみる。IT システムを設計するIT Architect というのが私の職種だ。どのシステムが良いかを決定するためにIT Architectが活用する方法論の中にArchitecture Decisionというのがある。これは複数のシステムを比較し、内部や外部要因を考慮した優劣を明確にしてシステムを決定するもの。きっと私が上記で言っていることは、様々なシステムのArchitecture Decisionを理解したいということだと考えている。

だた、これらシステム全てを1~2年のMBAで理解できるわけはなく、と言うか一生かかっても誰も完璧に理解することはないだろうと思う。よって、MBAは、この後100年生きる中での第2のスタート地点、上記を日々理解するために努力する基盤としたい。そして、理解しつつそれを行動に還元し、実現していく方法を学びたい。そうすると以下のケンブリッジ大学を選んだ3つの理由が必要になってくる。

  1. ダイバーシティ
  2. 他学部との交流 (multidisciplinary)
  3. 理系に強い

1つめはヨーロッパのMBAがアメリカのMBAに比べて重視している点。クラス構成として多くの国からの学生を受け入れている。以前も記載したが、私のクラスは51ヶ国からの学生が在籍している。よって、同級生からは、Careerという意味だけでは無くて、知見を得たい。直接的で無くても、彼らの繋がりからでも良いと思う。それは可能な限りMBA卒業後も繋がっていたいもの。だからSocial Eventを重視している。その1回の飲み会でそんな話をする必要はなくて、次の日素面で「昨日楽しかったね」とか言いながら話してもいいし。とりあえず飲み会ではただ一緒の場を楽しく共有するだけで良いと思う。MBAに来る前は、隣の国なのにあまり関わることのなかった中国人とも仲の良い友達がたくさんできたし、お世話になっている。こういうのはどこでも同じようで、色々ある南スーダンでも、「日中韓が同じ1つの屋根の中でオペレーションを展開していて、現場に行けば、同じ釜の飯を食っているから仲よくやろうという雰囲気が自然に出てる」らしい。 「人間と人間が仲よくなるのは、同じ目標を持って、同じ仕事をした時ですよ。」と言っている人がいました。そして、アフリカもMBA前は興味なかったし、中東も危険と歴史のロマンでしか感じていなかった(まぁイスラエルだけはある会社をIBMが買収したときに大分深く付き合ったけど)。しかし、両方とも同級生の国だという事で、少なくとも、興味は高まり始めている。アフリカや中東で、中国人と一緒に仕事をする、それがお互いの国の利益になって、大きな経済的利害関係が一致すれば国同士も仲良くなれると思う。。というのは、戦争を回避しようとしていた先人の経済人達がよく言っていた事だけれど。

女性が多いのも大事、日本人同級生は女性の方が多い

2つ目も知見を広げるため。理系でやってきたが、幸運にも歴史が好きになり、政治や経済、国際関係にも興味が持てている。College制という正にこの目的を狙ったシステムがあるのはケンブリッジ大学とオックスフォード大学しかない。Collegeは日本語に訳すと大学になってしまうし、日本でいうと寮になってしまって、どっちも正しく表わしてない。少し説明すると学生はどこかしらのCollegeに所属せねばならず、基本はこの単位で寝食を共にする。イベントやクラムもこの単位である。以前紹介した晩餐会、Formal HallやBarもCollege毎にある。実は「ハリーポッターのグリフィンドールとかスリザリンのこと」っていうのが一番分かりやすい、ロケ地はオックスフォードだから癪だけど。。

一番重要なのは、Collegeには色々な学部生が所属しているということだ。よって、MBA生だけでなく、経済学部やComputer Science、工学部とも知り合いになれて意見を交換できるということだ。これも私が目的とする、世界を知るという意味では非常に大切。

私所属のDowning Collegeは一番右の真ん中、グリフォン

3つ目は理系。自分としてこれは外せない、一生技術を使っていく仕事につく事は変わらないだろうし、社会的にもそういう流れだ。ノーベル賞の数はオックスフォードより多く、Business School自体がケンブリッジ大学の中で工学部の部門の下にある。そして、Cambridge Finと呼ばれるように起業が盛ん。それは大学のCultureや雰囲気に依るものだと思うし、直接的に理系人材とビジネスになる技術がここにあるからだと思う。それによりBusiness SchoolとしてもEntreprenuershipに力をいれている。

もう一つ、1年制がいいか2年制がいいかという話もよく出てくる。ケンブリッジのMBAは1年制だ。これには1年制でよかったと答えたい。私はこの歳になるまで、海外在住経験はない。よって、少なくとも今は、日本を軸に世界のために貢献していくという気持ち。ただ、海外経験が1年で十分かは疑問が残る。MBA自体は1年制で十分だと思うが、あと2年以上仕事の経験をどこか海外でしたいと思っている。しかし、もし2年制に行ったとしても、2年をうまく使うように過ごして、結果として「2年制でよかった」と思うであろう。MBAの大学選びだけでなく、何かしらの選択の時は可能な限りは頭で考えるが、あとは流れに任せる、もしくは運を天に任せる、というのが良いと思っている。「人は流れに乗ればいい」ってシャア・アズナブルも言ってたし。マキャベリもリーダーに必要なのは「徳」「運」そして「時代の流れに乗る事」と言っていた。つまり私にとっては、ケンブリッジ大学が良かったのであって、1年か2年かはその結果。だからその結果をうまく使いたいと思っている。同様の文脈で、同じCollege制のあるオックスフォード大学だとどうだろう。きっと、「自分は理系なのでそれは十分、オックスフォードでもっと政治の部分を考えたビジネスを考慮したいし、それがよかった」と言っていたと思う。

あまり具体性がないのは承知しているが、上記が私がケンブリッジ大学をMBAとして選んだ理由、上記のように私が求めるものを満足させてくれている。あとは自分次第。・・・と言いつつ、上記で記載したことが今全部できているかというとそんなことはない。。まだまだ、うまく出来ていないことが多い。ただ、この1年では無理でも、卒業後も上記ができるようにNetworkは作っておきたいと思っている。

0歳児の1泊海外旅行:ベルギー

歴史好きを公言している私だが、ベルギーで知っていることと言えば、ユリウス・カエサルのガリア戦記に「ベルガエ族」という単語が出て来て、これが今日のベルギー人の起源ということと、第二次世界大戦マニアの間ではドイツに道路された国という不名誉な話。。。ただ、少し調べたら大陸で初めて産業革命に成功した国で、植民地からダイアモンドを得ていて金融も発展したよう。確かにアントワープの駅前には多くのダイヤモンド店が!!ちなみにアントワープ駅は世界一美しい駅ということで有名です。(まぁ世界一は世界にたくさんあるので、他にも綺麗な駅はあると思います。が、確かにいい駅でした!!)

ということで、今回は歴史を感じる!!というよりも、0歳児に気をつけながら、幼児との旅行の注意点を学びつつ、純粋に観光を楽しむ旅となった。

まずは、ヒースロー空港へ。ケンブリッジからは、ロンドン・キングス・クロスから、地下鉄で、パディントン駅へ。そこから、Heathrow Expressで15分でHeathrow空港。Heathrow Expressは基本15分に一本で運用されているが、この日はクリスマス後、年末前とのことで30分に一本。地下鉄でも行けるのだが、幼児のことを考えてこちらで。ヒースローからはブリュッセル航空でブリュッセル国際空港へ。1時間の空旅なので、バシネットは用意されず。まぁでも確かにすぐだからいらないかな。幼児も気圧の変化で耳が痛くなるので、離陸中と着陸中におっぱいかミルクをあげられるように調整。1時間はすぐなので、これで娘も大人しく。

ブリュッセル空港からはアントワープへ直行。30分くらい。実は昼飯の時間が微妙で、空港で何か買いたかったのだが、税関で時間がかかり、さらに電車もすぐ来てしまったので、とりあえずアントワープへ。

正直甘かったのが、イギリスではどこでもWiFiが繋がるのであまり紙を印刷してこなかったのだが、電車内では繋がらないどころか、路線図もなく。。フランス語で雰囲気を感じてアントワープへ。フランス語は分かりません。。実は大学時代の第2外国語はフランス語なのだが、人生最初で最後の留年危機。。フランス語は2つ授業があって二つとも落とすと留年。2つともギリギリC(Dだと落ちる)でなんとか2年生に進めたのでした。まぁ英語もダメダメなので、語学の才能は低いですね。。。余談はおいておいて、この私の調査不足はこの後も問題になり、骨身に染みた。

ともあれ、無事アントワープへ到着。フランダースの犬でネロが目指したノートル=ダム大聖堂へ。地下鉄もあるが、行きはトラムで。街並みが見たかったので。ちなみに地下鉄もトラムも切符の買う場所は要注意。https://allaboutbelgium.com/brussels-metro-tram-bus/

ノートル=ダム大聖堂よかった。まずは学割が効くこと笑 そしてやはりルーベンスの有名な絵が置いてあること。美術館に絵があるのは当たり前だが、大聖堂内でルーベンス レベルの有名な絵がたくさん見れるのは中々ないのではないかと思う。

ちなみに、娘が泣き出したので、ミルクを大聖堂であげることに。でもいい経験かなと思って、あげてたら飲みながら大泣き。あまりこういうことはないのだが、どうやらルーベンスの絵が怖かったよう、、な気がする。。

大聖堂を出たら、いい雰囲気。広場があれば、そこはクリスマスマーケット。実はフライドポテトが有名で、無事屋台で購入。屋台も日本のとは違って、木の小屋。まぁ寒いしね。そう、ベルギーはケンブリッジより寒い!!なんでだろ。。

その後、駅構内の元王室用カフェに行きたかったのだが、時間がなくそのままブリュッセルへ。外の写真だけ。

ホテルはここ。http://www.hotelmarivaux.be/en/ 一泊1,3000円くらい。2.5人で泊まるにはちょうどよかったと思う。ブリュッセル北駅が近いので、そこからホテルへ。ただ、駅からホテルまでの道をしっかり調べてなかったので、少し戸惑い。。元々は、IT系なのに、Google Mapとかあまり使わないスタイルだったのだが(なんの拘り笑)海外に住むとスマフォもGoogle Mapも使う頻度が飛躍的に上昇。そうすると、これに頼りすぎた。というので、海外行くときはアナログもちゃんと併用しよう。

さて、夜は有名なグラン=プラス広場へ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9_(%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB) うーむ、すごい。広場の周りの建物が全てかっこいい。

夕飯は、せっかくだからというのと、幼児をそろそろ休ませたいので広場の周りのレストランへ。味は悪くない。ただ、高い。。正直オススメはしない。下記する場所の方が全然良い。ホテルへ帰りお休みです。

2日目はブリュッセル観光。ベルギーワッフルをまずは食す。Maison Dandoyが有名だけど、お店は9時からだけど席に座れるのは11時から、時間の関係上適当に路上を歩いてそこそこ人が入っているワッフル屋へ。その後芸術の丘Tropismesと続いた。この本屋も世界一美しいと言われている。いや〜、ベルギー、いいですね。う〜〜ん、なんというのか、フランスの華やか感と、ドイツの重厚感がうまくマッチしたような感じ(って当たり前か)が良い。街も観光用に整備されていてかっこいい!!

そして、最後の昼飯へ。以下のブログを参考にレストランがある通りへ。https://ameblo.jp/yoko554/entry-12426359123.html 近づくと、なんと魚介市場がありその場で調理してしかも白ワインが売っている!!ここで立ち飲みもよかったけど、時間もないし、嫁もまだ飲めないので、レストランを探しに。

l’huitriere へ。ここは少々高いけど、前日のレストランより質も量も申し分ない!これにて、ベルギー旅は完了!何気に、生の貝類(牡蠣含む)がでてきて、次の日まであたらないか心配だったのは内緒。。でもあたらなかった、何気に新鮮なんだろうか。。。